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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
44/58

44.ドルエルベニ 「胸を締めつけられるような」

 

 ドルエルベニは奴隷を買い求めると直様、並一通りの加工を施すことにしている。この奴隷も例に漏れず、手足を落とし、喉を潰してある。恐怖に慄き苦痛にのたうつしかない無様は、芋虫同然だ。


 風は嘴でドルエルベニの奴隷の胴部を咥えている。奴隷は傷だらけになっているが、生きていた。


 風は奴隷を噛み潰したり、噛み裂いたりしないように、細心の力加減を心掛けているようだ。多少の損傷は御愛嬌と言えば、まさにその通りであろう。


 風がちょっとうっかりして奴隷を死なせたとしても、奴隷にまんまと脱走されたドルエルベニが、文句を言う筋合いは無い。そもそも、奴隷がどうなろうと、ドルエルベニは構わなかった。ドルエルベニにとって、奴隷は使い捨ての道具に過ぎない。奴隷が壊れたならば、また新しい奴隷を調達すれば良い。それだけのことだ。


 一方、少女は惚けたようにルルヴルグを見つめている。夢中で扉を叩いていたところをいきなり横抱きにされたのだから、放心の態をするのも当然だ。正しい分別をもっていれば、少女の命運尽きて、後は死を待つばかりであるとわかるだろう。


 ルルヴルグは少女の顔を覗き込む。後ろ髪として束ねるには短く、前髪として後ろへ梳き上げるには長い、半端な長さの髪が少女の頬に落ちかかる。少女が竦み上がると、ルルヴルグは「これは失敬」と謝罪して顔を離した。垂れ下がる横髪を小指で耳に掛ける。


 その仕種によって、ドルエルベニは昔を思い出す。


 ルルヴルグがドルエルベニを慕い、母馬の後追いをする雛馬のように、ドルエルベニの後を付いて回っていた頃のこと。


 ドルエルベニはヴルグテッダに頼まれて、ルルヴルグの遊び相手を務めていた。ヴルグテッダの移動式住居の近くで外遊びをすることが多かった。


 幼いルルヴルグの子守りは、当時のドルエルベニにとって、大変な苦行になった。ルルヴルグのわがままにうんざりして、狸寝入りを決め込むこともしばしばあった。


 ドルエルベニが横になって休んでいると、ルルヴルグが傍に寄って来る。ルルヴルグはドルエルベニの傍らに腰を下ろし、ドルエルベニの寝顔を眺めていた。


 くすくす笑う分には放っておく。くっついてきたら寝返りを打って遠ざかり、伸し掛かってきたら寝返りを打って振り落とす。

 そうこうしていると、ルルヴルグは遊んで貰っていると勘違いして、けらけら笑いながらいっそうまとわりついてくる。甘やかされた幼子ならではの傲慢さに、ドルエルベニは辟易していた。


 いつもの調子で、ルルヴルグが仰臥するドルエルベニに覆い被さった時。ルルヴルグの髪がドルエルベニの顔に落ちかかった。瞬きが間に合わず、一房の髪の毛先が右の眼球に触れた。


 目を無数の針で突かれたかのような痛み。そう表現するのは、間違いなく大袈裟だ。しかし、当時のドルエルベニは誇張ではなく、本気でそう思った。


 この時、ドルエルベニは右目を患っていた。幸い、深刻な病ではなかった。掻痒に耐え、大事にしていれば直に完治すると、母は見立てた。


 その見立てを聞いて、ドルエルベニは胸を撫で下ろした。ヴルグテッダのように強くなりたい。その願いを叶えるには、右目が無いより有る方が、ずっと良いに決まっている。


 これは、そんな矢先の事件だった。ドルエルベニは過敏になっていたのだ。


 ドルエルベニは不甲斐なくもぎゃっとおめき、ルルヴルグを突き飛ばした。床にころんと転がったルルヴルグはきょとんとして、苦痛にのたうち回るドルエルベニを見つめる。やがて、只事では無いと悟ったのだろう。身の置きどころを失ったかのようにおろおろしだした。


「えっ? なに、どうしたの? 目が痛いの? ルルヴルグのせい? えっ? 髪? 髪が目に入った? えっと……どうしよう。ごめん、ドルエルベニ、ごめんね。大丈夫?」


 ルルヴルグは床を這い、気遣わしそうにそばへ寄って来る。ドルエルベニは跳ね起きた。ルルヴルグを屹度睨み、喚き散らした。


「ルルヴルグのバカ! お前なんかもう知らない! ドルエルベニに近寄るな!」


 ルルヴルグが目を瞠る。薔薇色の頬がさっと青褪めた。騒ぎを聞きつけてヴルグテッダが移動式住居から出て来たので、ドルエルベニはそのまま逃げ帰った。


 帰宅するなり、狩りの道具の手入れをする母のもとへ駆け寄り、病んだ目を診て貰った。母は少し充血しているが大事無いと言った。ドルエルベニは安堵し、母に感謝した。


 母はドルエルベニの挙動不審を感じ取り、ドルエルベニの匂いを嗅ごうとした。母から逃げ回っているうちに、日はとっぷり暮れていた。父が帰宅する迄、母の執拗な詮索を躱し続け、疲弊したドルエルベニは、何も考えずにぐっすりと眠った。


 そして、明くる日。昨日はついかっとなって、みっともない真似をしてしまったと、ドルエルベニは忸怩たる思いに苛まれていた。小さなルルヴルグの前で醜態を晒したことは、ドルエルベニの屈辱感をいっそう深刻なものにしていたのだ。


 ルルヴルグはきっと、ヴルグテッダに告げ口したのだろう。そう思えば、ヴルグテッダの移動式住居を訪ねようとは思えなかった。


 ドルエルベニが厩で牝馬の世話をしていると、ヴルグテッダがルルヴルグの手を引いて、ドルエルベニを訪ねて来た。ドルエルベニは悄然と項垂れるルルヴルグの姿を見て目を剥いた。


 ひどい有様だった。滝のように背を流れていた黒髪はざんばらに顔に打ちかかり、その耳殻や額、頬には切り傷が散見された。


 ヴルグテッダによると、昨晩、ルルヴルグは両親の目を盗んて鋏を手に取ったそうだ。見様見真似で散髪しようとしたらしい。ヴルグテッダが止めに入ったからこれで済んだが、過保護に育てられ、刃物を握ったこともないルルヴルグのことである。放っておいたら、手元が狂い、取り返しのつかない傷を負ったかもしれない。


 ヴルグテッダが事情を説明する間に、ルルヴルグはヴルグテッダの背に隠れていた。話し終えたヴルグテッダに促され、おずおずと前に出ると、ぺこりと頭を下げた。


「昨日はごめん。もうしない。だから、また、一緒に遊んでくれる?」


 潤んだ瞳に見つめられれば、嫌でもわかる。ルルヴルグが自傷と紙一重の奇行に走ったのは、ドルエルベニの為だ。ドルエルベニに嫌われたくない一心で、母譲りの黒髪を切ったのだ。


 元より、ドルエルベニはルルヴルグを赦すつもりだった。ヴルグテッダと交わした約束を守るには、ルルヴルグを赦さなければならないから。


ーーしかし、ここまでされると、なんだか、胸を締め付けられるような感じがする


持たざる者の子でありながら、なんといじらしいことをしたものだろう、なんて、感慨に耽りそうになる。今になって思えば、血迷ったとしか思えないのだが。


「……別に、気にしてない」


 ぶっきらぼうに答えると、ルルヴルグは目を輝かせて、ドルエルベニに抱き着いた。ヴルグテッダの手前、べたべたするなと無碍に振り払うことは出来ない。ヴルグテッダに頭を撫でられながら、ドルエルベニは精一杯の渋面を作っていた。


 ーールルヴルグは、あの出来事を覚えているのだろうか? 否、覚えていまい。あの時、ルルヴルグはまだ四歳だった。そもやそも、覚えていたとして、何だと言うのだ? 小人の頃の思い出のひとつやふたつ、何でもない。現状は変わらぬ。何ひとつ


 ドルエルベニは嘆息した。ドルエルベニの視線の先で、ルルヴルグは少女に微笑みかける。


「我が名はルルヴルグ。骸竜軍鉤爪の軍団長を拝命している。お主は何者だ? 名は何と言う?」


 イリアネス語の名乗りと誰何に、少女は凝然として答えない。己を殺す筈の仇敵が、悠長に話しかけてくる現状に理解が及ばないのだろう。ドルエルベニも同感である。


 ルルヴルグはまじまじと少女の顔を見る。暫くして、己を指差し「ルルヴルグ」、次いで少女を指差し「お主の名は?」と小首を傾げた。少女の沈黙を、言葉を聞き取れない故の困惑によるものと解釈したらしい。


 少女はルルヴルグを凝視している。そして、口を開いた。


「ど……うし……て」


 喘ぐような息遣いに揺り動かされる胸の上で、少女は両手を合わせる。少女は首飾りを身に着けており、その垂れである、金の輪が胸元にある。ドルエルベニの小指に辛うじて嵌まるくらいの、小さな輪だ。少女の右手が、それを掴む。少女の目つきが変わった。


「お前なんかに名乗らなきゃいけないんだ!」

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