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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
48/58

48.ドルエルベニ 「いつものルルヴルグではない」

 

 ルルヴルグが風を見送っている間、ドルエルベニは手持ち無沙汰に待つ。なんとなく、足元に転がる、奴隷の死骸に目を落とす。


 奴隷の死骸の使い途は限られている。喰うか、誰かに分け与えるか、愛馬の餌にするか。


 ーー稲妻に、丸ごと喰わせてやるか


 たまには稲妻に贅沢な食餌をさせるのも良いだろうと考えながら、いそいそと家路に就く風の後ろ姿を見るともなく見る。


 やにわに、ルルヴルグが風の後ろ姿を指差した。肩越しに振り返り、悪戯っぽく笑う。


「陽気に尻を振って歩く後ろ姿は、雛馬の頃のままだな。可愛くて、つい、追い回したくなる」


 屈託なく話し、大らかに笑う。ルルヴルグのその姿こそ、幼い頃のまま変わらない。思い出の眩さに、ドルエルベニは眩んだ。


 よちよち歩くふわふわを抱き上げて、えっちらおっちら近寄って来て。「ドルエルベニ! ほら、見て、見て。ふわふわ、かわいいね」と声を弾ませる、小さなルルヴルグの笑顔が鮮やかによみがえる。


 ドルエルベニは思わず知らず、目を細めていた。思い出がドルエルベニを現実から連れ去ろうとする。


 ーーしつこく追い回すな。また、噛まれて、泣かされても知らんぞ


 そう言ってからかったら、ルルヴルグは今でも、昔のようにむくれるだろうか。


 そこにバジッゾヨが駆けつけて来た。現実がドルエルベニを平手打ちして、思い出から引き戻す。冷や水を浴びせられたような心地と引き換えに、不用意なことを口走らずに澄んだ。


 バジッゾヨはルルヴルグとドルエルベニ、それから周辺に目を走らせる。慌ただしくルルヴルグに駆け寄った。


「軍団長ルルヴルグ、如何なされた?」


 ルルヴルグに伺いを立てながら、ドルエルベニを横目で見る。ドルエルベニが追い払った見張りが、直属の上役であるバジッゾヨに状況を報告したのだろう。


 ドルエルベニを盗み見る、バジッゾヨの目にちらりと猜疑心が過る。ドルエルベニはそれを見逃さなかった。


 バジッゾヨはドルエルベニの言動を不審に思い、まずはルルヴルグの身を案じたのだ。そうなると最早、矢も盾もたまらず、ルルヴルグの許に馳せ参じた。と、そういう訳だ。


 それは良い。バジッゾヨに落ち度はない。落ち度はないが、バジッゾヨの言動は、ドルエルベニの神経をいちいち逆撫でする。


 ーーこのドルエルベニが、ルルヴルグを害するとでも? 


 ドルエルベニは牙を鳴らし、まさか、お主ではあるまいし。と内心大いに毒づく。


 バジッゾヨはドルエルベニの睨みを意に介さず、前屈みになって、ルルヴルグに口吻を寄せる。ルルヴルグがうんともすんとも言わないことに焦れたのか。大きく口を開き、舌を突き出し、ルルヴルグの匂いを嗅ぐ。


 ドルエルベニはかっとなった。危うく尻尾を地面に叩きつけ、バジッゾヨを威嚇するところだった。


 既の事で思い止まったものの、怒りはおさまらない。


 ーーバジッゾヨはルルヴルグの無事を確かめることに夢中になっているのだ。ドルエルベニに睨まれて、平然としていられる胆力が、バジッゾヨにあるものか


 と己に言い聞かせる。


 そうしている間も、バジッゾヨは疑り深く、ルルヴルグの体中の匂いを嗅いでいる。ドルエルベニは苛立ちが募るまま、尻尾を左右に大きく振った。


 ここでバジッゾヨを叱責するのは悪手だ。ドルエルベニの怒りを買ったと知ればバジッゾヨはたじろぎ、ルルヴルグは萎縮するバジッゾヨを庇うだろう。


 ドルエルベニは憤懣遣る方無い思いを押し殺し、溜息をつく。すると、バジッゾヨのお節介になすがままになっていたルルヴルグが、ドルエルベニを見た。


 ドルエルベニはさっと目を伏せて視線を外したので、ふたりが顔を見合っていたのはほんの一瞬のこと。


 それからゆっくり三つ数えられる間をおいて、ルルヴルグはバジッゾヨの鼻面を掌で押し返した。瞠目するバジッゾヨの目を見て、ルルヴルグは言う。


「なんでもない」


 切り詰めた返答は、バジッゾヨの求めるものではなかったようだ。バジッゾヨは睨みつけるような目つきでルルヴルグを見据える。目の色を変えて、明らかな反抗を示していた。


 ーー生意気な。一介の連隊長に過ぎないバジッゾヨが軍団長であるルルヴルグに反抗するなど、以ての外だ


 ドルエルベニは眦を決した。ルルヴルグとバジッゾヨの間に割って入るべく、一歩前に踏み出す。


 ルルヴルグには厭な顔をされるかもしれないが、バジッゾヨの無礼を看過するのはいかにも口惜しい。


 ドルエルベニがバジッゾヨの肩を掴んでルルヴルグから引き剥がす。その前に、ルルヴルグはバジッゾヨの懐に飛び込んだ。反り身になるバジッゾヨの鼻先をぽんぽんと叩き、朗らかに笑いかける。


「足労、ご苦労であった。なんでもないから、案ずるな。それと、これより人払いは不要だ。皆にそう言い伝えてくれ」


 ルルヴルグはそう言って、バジッゾヨに背を向ける。ドルエルベニと目が合うと、目を細めた。「ノゾンゾと奴隷のことは口外しないから安心しろ」と目顔で告げている。


 叱責は時期を逸した。仕方なく、ドルエルベニは目礼する。


 ルルヴルグは満足げに首肯いた。ドルエルベニがルルヴルグの配慮に対して、単純に感謝していると思っているらしい。こうなると、バジッゾヨの不遜な態度に目くじらを立てる気にもならない。


 これにて一件落着、解散かと思われた矢先。ルルヴルグはドルエルベニの目を見て、言った。


「ところで、ドルエルベニよ。この後、少し、時間を貰えるか? お主と話しがしたい」 


 ドルエルベニは一も二もなく応諾した。ルルヴルグがドルエルベニとの対話を望むということは、軍事の大事に違いないと考えてのことだった。そのつもりで、「何か問題が?」と問う。


 ルルヴルグは小首を傾げ、それから、頭を振った。


「否。そうではなく……私的な話しをしたいと思って」


 ルルヴルグの説明は歯切れが悪いが、理解出来ない程ではない。だからこそ、ドルエルベニは耳を疑った。


 ーー私的な話しがしたい、だと? ルルヴルグが、ドルエルベニと? そんなことがあり得るのか? これまでずっと、ドルエルベニと必要以上に関わろうとしなかった癖に。いったいどういう風の吹き回しか?


 ルルヴルグがバジッゾヨを従えて以降、ルルヴルグは何処へ行くにも、バジッゾヨを伴うようになった。当初、ドルエルベニはルルヴルグの新しい挑戦に付き合うつもりで行動を共にしていた。ところが、そのうち、ルルヴルグとバジッゾヨの馴れ合いを不快に思うようになった。


 ルルヴルグは、バジッゾヨとすっかり打ち解けたつもりでいる様子だが、笑止である。バジッゾヨはルルヴルグを惨殺すると宣言しているのだ。心を許すべきではない。


 ドルエルベニは何度も繰り返し、ルルヴルグに忠告した。ところが、ルルヴルグは「どうなろうと、ルルヴルグの自業自得だ。ドルエルベニには迷惑をかけない」の一点張りで、耳を貸そうとしなかった。


 何故そうも意固地になるのか。ドルエルベニにはわからなかった。ある日、ルルヴルグが嫌がるバジッゾヨを連れ回しているのを遠くから眺めて、やっとわかった。


 ルルヴルグはドルエルベニが疎ましいのだ。


 ドルエルベニをはっきりと拒絶しなかったのは、ドルエルベニに恩義があると思うから。


 出来ることなら「もう放っておいてくれ」と言い放ち、ドルエルベニを突き放したかったのだろう。


 ルルヴルグは飛ぶ鳥を落とす勢いで昇格していた。まるで何かに急き立てられるかのように。今になって思えば、ルルヴルグはドルエルベニの庇護から逃れたい一心で、急いで強くなろうとしていたのかもしれない。


 それでも、ドルエルベニにはヴルグテッダと交わした約束がある。ルルヴルグに干渉することを止められなかった。


 しかし、それとて、ルルヴルグが軍団長に昇格する迄のこと。ルルヴルグが軍団長に昇格してから、ドルエルベニがルルヴルグに干渉することはなくなった。軍団長は軍団の最高権力者。軍団長に指図出来るのは首領のみ。


 ルルヴルグは念願叶い、ドルエルベニと距離をとることに成功したのである。


 ーーそれなのに、何故、今更、歩み寄ろうとするのだ?


 ルルヴルグはドルエルベニを敬遠している。血の精霊夢使いに逃げられたことが、その頑なさに拍車をかけたと思われた。


 ーーおかしい。いつものルルヴルグではない


 そう。おかしいのだ。そもそも、移動式住居から出てきた時点で、様子がおかしかった。


 口数が多く、上機嫌で、晴れやかな笑顔を見せる。

 血の精霊夢使いに逃げられてから、めっきり口数が減り、不機嫌で、思い詰めたような深刻な顔をしていたのに。


 何故だろうと思い巡らせると、甲斐甲斐しく血の精霊夢使いの世話を焼く、ルルヴルグの姿が頭を過ぎる。


 ーーあれはまるで、色恋にうつつを抜かす男のようだった


 惚れた女の一挙手一投足に一喜一憂し、指先が触れ合うだけで、浮かれて、舞い上がって。その心を射止めたなら、有頂天になって小人のようにはしゃいで。


 唯一の番と巡り会えた男は、誰しもそうなるのだろう。ルルヴルグとて例外ではないのかもしれない。


 しかし、ルルヴルグは骸竜の戦士で、血の精霊夢使いは持たざる者だ。骸竜の戦士にとって、持たざる者は玩弄物にすぎない。


 ドルエルベニの長い沈黙を、立場上、断りきれずに困っていると解釈したのか。ルルヴルグは苦笑した。


「気が進まぬなら、断っても良い。無理強いするつもりはない」


 早合点して「後日、改めて誘うとしよう」と締め括ろうとしている。


 ーードルエルベニは断るとは一言も言っていないが


 ドルエルベニが口を開くのに先んじて、バジッゾヨが訳知り顔で口を挟む。


「副長ドルエルベニ、バジッゾヨのことならお構いなく。今は軍団長ルルヴルグとのご歓談を優先なさるがよろしかろう」


 殊勝な発言とは裏腹に、その表情は嬉々としたものである。しめしめ、これでドルエルベニの呼び出しから逃れられるぞ、と顔に書いてある。


 ーーこやつ奴、余計なことを


 ドルエルベニはバジッゾヨを睨みつけた。バジッゾヨに辛く当たっている自覚があるので、無理もないか、得心するところではあるが。


 ルルヴルグは、そんなドルエルベニとバジッゾヨを交互に見た。鹿爪らしい顔をして、ドルエルベニに向き直る。


「なんだ、バジッゾヨと約束があるのか? それなら、日を改める。無理強いをするつもりはないのだ。本当に。本当だぞ?」


 ルルヴルグは首を大きく反らしてドルエルベニを見上げる。ドルエルベニは前屈みになり、ルルヴルグの顔を覗き込んだ。


 こうすれば、ルルヴルグの背後にある、バジッゾヨの不請顔を視界に入れずに済む。それより何より、昔のように、ルルヴルグが心の内を打ち明けてくるのではないかという、淡い期待があった。


 ーーお前は、何がしたいのだ。ドルエルベニをどうしたいのだ


 ルルヴルグはドルエルベニを敬遠している。それなのに、ドルエルベニにだけ親密な挨拶をしたり、私的な誘いをかけたりする。そのちぐはぐな言動が、ドルエルベニを混乱させる。


 言葉にならない問いかけ。当然、答えは得られない。


 ややあって、ドルエルベニは目を伏せて、言った。


「仰せとあらば」


 すると、ルルヴルグはむっとした憤りを顔に出した。


「これは軍団長の命令ではない。ルルヴルグの頼みだ。嫌なら嫌だと言ってくれ」 

「断る理由が無い」


 ドルエルベニは奴隷の死骸を拾い上げる。死骸を手に引っ提げて、ドルエルベニはルルヴルグに向き直った。


「ドルエルベニの移動式住居にお招きする。それでよろしいか?」


 そう提案すると、ルルヴルグは釈然としない様子でむっつりと黙り込んでいたが、やがて、こっくりと首肯いた。

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