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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
36/58

36.ドルエルベニ 「ドルエルベニの手を離れる為と言うことか」

 事実、ルルヴルグの言う通りだ。骸竜の誰もが皆、ルルヴルグを持たざる者と見做し、奴隷として虐げることを当然視している。


 父は首領の権限によって、ルルヴルグを自身の「愛される小人」として取り立て、骸竜の戦士として生きる道筋を示した。ルルヴルグは「首領はこんなルルヴルグにも別け隔てなく接してくださる」と言い、恩義を感じているようだが、まったく見当違いも甚だしい。


 父がルルヴルグに救いの手を差し伸べたのは、ドルエルベニがそれを切望し、懇願したからだ。父は後々のために息子に恩を売ったのであり、仁徳を施す心など持ち合わせていなかった。幼いルルヴルグに無体を働いていたそうだから、下心の働きもあったのかもしれない。悍ましい。父がルルヴルグに敬われ、得々としているのを見ると虫唾が走る。


 父にとって、ルルヴルグは義甥であり、戦友の忘れ形見でもある。それなのに、父はルルヴルグを保護しなかった。ドルエルベニが手を拱いていれば、ルルヴルグは奴隷として好事家の手に落ち、使い潰され死んでいただろう。


 ルルヴルグを守れるのはドルエルベニだけだった。ドルエルベニは全身全霊を捧げてルルヴルグを守り、身も心も強くなれと修練を積ませて育ててきた。


 そして、ルルヴルグは数多の弱みを克服し、骸竜の戦士となり、小隊長に昇格した。決して口にはしないが、ドルエルベニはルルヴルグの成長が誇らしい。


 ルルヴルグの肉体は持たざる者のものだろうが、ルルヴルグの魂は誇り高き骸竜の戦士のものだ。全ての骸竜が否定したとしても、ドルエルベニだけは肯定する。ドルエルベニがルルヴルグを否定する時は、ルルヴルグが骸竜の戦士でなくなった時。即ち、ドルエルベニがヴルグテッダと交わした約束を反故にした時である。その時、ルルヴルグとドルエルベニは死ぬことになるのだ。


 ヴルグテッダと交わした約束について、ルルヴルグに告げたことはない。この先、告げるつもりもない。告げずとも、命を賭してルルヴルグを守り育てるというドルエルベニの覚悟を、ルルヴルグは理解していると思う。従って、差別待遇によりルルヴルグが自暴自棄になることはない。理不尽に毅然と胸を張って立ち向かう姿勢には、ドルエルベニの期待に応えたいという、いたいけな心が透けて見えた。


 それでも、不当な侮蔑を受け容れることで生じる諦念は、じわじわと精神を蝕む。今は気丈に自分を奮い立たせていても、いずれ卑屈になりかねない。指先から手足が腐り、それが全身に及ぶかのように。


 ルルヴルグの心に忍び込もうとする弱気を駆逐する為、ドルエルベニはルルヴルグを厳しく叱責した。ところが、ルルヴルグは怯んだり不貞腐れたりせず、莞爾と微笑む。


 その微笑みを見る限りでは、ルルヴルグは幸せそのものに見えた。特殊な出自の所為で仲間達に排斥される、孤独な小年しょうねんの微笑みには見えなかった。


「ルルヴルグの為に、ドルエルベニは怒ってくれる。ルルヴルグは果報者だ……ありがとう」


 ルルヴルグはイリアネス語でそう言い、口元に手をやって「言った傍から間違えた」と照れ臭そうに言う。咳払いを挟んだ後、ドルエルベニを見上げる眼差しは、満腔の敬意をこめて真摯そのものであった。


「これまで、ドルエルベニには心配をかけてばかりだったな。すまなかった。でも、もう大丈夫だ。ルルヴルグは諦めぬ。必ず、ルルヴルグを馬鹿にすユ奴等を見返して、誰もが認めユ骸竜の戦士になってみせユ。だかヤ、これからはルルヴルグを庇ったりしないでくれ。これ以上、ドルエルベニに迷惑をかけたくない」


 ドルエルベニはここで、思い上がるなと吼えるべきだった。

 ドルエルベニの献身はヴルグテッダと交わした約束を果す為であって、断じてルルヴルグの為ではない。ルルヴルグの魂の尊厳を守れなければ、その結果ドルエルベニとルルヴルグは、二人共倒れであるから、ドルエルベニはルルヴルグを守らなければならない。それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。ドルエルベニがルルヴルグの為に心を痛めていると決めつけられるのは心外である。


 しかし、ドルエルベニの口は吐息を漏らすだけで、言うべき言葉は喉に閊えていた。ルルヴルグはドルエルベニの沈黙を自分の都合よく解釈したのだろう。白い歯を見せた。


「ドルエルベニには、たくさんのことを教えて貰った。だかヤ、ドルエルベニの後ろ盾をなくしても、何とかやっていけユと思う。ドルエルベニに頼ユのは、もう、やめユかヤ」


 ルルヴルグが笑顔で口にした言葉はずっしりと重く、ドルエルベニの心臓に伸し掛かる。その感覚が何を意味するのか。ドルエルベニにはわからない。


 ルルヴルグが言わんとすることはわかる。ルルヴルグは独り立ちすると宣言しているのだ。


 ーー危険を冒し、バジッゾヨを懐柔しようとしているのも、ドルエルベニの手を離れる為と言うことか


 ドルエルベニは無造作に手を伸ばし、ルルヴルグの喉首を掴んだ。ほんの少し力をこめるだけで、みしりと骨が軋む音がする。


 ルルヴルグは瞠目する。本能的に命の危険を感じたのだろう。ドルエルベニを少しも疑わず、有効な抵抗をする機会を逸してしまったのだ。ドルエルベニはルルヴルグに対して冷眼に一瞥をくれた。


「何というざまだ。これで、独りでやっていけると自惚れているのならば、笑止なことだな」


 そう言って、ドルエルベニは手を放した。真白の喉首には、ドルエルベニの指痕が、焼け付いたかのように紅く印されている。それにルルヴルグの手が添えられると、その小ささが際立った。ルルヴルグは背を丸めて咳き込んだ。ドルエルベニは鼻白む。


 ーー報復の機会を虎視眈々と狙うバジッゾヨを配下にしたり、咄嗟のこととは言えニヴィリューオウ相手に剣を抜こうとしたり、向こう見ずとしか言い様がない。ドルエルベニの助けが無ければ、命がいくつあっても足りぬぞ


 風が嘶き、羽を膨らませ威嚇姿勢をとり、ドルエルベニを睨みつける。風は求愛の踊りを披露する稲光を押し退けて、ドルエルベニを目掛けて突進する。ルルヴルグは右手を突き出して、ドルエルベニに躍りかかろうとする風を制止した。


「風、やめろ!」


 ルルヴルグの指図を受けた風は、ドルエルベニの一歩手前で、前のめりになって立ち止まる。風はキィキィと甲高く鳴きながら、頭を上下左右に振り、足を踏み鳴らした。ルルヴルグは風の首を撫でて宥めると「大丈夫だから、戻れ」と咳枯れる声で言った。その直後、また咳き込む。


 ドルエルベニはため息をつき、ルルヴルグの背を擦ってやる。風はしばらくまごまごしていたが、ここでこうしていても、ルルヴルグは声をかけてくれないと察したのだろう。とぼとぼと来た道を引き返した。


 ルルヴルグはドルエルベニの傍にいる。手を伸ばせば手が届く。当然のことだ。ルルヴルグはドルエルベニの傍を離れてはならない。小鳥のように空高く舞い上がり、何処までも飛んでゆけたとしても、ドルエルベニの手を離れては生きていけない。そのことを、ルルヴルグは自覚している筈だ。


 それなのに、ドルエルベニにはもう頼らないと言い、ドルエルベニと距離を置こうとする。それが自殺行為だと知りながら。


 ルルヴルグにとって、自分の所為でドルエルベニの人格が非難の的になることは、耐え難い艱難辛苦なのだ。だから唐突に、聞き分けのないことを言い出した。


 ーーバジッゾヨ奴。余計なことを言いおって


 ルルヴルグの咳入る声を聞きながら背を擦ってやっていると、やがてルルヴルグは顔を上げた。濡れた瞳がドルエルベニにわかって欲しいと訴えかける。ドルエルベニは素っ気なく目を逸らした。ルルヴルグの独り立ちを承知するつもりはないのだから、これ以上、押し問答を繰り広げたところで、時間の無駄である。


「もう良い。戻るぞ」


 ドルエルベニがそう言った、ちょうどその時。稲光がけたたましく鳴いた。稲光は樫の樹冠を見上げ、飛びつきそうな勢いで吠え立てている。


 ドルエルベニが目を凝らすと、高い枝の上、二匹の行旅栗鼠が身を寄せ合い、身の丈程もある尻尾を左右に振っている。それを見て、ルルヴルグは目を丸くした。


「ブブナ、ナララ? 来ていたのか」


 ルルヴルグがそう言うと、番の行旅栗鼠は耳をぴくりとさせた。口をあんぐりとさせて硬直する。互いに顔を見合わせると、枝から身を乗り出して、木の下を覗き込む。ルルヴルグを見つけると、歓声を上げた。


「あんた、ご覧よ! ルルヴルグぼっちゃまだ! ああ、良かった、助かった! ぼっちゃま、ルルヴルグぼっちゃま! お助け、お助けください! この駄馬が、アタシ達を食べようとして、隙を狙っているんです!」

「おいナララ、鉤爪の小隊長様に向かって、ぼっちゃまはねぇだろうが! ルルヴルグの旦那とお呼びしろ! ああ、ルルヴルグの旦那! どうかお助けを! この駄馬を追い払って下さい!」


 流暢なイリアネス語で喚きながら、ルルヴルグに向けて両手を振っている。


 ルルヴルグはギクリとした様子で振り返る。ドルエルベニの目は据わっているだろう。小動物に愛馬を駄馬呼ばわりされて、面白い訳がない。


 ルルヴルグはそそくさとドルエルベニの傍を離れ、助けを求める小動物がいる樫の木の許に駆けつける。稲光は今にも行旅栗鼠に飛びかかろうとしていた。ルルヴルグがこの場に居合わせなければ、ドルエルベニはやってしまえと言って稲光をけしかけていたかもしれない。


 ルルヴルグは「いやいや、それは違う。稲光は戦士なヤ誰でも恋をすユであヨう名馬だぞ」と世辞を言いながら稲光に近寄る。稲光は翼をひろげ、嘴を打ち鳴らし、羽冠まで逆立てた。ルルヴルグは稲光とドルエルベニの機嫌をとろうとしているのだろうが、取ってつけたようで、真心から出たものとは思えない称賛は不愉快だ。稲光が怒るのも無理もない。


 すかさず、風がルルヴルグと稲光の間に割って入り、ルルヴルグを庇ったので、稲光は渋々引き下がる。意中の雌の機嫌を損ねないよう、蹴りを食らわせたいのをぐっと堪えたらしい。ルルヴルグは風に礼を言うと、頭上で大騒ぎする行旅栗鼠の番を見上げ「降りて来ても大丈夫だ」と声をかける。行旅栗鼠の夫婦は諸手を挙げて喜んで、先を争ってするすると木を降りる。


 ルルヴルグが左手を差し伸べると、まずは雌の行旅栗鼠が樫の木の幹からルルヴルグの前腕に飛び移る。上腕を通って左肩、項を越えて右肩に移動した。雄の行旅栗鼠も雌の後に続き、ルルヴルグの左肩に落ち着いた。さだめしこれで一安心だと胸を撫で下ろしたのも束の間、目をきょときょとさせる。ドルエルベニと目が合うと、ヒィと情けない悲鳴を上げてルルヴルグの肩にしがみついた。雌の方は、感極まってルルヴルグの頭にひしと抱きついた。


「ありがとうございます、ルルヴルグの旦那! お陰様で命拾いしました!」

「礼ならばルルヴルグではなく、風に言ってやってくれ」

「ええ、もちろん! ルルヴルグの旦那にも風にも、感謝しておりますとも! ありがとうね、風! あんたは本当にお利口さんだねぇ。良い子、良い子!」


 雌の行旅栗鼠は風に向き直ると、短い手を精一杯伸ばし、風の頭を撫でる真似をする。風はかちかちと嘴を打ち鳴らした。行旅栗鼠が風の頭を撫でようものなら、風は愚かな小動物を噛み殺すだろう。


 ルルヴルグはかちかちと鳴る嘴を撫でて風を宥めながら、行旅栗鼠に訊ねる。


「ところで、お主達はいつからあそこにいたのだ?」

「あの樫の木の上に、ってことですか? ついさっき、飛び移ったばかりですよ」

「なるほど。稲光よ、樹上の行旅栗鼠を早々に見つけるとは流石だな」


 ルルヴルグは伸び上がって、風の向こう側にいる稲光に声をかける。稲光はルルヴルグをぎろりと睨み、つんとそっぽを向いた。


 雌の行旅栗鼠は稲光を憎々しげに睨みつける。


「これでもかなり用心しながら移動してたんですけどね。恐ろしく目敏いお馬さんだこと!」


 行旅栗鼠が稲光を貶そうとしていると察したのだろう。ルルヴルグは話の穂を継ぎ変えた。


「そう言えば、この前お主達が教えてくれた、大広場の花絨毯を見損ねてしまった。ルルヴルグが見に行った時にはとっくに荒らされた後だったのだ」

「あれまあ。それは、惜しいことをなさいましたね。アタシもちらっと見ましたけど、見る影も無く荒れ果てておりましたものね」


 雌の行旅栗鼠がいかにも残念そうに言う。ルルヴルグは小首を傾げた。


「お主達はついさっき、ここに来たのではなかったか?」

「ええ、ここまで軍営に近付いたのは、ついさっきのことですよ。それまでは、物陰に潜んで物見をしていたんです。同業者から、骸竜軍が勝利の宴を開くって聞きつけましてね。火点し頃には到着して、ルルヴルグの旦那を探していたんです」

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