47.ドルエルベニ 「御寛恕、ありがたく」
奴隷はびくんと全身を痙攣させる。そして、それきり、全く動かなくなった。
風はルルヴルグの命令に従い、ドルエルベニの奴隷を咬み殺したのだ。
そのまま死肉を啄もうとする風を、ルルヴルグは「ならぬ」と制止した。
風は死骸を放し、頭を擡げる。露になった奴隷の頭部は、果肉を剥き出しにする、裂けた柘榴のようだった。
風はルルヴルグをじっと見つめ、首を傾げる。風が言葉を話せたなら「どうして食べてはいけないの?」とルルヴルグに尋ねただろう。
ルルヴルグは頭を振り「ならぬ」と繰り返す。
「それはドルエルベニのだ」
不意に、ルルヴルグがドルエルベニに目を向ける。ドルエルベニがじっとルルヴルグを見返すと、ルルヴルグはきまりが悪そうに肩をすぼめた。
「勝手をしてすまぬ。どうかしてこの埋め合わせをしたいのだが」
ドルエルベニは面食らう。
ルルヴルグのことだから、貴重な休息を邪魔されたからと言ってドルエルベニを叱責したり、むざむざと奴隷に逃げられたドルエルベニの責任を追及したりしないだろうと予想していた。
しかし、だからと言って、まさかルルヴルグがドルエルベニの奴隷を処分したことで、ドルエルベニに負い目を感じるとは。あまつさえ、詫びを入れるとは。予想していなかった。
ドルエルベニはルルヴルグに立礼をする。ルルヴルグの顔を直視しながら腰を折り、望外の厚情に感謝を示した。その上で、恐縮の意を表する。
「それには及ばぬ。そもやそも、ドルエルベニは不始末をしでかし、軍団長ルルヴルグの手を煩わせた。ドルエルベニこそ、軍団長ルルヴルグに詫びなければならぬ」
とんでもない、とルルヴルグは頭を振った。
「ドルエルベニが詫びる必要はない。ドルエルベニは奴隷の四肢を切り落としていた。身動き一つ出来ぬ奴隷が、自力で逃げられるものか。この娘が主人の目を盗んで脱走し、ドルエルベニの奴隷を連れ出したのだろう。此度の脱走は、この娘の主人の怠慢に起因する。この娘はドルエルベニの奴隷ではないのだから、ドルエルベニにまったく落ち度はない」
ルルヴルグはそう断言した。今にも「それで? この娘の主人は何処のどいつだ?」と疑問を口にしそうだった。
ルルヴルグならば、配下が不始末をしでかしても、大抵のことは大目に見てやるだろう。と思いつつ、ここで首肯するのは、縋りついてきた配下の信頼を無碍にするようでばつが悪い。とも思う。ドルエルベニは考えあぐねて、ひとまず、ちょっとだけ執り成してみることにする。
「……その、奴隷の主人には……奴隷遊びを控えるよう言い付けておいた、のだが……」
ルルヴルグは目をぱちくりとさせて、それから、破顔一笑した。
「そうか。では、ドルエルベニに免じて、此度の一件は不問に付すとしよう」
ドルエルベニの歯切れの悪い口ぶりを、脱走した奴隷の主人を庇っているからだ、とルルヴルグは解釈したらしい。
これは誤解だが、ドルエルベニは敢えて、誤解を解こうとしなかった。ルルヴルグが不問に付すと言っているのだ。ならば、これで終いだ。今更、ルルヴルグに事実を告げ知らせたとして、それはまるで告げ口のようで、見苦しいに違いない。
「御寛恕、ありがたく」
ドルエルベニは改めて頭を下げる。ルルヴルグはドルエルベニの腕に触れ、頭を上げてくれ、と言った。
ルルヴルグは振り返り、風を呼ぶ。風はルルヴルグと奴隷の死骸を交互に見た。くうくうと甘えた声で鳴く。どうやら、風はルルヴルグに強請れば与えられるとばかり思っているようだ。
そんな風も、ルルヴルグが語気に僅かな非難を含ませると、これ以上、愚図愚図していても無駄だと悟ったらしい。恨めしそうな目をドルエルベニに向けてから、ルルヴルグのもとへ駆け寄る。
ルルヴルグは少女の死骸を抱いて立ち上がる。右手を伸ばし、そばにやって来た風の首を撫でる。風が頭を垂れると、その顔を抱き寄せ、その嘴に頬擦りする。
いつも嬉々としてルルヴルグの顔を舐め回す風が、この時は荒々しく頭を振った。ルルヴルグの抱擁を振り解いた拍子に、風の嘴がルルヴルグの左頬を打つ。
ルルヴルグはぱっと身を引いた。いきなり愛馬から暴力を振われた驚きと、現実に受けた打撃によって、白く柔らかな頬が赤く染まる。
風はきょとんと首を傾げるルルヴルグを一瞥し、ぷいっとそっぽを向いた。ルルヴルグはふてくされた風の顔をまじまじと見る。風は頑なにルルヴルグと目を合わせようとしない。
このままでは埒が明かないと判断したのだろう。ルルヴルグはドルエルベニに目を向けた。おどけて肩を竦めて見せる。
「女に打たれると、なぜ、こうも痛むのだろうな」
そんな軽口を叩きつつ、ルルヴルグは少女の死骸を風の背に載せる。風は翼を広げて嘴を打ち鳴らしたが、ルルヴルグが首を軽く叩いて宥めると、いかにも不服そうであったが、大人しくなった。
ルルヴルグは頭を垂れた風の嘴を撫でる。風はルルヴルグの手を振り払わず、ルルヴルグの目を見つめている。ルルヴルグは風と見つめ合い、風に語りかける。
「それは風にやる。寝床に持ち帰ったら、食べて良いぞ」
ルルヴルグは顎をしゃくって、寝床に戻れと風に命じた。風はゆっくりと瞬きをすると、頭を垂れた。ルルヴルグの左頬をべろりと舐めて、寝床に向かった。
 




