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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
46/58

46.ドルエルベニ 「奴隷ごときが、よくも」

 少女はルルヴルグを睨みつける。必死に闘志を奮い立たせているようだ。しかし、その闘志が風前の灯火であることは、火を見るより明らかだった。瘧にかかったように総身が震えている。


 ルルヴルグは額に掛かる髪を払い上げ、肩で息をする少女を見つめた。


 少女は渾身の力を込めてルルヴルグの横面を平手打ちにしたものの、殴打と称するに値しない、所詮は非力な一撃だ。ルルヴルグはいささかも痛痒を感じなかっただろう。


 それでも、少女がルルヴルグに向かって手を上げたことは、紛れもない事実なのだ。


 自暴自棄になった少女の平手打ちなど、ルルヴルグならば、避けようと思えばいくらでも避けられる。避けられるにも拘らず、ルルヴルグは打たれる儘にまかせた。


 目の当たりにした光景は、遠い記憶を呼び覚ます。折檻されようとする幼子の面影が彷彿とする。


 ーー持たざる者(ヒウマウ)の奴隷女がルルヴルグに手を上げた


 ドルエルベニは、恰も己の魂が平手打ちされたかのように感じた。


「持たざる者(ヒウマウ)奴隷ごときが、よくも……!」


 ドルエルベニはすっかり憤慨し、少女に詰め寄る。少女はぎょっとして振り向いた。少女の頭を鷲掴みにしようとしたドルエルベニの手を、ルルヴルグが払い除ける。


 ドルエルベニは我に返り、手を引っ込める。ルルヴルグはドルエルベニの目を見据え、風の方を向いて顎をしゃくった。さがれ、と命じている。ドルエルベニはやむにやまれず、粛々と後退した。


 少女は胡乱な目つきでドルエルベニを凝視している。ルルヴルグは少女の顎を右手で掴み、少女と顔を向き合わせた。


 ルルヴルグが少女に触れると、少女は縮み上がった。怯える少女の後頭部に左手を添え、ルルヴルグは少女の目をまっすぐに見つめる。


「お主は勇敢に戦った。孤立無援の敵地にて勝機を逸するも、終に戦いを放棄しなかった。誇り高き魂に対して、ここに謹んで満腔の敬意を表する」


 それは、誇り高き骸竜の戦士を終の戦場へ送り出すはなむけの言葉であった。


 骸竜の風俗習慣を預かり知らぬ少女にも、ルルヴルグが真摯な思いで少女と向き合っていることが伝わったのだろう。少女は目を丸くした。あどけない瞳は、一縷の希望のようなものを見出していたのかもしれない。


 次の瞬間、ルルヴルグは少女の首を捻り上げた。ごきんっと鈍い音が聞こえ、少女は死んだ。その死顔を見るに、少女は自らの死を理解しないまま逝ったのだろう。


 ルルヴルグは少女の亡骸を抱き上げる。目を伏せて、亡骸の額に額を寄せた。


「安らかに眠れ」


 それは、亡くなった女小人の霊を弔う儀式であった。


 その奇行を目の当たりにし、ドルエルベニは絶句した。次いで、慌てて周囲を見回す。誰もいないことを確かめて、ドルエルベニは胸を撫で下ろした。鉤爪の軍団長が奴隷の死を悼む姿など、他の誰かに見せられるものではない。


 ドルエルベニは憮然として溜息をつく。何とはなしに足元に目を落とすと、ドルエルベニの奴隷が視界に入った。これまで、関心の埓外にあった奴隷の姿を、まじまじと見る。


 眼窩に空いた黒い穴から、涙がとめどなく溢れていた。半死半生の奴隷は、姉の死を悼み、涙を流すのか。そんなことをつらつらと考える。暇潰しにもならない。


 暫くしてから、ルルヴルグは顔を上げた。風に向かって口笛を吹く。風はそれを聞くと直様、ドルエルベニの奴隷の頭に食らいつき、噛み砕いた。

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