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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
40/58

40.ドルエルベニ 「厄介事か?」

 

 寄り合いの場は水を打ったように静まり返る。ルルヴルグをあてこすっていたボボルボッカも口を閉ざして頭を垂れた。なんびとたりとも、首領の言葉を遮ってはならない。骸竜ならば、小人でも知っていることだ。


 ルルヴルグは首領のほうに向き直り、慇懃な目礼を送る。それから、ちょっと眉をひそめ、じっと首領の顔を見た。


「売り言葉に買い言葉で本気の口喧嘩をして、議論の本題から外れると思われるのは心外だ」と言いたげなようすである。


 ルルヴルグは忍耐強い。同世代の若者と比べると落ち着きがある。


 老成した戦士のようにとりすます態度は、しばしば年長者の反感を買った。ならば、若者らしく血気盛んであれば皆が満足するかと言うと、そうではなかった。


 ルルヴルグを毛嫌いする戦士達は、とどのつまり、ルルヴルグが骸竜と持たざる者の間に生まれた混血児であり、優れた戦士であることが気に入らないのだから。


 ルルヴルグは持たざる者を母に持つという理由で、差別と偏見に晒され、辛酸を嘗めてきた。それによって根性が歪んでも不思議は無かった。しかし、ルルヴルグが道を踏み外すことはなかった。


 重い剣撃を受け流すように、理不尽な敵意を受け流す。それが逆境に身を置くルルヴルグの処世術である。


 ルルヴルグが血気に逸り、月並みな挑発に乗ることはないと、ドルエルベニは確信している。首領もドルエルベニの意見に同感するだろう。


 ところが、首領は戦略の説明を、その発案者であるルルヴルグに一任しなかった。軍団長をつかまえて、箸にも棒にもかからぬ青二才のように扱った。ルルヴルグが憮然とするのも無理もない。


 ーールルヴルグは常に冷静沈着の戦士だ。滅多なことでは取り乱さぬ。ルルヴルグ自身、そう自負しているだろう。ルルヴルグの自制心に関しては、疑う余地がない。ドルエルベニはそう確信していた。……ルルヴルグが血の精霊夢使いの女と一騎討ちをして、逃げられる迄は


 あの時のルルヴルグの狂乱を思えば、首領の容喙は妥当と思われるのである。


 首領はルルヴルグの方に目を向けた。その視線はルルヴルグではなく、その背後に控えるドルエルベニを捉えている。

 ドルエルベニは首領と目があうと、さっと他へ目をそらした。


 首領が静かに嘆息するのを、ドルエルベニは耳に聞くような気がした。首領はおもむろに口を開く。


「我等は骸竜、強大な竜の末裔。竜の血を誇り、高潔な魂を尊ぶ者。骸竜の戦士は命ある限り、無数の戦争へと乗り出し、みごと戦士の一分を貫き本懐を遂げる。これもひとえに、骸竜の女達の並々ならぬ努力と献身があるからこそ。女達が日々の糧を得て、小人達を産み育て、郷里を守るからこそ、戦士達はひとすじの理想に勇往邁進を続けられるのだ。また、言うまでもなく、産卵はまさに命懸けの大事である。子宝に恵まれても、産褥にて夭逝することも少なくない。女達は骸竜の宝と言えよう」


 ドルエルベニは思い掛けず、ニヴィリューオウの横顔を見つめていた。六年前、ニヴィリューオウの妻シャニーンは産褥で亡くなった。


 シャニーンは自ら進んで老人や病人の面倒を見る、心優しく慎ましい女だった。厄介者扱いされるルルヴルグに対しても丁重に接して、ルルヴルグは大いに恐縮したものだった。


 ニヴィリューオウは小人の頃から五歳年上のシャニーンに熱を上げており、マムナリューカは幼い頃からシャニーンを「姉様」と呼びならしていた。幼くして母を亡くしたマムナリューカは、十歳年上のシャニーンを姉というより、母のように慕っていたようだった。


 シャニーンの早すぎる死は、骸竜族に深い悲しみをもたらした。


 産婆をしたドルエルベニの母は「可哀想なシャニーン。助けてあげられなくてごめんなさい」と泣き崩れ、マムナリューカは暫くの間、心も空に泣き暮らすばかりだった。


 妻に先立たれ、妻の忘れ形見である卵を抱いたニヴィリューオウの心中は察するに余りある。


 あれから六年経ったが、ニヴィリューオウは今も尚、沈痛悲壮な心を抱いていることだろう。


 暫時を経て、首領は続けた。


「イリアネス軍に限らず、持たざる者にとって、骸竜軍は脅威であろう。持たざる者の奇妙奇天烈な仕掛け武器も、忌々しい魔法も、我等の突撃を阻むことは出来ぬ。骸竜を挫くには、どうするのが得策か。骸竜の集落を蹂躙し、婦女子の命を奪えば良い。イリアネス軍が、そのような結論に辿り着いたとしたら、どうだ。婦女子を失うことは、未来を失うのと同じこと。他部族から女を得ようにも、女を奪われた部族が黙っておらぬ。竜の末裔同士、女を巡り争い、我等は滅びゆく部族となる。さすれば、持たざる者の思う壺であろう」


 首領はルルヴルグをじっと見つめて、目配せをする。ルルヴルグは首肯し、一歩前に出た。


「このまま風の精霊夢使いの台頭を許せば、イリアネス軍はいずれ、骸竜の集落を見つけ出す。戦士達の不在を狙い、集落を襲撃するやも知れぬ。返り討ちにしても、各地を転々としても、何処迄も追いかけて来るだろう。イリアネス軍が骸竜の婦女子に狙いを定めれば、婦女子の犠牲は避けられぬ。兵の数において、持たざる者は我等を圧倒するのだから。なればこそ、風の精霊夢使いを始末せねばならぬのだ。風の精霊夢使いは、至尊の森の戦いにおいて、重要な功績をあげ、己の価値を示した。イリアネス軍は風の精霊夢使いを重用するだろう。その身命を惜しみ、前線に送らぬだろう。出て来ないのならば、攻め入るか、誘き出すか。ルルヴルグの秘策とは、こうだ」


 そう前置きをして、ルルヴルグは策について詳らかにした。


 戦士達は互いに顔を見合わせて、騒然とする。ルルヴルグは戦士達の顔を順番に見て、ざわめきに負けないように声を張った。


「問おう。骸竜の戦士達よ。我等が守るべきは、戦士の誇りか? それとも、骸竜の未来か? 骸竜族の命運は、我軍が新たな戦略を認めるや否やにかかっている」


 戦士達は苦悩の泥濘の中で呻吟した。呻吟の末、沈黙した。否やを唱える者は誰もいなかった。ルルヴルグの権謀といえども、首領の権威あってのことであった。


 ドルエルベニはルルヴルグの後ろ姿を凝視した。束髪の陰に隠れて、うなじのほつれ毛が震えていた。鱗に鎧われぬ白肌に滲む儚さは、小人の頃のルルヴルグを思い起こさせる。


 ルルヴルグが振り返る。


 ドルエルベニと目が合うと、ルルヴルグは大きな目を輝かせて喜ぶ。赤ん坊の頃からそうだった。そうでなくなったのは、いつからだろう。ルルヴルグは目を伏せ、額に張り付く髪を鬱陶しそうにかきあげた。


 夢を見るように追想に沈んでいた意識は、扉を叩く音と「副長ドルエルベニ」という声によって引き上げられる。


 バジッゾヨの声ではない。聞き覚えのある声だ。確か、鉤爪の傘下に入ってまだ日が浅い、若い戦士の声だ。


 ドルエルベニは目を閉じて、深呼吸をする。それから「なんだ」と問うた。


 駆け出しの戦士が、直属の小隊長ではなく、敢えて、鉤爪の副長であるドルエルベニを訪ねて来たのだ。切迫した事情があるのだろう。水を向けてやらねばなるまい。


ーー厄介事か? バジッゾヨが訪ねて来る前に話が済むと良いのだが


 戦士は名乗りもせず、おろおろと、しどろもどろに、突拍子もないことを言い出した。


「申し上げます……その……ノゾンゾの奴隷が檻から逃げまして……副長ドルエルベニの奴隷を檻から連れ出し……すぐに見つけたのですが……奴等、軍団長ルルヴルグの移動式住居のすぐそばに潜んでおり……離れようとしないのです。捕まえようにも、軍団長ルルヴルグは人払いをされておいでですから……お騒がせするのは、如何なものかと……それで、その……ノゾンゾは、いったい、どうすれば良いのでしょう……?」

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