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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
39/58

39.ドルエルベニ 「一睡の夢であったかのようだ」

 

 暗中摸索しながら生きていた幼年時代。戸惑いも苛立ちも、過ぎ去れば不思議と慕わしく、何時の間にか愛着を寄せる思い出となってゆく。


 ドルエルベニは夢の最中から、現実へと舞い戻った。ところが、閉じている瞼の裏に思い出が断りもなく滑り込んで来る。母馬の後追いをする雛馬のように、ドルエルベニの後を付いて回る小さなルルヴルグと共にあった思い出。もはや感傷の泡沫に過ぎないそれを、ドルエルベニは忘れ得ないのだ。


 ーー今となっては、これまでの一切が、一睡の夢であったかのようだ


 ドルエルベニは頭を振り、目を開く。円形天窓ノンノから覗くのは垂木に切り取られた黄昏の空。頭も瞼も重たかったが、これ以上、寝ている訳にはいかない。


 日没後、バジッゾヨと会う約束をしている。軍団長ルルヴルグの腹心の部下であるバジッゾヨに、どうしても訊きたいことがある。


 ドルエルベニは寝台から起き上がり寝台を囲む帳幕(ソムニィモシュク)を開け放す。迫りくる夜は冷気を纏い、移動式住居の中は冷え切っていた。


 まず、支柱に打ち付けた鈎にひっかけてある、灯葡萄の房に手を伸ばす。熟した実を一粒もぎりとり、天井から吊るした燭台に突き刺した。傷ついた果実は、紫色の外果皮を透かして発光する。ドルエルベニは灯葡萄の外果皮は剥かないで使う。この位の、ぼんやりとした灯を好んでいる。


 フルフの紐(フルフニィホーノル)(天窓の開閉を操作する紐。天窓を覆う布をフルフという)を引いて円形天窓を閉めて、木製の丸椅子に腰掛ける。たん、たん、と音がして、己の尻尾が床を打っていることに気が付く。ドルエルベニがこれをやると、幼いルルヴルグは「それって、貧乏ゆすりみたいなもの?」と言いながら尻尾を掴もうとしていた。そんなことを思い出すと、ついため息が出た。


 虚の谷の戦いから、今日で五日が経った。


 虚の谷の戦いにおいて、ゴルドラン連合軍は勝利を納めた。骸竜軍はこの勝利に重大な貢献をした。しかし、その貢献は骸竜のみならず連合軍に大きな波紋を呼んだ。骸竜軍はイリアネス軍に奇襲を仕掛けたのである。


 まずは鉤爪を率いたドルエルベニが突撃すると見せて、あっさりと退いた。イリアネス軍は伏兵を恐れ、攻撃の手を緩めた。その間に、鉤爪の精鋭を率いたルルヴルグが別道からイリアネス軍の背後へ回り込み、奇襲を仕掛けたのだ。


 さらに、ルルヴルグはイリアネス国にて国家転覆を図る逆賊と秘密裏に結託しており、その一味である魔法使の加勢もあった。魔法使は幻術や詐謀を以てイリアネス兵を撹乱し、奇襲の成功に一役買った。


 これによりイリアネス軍は混乱して後退し、連合軍は勢いに乗って進撃した。骸竜軍は逃げくずれる敵を追って、千を超える首級を挙げた。


 しかし、作戦の成功とは裏腹に、骸竜の戦士の大半は暗澹とした気分で塞ぎ込んでいる。


 骸竜の戦とは、正面を切って敵に挑みかかるものだ。奇襲は非礼であり、卑劣である。骸竜の勇猛さは周知の事実であり、ゴルドラン諸国のみならず、持たざる者達も聞き及ぶところであろう。


 常識を覆し、劣勢をも覆した此度の奇策。その発案者は鉤爪の軍団長ルルヴルグであるという。


 出軍前夜、骸竜の戦士が一堂に会する寄り合いの場において、首領はこの戦略を戦士達に知らしめた。その時、首領はルルヴルグによる献策であると明言し、ルルヴルグもそうと認めた。


 にわかには信じられなかった。軍団長ルルヴルグは骸竜の気風を体現する、非の打ち所がない戦士である。骸竜の誇りを軽んじる筈がない。


 騒然とした座から、牙の軍団長ニヴィリューオウの嘲笑がルルヴルグに牙を剥く。


「鉤爪の軍団長ともあろう者が、何をたわけたことを。さては怖気づいたな。持たざる者に負わされた槍傷が痛むのか? 『傷痕のひと』ルルヴルグよ」


 至尊の森(人族はこれを「人喰らう森」と呼ぶ)の畔の戦いにおいて、ルルヴルグはイリアネス軍に属する精霊夢使いの女と一騎打ちの勝負をし、右太腿裏を槍で穿かれ負傷した。敗亡は免れたものの、深手を負ったのである。それを戦士達の面前で揶揄されれば、憤慨して当然であろう。


 ところが、ルルヴルグは怒りをおくびにも出さず、ニヴィリューオウの皮肉に応酬する。


「では、ニヴィリューオウに問う。誇り高き骸竜の戦士らしく、正々堂々と戦う為ならば、ドゥムス・マムナリューカ、ドゥムス・シャンヴィーの身命を犠牲にしても構わぬと言うのか?」


 妹と愛娘を引き合いに出され、ニヴィリューオウは勃然たる怒りを発した。大地を蹴り、一瞬の内にルルヴルグへ肉薄する。ドルエルベニは思わず知らず、ルルヴルグを背に庇い、ニヴィリューオウの前に立ちはだかった。バジッゾヨが出遅れたのは、ルルヴルグへの忠誠とニヴィリューオウへの畏怖の間で板挟みになって、咄嗟に動けなかったからであろう。


 おろおろするバジッゾヨは情けないが、身の程知らずのドルエルベニよりまだましだ。


 出過ぎた真似をしたと思ったときには手遅れだった。ドルエルベニは戦士達の視線を一身に集めている。首領は呆れが礼に来ると言わんばかりに頭を振った。


 ルルヴルグは四足馬に鞭を当てるかのように、ドルエルベニに指図する。


「下がれ、ドルエルベニ。お主の出る幕ではない」


 ルルヴルグの指摘は至言であった。軍団長同士の悶着に、副長が割って入ることは、道理に合わない。


 ドルエルベニが不埒を働いたから手討ちする、とニヴィリューオウが言い出したとしても、もっともなことだ。万一、そんなことになったら、ルルヴルグはニヴィリューオウに決闘を申し込むだろう。好悪の情は別として、ルルヴルグは奴隷に身を落とすところを助けられた恩義を忘れない。


 ドルエルベニはすごすごとひきざかるしかなかった。ニヴィリューオウはドルエルベニの惨めな姿から目を背ける。友情の埋火を掻き起し、せめて軽蔑の眼差しを向けることは避けたのかもしれない。ルルヴルグはドルエルベニを一顧だにしない。軍団長に恥をかかせた副長に叱責もない。ドルエルベニの胸に忸怩たる思いが込み上げ、それは行き場を失くした。


「ニヴィリューオウよ、お主は早のみこみで心得違いをしているようだ」


 ルルヴルグは言う。


「至尊の森の畔で、イリアネス軍は我等連合軍に夜襲をかけた。友軍の大半は武具を解いて休んでおり、軍装準備の暇も無く敗れ去った。戦場に於いて臨戦態勢を解くなど、全く言語道断だ。しかし、人族が至尊の森を抜け、ゴルドランに奇襲をかけると、誰が予想した?」


 ニヴィリューオウは押し黙ってルルヴルグを睨む。ルルヴルグとニヴィリューオウは犬猿の仲であり、意地の角突き合いが耐えない。それでも、ニヴィリューオウはルルヴルグの主張を傾聴すべき内容だと判断したのだ。尚も食い下がれば、他の軍団長に窘められただろう。


 ルルヴルグは続ける。


「至尊の森に足を踏み入れた人族は悉く、強大な獣に食い尽くされる。それがゴルドランの共通認識だった。我等は事実を誤認していたのだ。イリアネス軍に属する精霊夢使いは、風の声を聞き、風の意志に語りかけると言う。イリアネス軍はこの精霊夢使いの先導により、死傷者を出すことなく、至尊の森を抜けた。風の精霊夢は厄介だ。我等が何処で何をしているか、筒抜けに精霊夢使いの耳に入り得る。行軍中も休憩中も、警戒を怠れば、友軍の二の舞を演じることになりかねぬ。風の精霊夢使いを擁するイリアネス軍にとって、至尊の森は脅威ではなくなった。しかのみならず、婦女子が犠牲になる恐れがあるのだ。風が相手では、移動集落も意味を為さぬだろう。風の精霊夢の力を以てすれば、風は常にイリアネス軍の追い風となろう。我等の出征中を見計らい、骸竜の集落を襲撃すること為し能う」

「もしそれが本当ならば」


 顎門の軍団長ボボルボッカが横から口を挟む。壮者の大多数がそうであるように、ボボルボッカもまた、ルルヴルグの台頭を快く思っていない。


「我等が奇襲をかけたところで、徒労に終わることは目に見えている。精霊夢使いに奇襲は通用しないのだろう」

「精霊夢使いの気を逸らし、隙をつく。ルルヴルグには、その為の秘策がある」

「ルルヴルグの秘策とは、イリアネスの逆賊のことか? 百歩譲って奇襲を許容したとして、同胞(はらから)に仇為す裏切り者には背を預けられぬ。それでこそ骸竜の戦士であろう」

「背を預けるのではない。役立てるだけだ」

「持たざる者を、それも、裏切り者を役立てる? とんでもない話だな。ルルヴルグが奸計を巡らせれば、骸竜の戦士は逆立ちしてもルルヴルグに敵わぬだろうよ」


「お前は骸竜ではない」と暗に言うような口振りである。ルルヴルグは眉間に皺を寄せる。ルルヴルグが言い返すより先に、首領が口を開いた。


「此度の奇策、目的は目先の勝利ではない。骸竜の脅威となり得る、風の精霊夢使いを亡き者として、骸竜の未来を守ることだ」

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