42.ドルエルベニ 「度し難い愚昧者だ」
首領は血の精霊夢使いの身柄をルルヴルグに預けた。それはルルヴルグが熱望したことだった。
ルルヴルグは血の精霊夢使いに一騎討ちを申し込み、それに勝利する。そして、血の精霊使いを生け捕りにする。血の精霊夢使いの抵抗を封じる為に、薬を使用する。ルルヴルグからそう告げられたとき、ドルエルベニは驚愕し、断固として反対した。
「毒や薬を頼みにするなど、道に悖る行為だ」
ドルエルベニの反駁は骸竜の戦士の総意である。誇り高き骸竜の戦士にとって、頼るべきは己の心身のみ。毒に頼り薬に縋るくらいなら、潔く死んだ方が良い。真の戦士は、限りある身命より魂の尊厳を重視する。ルルヴルグもそうに違いない。
ルルヴルグに戦士の心得を説いたのは、他ならぬドルエルベニである。ルルヴルグはドルエルベニの教えを守り、一度たりとも掟に抵触することなく、鉤爪の軍団長となった。その在り方は正しく、真の戦士であると言えよう。
だからこそ、ルルヴルグが戦士の矜持を度外視するというのは、にわかには信じ難い事態であった。
ルルヴルグが立案した作戦を実行するにあたり、ルルヴルグは仇敵である血の精霊夢使いを捕虜にするという禁を犯すことになる。首領より「骸竜族の為」であるという大義名分を与えられたとは言え、戦士達がそれを鵜呑みにするとは思えない。これでは、ルルヴルグの権威が失墜しかねない。
しかし、ルルヴルグはドルエルベニの反対を一蹴した。
「首領のお許しは得ている」
これにはドルエルベニもぐうの音も出ない。首領の意思は骸竜の社会において、どんなに理路整然たる正論にもまさるのだから。
しかしその理屈では、戦士達を論破することは出来ても、納得させることは出来まい。ただでさえ、軍団長ルルヴルグに反感を抱く者は多いのだ。一度ならず二度までも禁を犯すとなれば、首領の許しを得ていると言えど、ルルヴルグに対する戦士達の反発はますます強まるだろう。
ルルヴルグは何も、毒を以て敵を討つとか、薬を以て死を免れるとか、そのような、卑劣でやましいことをしようとしているのではない。ルルヴルグは正々堂々と戦い、勝利するつもりだ。捕虜とした後、血の精霊夢使いの抵抗を封じる為に、薬を使うことを望んでいた。
血の精霊夢使いを捕虜とすることが、ルルヴルグの秘策の要であるということは、ドルエルベニも理解している。生かしておかねば、人質として機能しないことも。それは、裏を返せば、生きてさえいれば人質として機能するということではないか。
ドルエルベニは諫言を試みる。
「手足の腱を切る。それで事足りるではないか。要するに、精霊夢使いを生かしたまま、抵抗を封じたいのだろう。何も、毒薬を使う必要はない」
ドルエルベニの言い分は正論であった。ところが、ルルヴルグは聞く耳を持たない。しまいには
「ルルヴルグはこの件について、ドルエルベニに相談しているのではない。決定事項を伝えたのだ」
と言い切った。
取り付く島もない拒絶が跳ね返ってきたことに、ドルエルベニは面食らった。そして、それ以上にドルエルベニを驚かせたのは、ルルヴルグが血の精霊夢使いを五体満足で生かしたい一心で、毒薬を用いることを望んでいるということだ。
何故ルルヴルグは血の精霊夢使いの消耗を嫌うのか。ドルエルベニにはわからない。ルルヴルグの目はどこか遠くを見つめたまま、ドルエルベニと目を合わせようとしない。
とにかく、副長として軍団長ルルヴルグを諌めなければならない。ドルエルベニは懸命に食い下がった。しかし、何を言っても無駄だった。
首領が許しを取り消さない限り、ルルヴルグが思いとどまることはないだろう。首領とドルエルベニは父と子の間柄である。鉤爪の副長に過ぎないドルエルベニの意見によって首領が翻意したとなれば、皆、首領の公私混同を疑う。
こうなってしまっては、これ以上、何をどうしようと、徒労に終わることは火を見るより明らかである。しかし、ルルヴルグの為を思うと、すごすごと引き下がる訳にはいかない。
ドルエルベニは不甲斐ない副長のせめてもの勤めだと思って、こう言った。
「首領のお許しがあったとしても、このことをみだりに吹聴してはならぬ。軍団長ルルヴルグの名に傷がつく」
「ああ、そうだな」と事も無げに答えるルルヴルグは、心ここにあらずといった体であった。血の精霊夢使いに逃げられてからというもの、ルルヴルグは何処で何をしていても、半ば上の空であるようだった。
そうして、ルルヴルグは血の精霊夢使いとの一騎討ちに勝利し、血の精霊夢使いを生け捕りにした。
血の精霊夢使いは夢と現の狭間で朦朧としていた。ルルヴルグ曰く、意識に靄をかける薬の効能であるとのこと。ルルヴルグはこの怪しげな薬とやらを、旅行栗鼠から調達したそうだ。
ルルヴルグは甲斐甲斐しく血の精霊夢使いの世話をしていた。
傷の手当をして、様々な薬を使って、水を飲ませて。果実を食べさせて、身体を清めて。ありとあらゆる手を尽くして。血の精霊夢使いを死なせないよう、付きっ切りで看護していた。
ドルエルベニは空を仰ぐ。すでに西の残光にはけわしい山々が重なって見える。
五日かけて、骸竜軍は集落へ帰還を果たした。それが今朝のことだ。
ーー血の精霊使いは覚醒しただろうか
ルルヴルグは血の精霊夢使いが覚醒し、言葉を交わすことを心待ちにしていた。そもそも、昏睡状態では死体と大差なく、人質としての役目を果たせまい。作戦遂行には精霊夢使いの覚醒が必要不可欠である。
旅行栗鼠が上客であるルルヴルグに粗悪品を掴ませることは無いだろう。もし、毒薬の効能が触れ込みと違えば、旅行栗鼠が失うものは上客の信用だけでは済まない。
「誰ぞが、奴隷達を見張っているのだろうな?」
ドルエルベニはノゾンゾに訊ねる。ノゾンゾはぴんと伸ばし、答えた。
「はい! あっ……いいえ! 奴隷を見つけた時、ノゾンゾはひとりでしたので!」
ーーこいつは、度し難い愚昧者だ
ドルエルベニはノゾンゾを見限った。
「よくわかった。本件はドルエルベニが預かる。以後、ノゾンゾは奴隷遊びをするな。もう良い、失せろ」
そう言い放ち、ドルエルベニはノゾンゾを押し退けた。ルルヴルグの移動式住居に向けて、大股に歩いて行く。
集落に帰還するなり、ルルヴルグはバジッゾヨを呼び付け、自身の移動式住居周辺の人払いを命じた。それから、眠り続ける血の精霊夢使いを移動式住居に連れ込んで、そのままひきこもった。
バジッゾヨはルルヴルグの命に従い、人払いの手配をしていた。バジッゾヨの配下が周囲の見張りを勤めている筈だ。足手まといを背負い、見張り役の目を盗んで移動するのは至難の業である。奴隷が不用意に動けば、たちまち見張り役に見つかり、取り押さえられるだろう。騒ぎになっていないということは、つまり、奴隷は物陰に身を潜めていると考えられる。
ルルヴルグの移動式住居の全容が見えたところで、ドルエルベニは足を止めた。見張り役は移動式住居から三アーダ程の距離をとっている。
ーー妙だな。風の姿が見えぬ
風はルルヴルグを己の番であると認識しており、夜も馬群に加わらず、ルルヴルグの傍にいたがる。ルルヴルグの移動式住居の傍らで休み、ルルヴルグが扉を開けば、まっしぐらに駆け寄って行き、ルルヴルグを外に引き摺り出そうとする。ルルヴルグがちゃんと叱らないので、ずっとそのままなのだ。
そんな風は今、ルルヴルグの傍を離れて、何処にいるのか。
ーー嫌な予感がする
ドルエルベニは大きく口を開き、舌を突き出し、空気のにおいを嗅いだ。近くに食料庫があるので、奴隷の血臭を嗅ぎ分けることは困難だ。しかし、風の匂いならば、嗅ぎとることが出来る。何せ十二年来の付き合いだ。
ドルエルベニは匂いを辿り、ルルヴルグの移動式住居から八アーダ程離れたところにある、移動式高床倉庫に到達した。風はそこにいた。移動式高床倉庫の周囲を行ったり来たりしてしている。そうかと思えば立ち止まり、床下に頭を突っ込み、羽を上げて、けたたましく吠えだした。くぐもった悲鳴が聞こえる。ノゾンゾの奴隷が悲鳴を上げたのだろう。奴隷はこの高床倉庫の床下に身を潜めていたのだ。
ドルエルベニは空を仰いだ。騒ぎを聞きつけ、駆け付けて来た見張り役は、呆然と佇立するドルエルベニと高床倉庫の床下に頭を突っ込んで盛んに吠え立てる風を交互に見た。ドルエルベニは見張り役に
「この場はドルエルベニが預かる。お主は持ち場に戻れ」
と言い付けて追い払う。そうしている間も、風は吠え続ける。それもさもありなん。風は番に異変を知らせ、警戒を促しているのだから。
ドルエルベニは振り返る。間もなく、ルルヴルグの移動式住居の扉が開いた。




