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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
41/58

41.ドルエルベニ 「尻拭いをする羽目になるとは」

 ドルエルベニは勢いよく立ち上がった。その弾みで椅子が倒れた。そんなことはどうでも良い。


 ドルエルベニは移動式住居の屋内を横切って、外に通ずる扉を開け放つ。扉の外では、小柄な戦士が直立不動の姿勢をとっている。あどけなさを残すその顔を見て、思い出した。此奴は、配属式でルルヴルグに名を呼ばれた時


「鉤爪!? 牙じゃない! 牙の戦士になりたかったのに! 何故!? ノゾンゾがチビだから、鉤爪に配属されたのですか!?」


 と叫んだ青二才だ。次の瞬間、はっとして両手で自身の口を塞いでいた。とんだ無調法をしでかしたと自覚する程度には道理を弁えているらしいが、度し難い痴者である事に変わりない。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。そう思ったのはドルエルベニだけではあるまい。同期の戦士達も恐らく同感だろうと思う。ノゾンゾの左右に立つ2人の戦士が、ノゾンゾを小突き回していた。ノゾンゾを高座から見下ろす軍団長は皆一様に冷ややかな目をしていた。唯一人、顔を伏せるルルヴルグを除いて。


 ルルヴルグは暫時を経て顔を上げると、えへんと咳払いをした。妙に鹿爪らしく居住まいを正し、こう言った。


「鉤爪の軍団長は、骸竜の大人の中では一番の『チビ』だが、副長は一番の巨漢だ。身長は関係ない。不平不満があるようだが、とにかく、鉤爪へようこそ」


 ノゾンゾの無礼を軽くあしらい、その後は何事も無かったかのように、鉤爪に配属される新入りの名前を読み上げる作業に戻った。ルルヴルグが顔を伏せている間、くすくすと忍び笑いをもらしていたことを知るのは、傍らに控えていたドルエルベニだけだろう。


 心無い戦士達が鉤爪を「掃き溜め」と蔑称していることは、ドルエルベニの耳にも、ルルヴルグの耳にも入っている。戦士の配属は首領と軍団長の話し合いにより決定されるもので、先鋒を務める鉤爪が落伍者の集まりというのは事実無根の悪評に過ぎない。しかし、戦士見習いの中には、この巷説を真に受ける青二才が掃いて捨てるほどいる。彼等は異口同音にこう言う。「『持たざる者』の率いる軍団など、落伍者の集まりに決まっている」と。


 ノゾンゾはそんな、ありふれた若者の中の一人なのだ。とは言え、ここまで迂闊な奴は珍しいが。


 その後、ノゾンゾは終始、蛇に睨まれた蛙のようになっていた。配属先の軍団長に目をつけられたと思ったのだろう。その認識は、あながち間違えだとは言えない。ただし、目をつけると言っても、ノゾンゾが思うような、悪い意味ではなくて。


 ルルヴルグは腹蔵なく、忌憚なく物を言う、真卒な輩を好むのだ。ドルエルベニに言わせれば、ノゾンゾはただの粗忽者だが、ルルヴルグはそう思わないのである。


 ルルヴルグは自分の配下に寛容であり、私的な制裁は極力避ける主義だ。掟に背いたり、道徳に反したり、軍団の規律を乱したりない限り、罰することはない。


 ルルヴルグの人となりも、好悪の情も、ノノンゾが知る由もなく。ノゾンゾはルルヴルグに目をつけられたと思い込んでいるようだ。配属から半年経った今も尚、ルルヴルグの前に立つと、生きた心地がしない様子である。


 ーー配属式の失態に加え、此度の失態。ドルエルベニがノゾンゾの立場ならば、死を覚悟するところだ


 骸竜の戦士であれば、そうあるべきだろう。ところが、ノゾンゾは直立不動のまま、身動ぎもしない。只管、ドルエルベニが何か言ったり、何かしたりするのを待っている。もっと言うなら、ドルエルベニが「なんとかしてくれる」のを待っているのだろう。


 つまり、母の懐にいる幼仔のように、すっかりドルエルベニに頼りきり、任せきりになっているのである。これには、ドルエルベニも呆気にとられてしまった。


 こうなってしまっては、ドルエルベニが水を向けてやらなければ、埒が明かないだろう。ドルエルベニは深い溜息をついた。


「……奴隷を加工していなかったのか?」


 ドルエルベニの問いに、ノゾンゾは蚊の鳴くような声で、はい、と答える。


「以前、加工中に奴隷を死なせてしまったことがあって……安い買い物ではないのに、もったいなくて、それで……檻に入れているし、問題ないかと……」

「檻に入れただけ? 拘束もせず?」


 ノゾンゾがかすかに肯く。ドルエルベニは今一度、深い溜息をついた。


 集落における奴隷遊びは、奴隷を決して逃さないよう、細心の注意を払うものだ。奴隷の四肢の腱を切るか、四肢を詰めるかして、奴隷の自由を奪うことが一般的である。集落の周囲には、戦士達が交代で見張り番をしているので、奴隷が集落から逃げ果せるとは考え難い。それよりも、奴隷が集落を徘徊し婦女子を害することが懸念される。そうなっては一大事だ。奴隷はルルヴルグの移動式住居のすぐそばに潜伏しているらしい。軍団長の移動式住居の近くには、首領や婦女子の移動式住居がある。逃げ出した奴隷が、婦女子と鉢合わせになってもおかしくない。


 奴隷が婦女子に危害を加えずとも、奴隷を野放しにしたと女達に知れれば、女達が烈火の如く怒り狂うのは目に見えている。それだけでは飽き足らず、戦士達の奴隷遊びの廃止を求めて、猛烈に抗議するだろう。そもやそも、大多数の女達は戦士達が奴隷遊びに興じることを快く思わない。


 ーー面倒なことになった


 この事故について、ノゾンゾがドルエルベニに報告し、指示を仰いだからには、ドルエルベニはこれを解決しなければならない。「自分で考えろ」とノゾンゾを突き放すことも出来るが、それでノゾンゾがまごまごしている間に、奴隷が婦女子を襲撃すれば、ドルエルベニの落ち度になる。そもそも、ノゾンゾの奴隷はドルエルベニの奴隷を連れて逃走したのだから、知らぬ存ぜぬでは通るまい。


 ーーノゾンゾの失態に巻き込まれた挙げ句、その尻拭いをする羽目になるとは


 こうなってしまったからには、可及的速やかに奴隷を捕らえるべきだ。ルルヴルグは移動式住居の付近から人払いを命じているが、この緊急事態について説明すれば、已むを得ないと立ち入りを許可するだろう。ルルヴルグのことだから、ノゾンゾの失態を知っても、実害が出なければ、厳罰に処すことは無い筈だ。


 ノゾンゾを懲らしめる為に、己で奴隷を捕らえ、己でルルヴルグに謝罪しろと言いつけてやろうか。しかし、その考えはすぐに打ち消さなければならなかった。


 ーー今はだめだ。今のルルヴルグは、いつものルルヴルグではない


 至尊の森の畔の戦いにおいて、ルルヴルグは自制しきれず、怒りを振り回す醜態を演じた。


 ルルヴルグは一騎打ちをした精霊夢使いをみすみす逃した。そういうことになっている。ルルヴルグが己の敗北を認め、首を差し出したという事実を知る者は極めて少ない。ルルヴルグ自身を除けば、その場に居合わせ、尚且つ、イリアネス語を解するドルエルベニと、ルルヴルグから報告を受けた首領だけだ。


 ルルヴルグの喉笛に槍の穂先を突きつけた精霊夢使いは、ルルヴルグの首を刎ねようとしていた。ところが一陣の雪風が吹き抜けるや否や血相を変えた。ルルヴルグに背を向け、四足の馬を駆り、風上に向かった。


 衆目のなかでルルヴルグが激昂するのは、初めてのことだった。ルルヴルグはイリアネス語の怒号を上げ、右太腿裏に深手を負ったにも拘らず、(ショルヒ)に跨り女を追おうとした。


 ドルエルベニはルルヴルグの愚考を諌めるべく言葉を尽くしたが、ルルヴルグは聞く耳を持たなかった。ルルヴルグはドルエルベニの反対を押し切って追跡を強行しようとした。ドルエルベニはやむにやまれず、ルルヴルグを羽交い締めにした。ルルヴルグは激しく抵抗した。小人の頃にそうしたように、嫌がるルルヴルグを強引に抱き抱えると、激昂したルルヴルグは肘を曲げたまま拳を突き上げた。ルルヴルグの拳はドルエルベニの顎を強打し、ドルエルベニは仰け反った。


 小人の頃は、ルルヴルグの抵抗をいなすのは、赤子の手をひねるようなものだった。


 しかし、今はもう、昔のようにはいかない。そのことを痛感させられた。


 ドルエルベニを撲ったことで、ルルヴルグは正気に戻った。ドルエルベニの顔を覗き込み「すまない、大丈夫か?」と訊ねる顔が蒼白になったのは、出血のせいばかりではないだろう。


 その瞬間、ルルヴルグは、まるで昔のルルヴルグのようだった。ドルエルベニの庇護が無ければ生きていけない、小さなルルヴルグ。今はもう、何処にもいないのに。


 ルルヴルグは平静を取り戻し、一命をとりとめた。しかし、完全に正気に返ったとは言い切れない。あれ以来、ルルヴルグは血の精霊夢使いの女に対する妄執に取り憑かれているようだ。

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