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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
34/58

34.ドルエルベニ 「ありのままで美しい」

 そこで、ドルエルベニは回想を切り上げる。ドルエルベニが回想に耽る間、ルルヴルグはずっと、風の分厚い舌にべろんべろんと顔を舐め回されていたようだ。けらけらと笑いながら「もうよせ、やめろ」と言うが、その制止は口先だけのもの。本気で制止したいのなら、風の頬を撫でているその手で、思い切り頬を張るべきなのに。


 ーー殴って躾けろと言いつけても、ルルヴルグは殴らぬ。ルルヴルグが風に手をあげるところを見たことがない


 暴力によらずとも、恣意的な愛情表現に目を瞑れば、ルルヴルグは風を大切に育てよく躾けている。うまくやっているのだから、あまり口出しをしない方が良いだろう。


 それでもやはり、熱々ぶりをこれでもかも見せつけられて、地団駄を踏む愛馬が不憫でならず、嫌味のひとつも言いたくなる。ドルエルベニはルルヴルグの束髪を掴んで軽く引っ張った。ルルヴルグがドルエルベニを振り仰ぎ、うん? と首を傾げる。ドルエルベニは肩をすくめた。


「手懐けるのは結構だが、ものには限度がある。至極当然だが、馬は同種族の馬以外と番にならない。つまり、風はルルヴルグを馬だと思っているのだ」


 ため息まじりにこう言うと、ルルヴルグは呵々と笑う。番の羽繕いに精を出す風の嘴を両手で包み込むようにして抑え、にやりとしてみせる。


「馬は美しい生き物だ。同種族と認識されユ光栄を喜ぶべきだな」


 ああ言えばこう言う。しかも、白皙に小憎たらしい微笑を浮かべ、ドルエルベニの皮肉を頭から茶化して面白がっている。ドルエルベニは呆れるしか仕方ない。


 ルルヴルグが風に向き直る。風はルルヴルグの胸に擦り寄り甘えていた。ルルヴルグを見つめる双眸が、余所見をしないでと訴えかけるようだ。ルルヴルグは艶々とした嘴を撫でながら「お前は特別に美しい」と言い眩しげに目を細めた。


 ーー美しい、か


 ドルエルベニは掴んだ束髪をぱっと手放した。黒髪は掌に掬った水のように指間をすりぬけてゆく。毛先はぱさつき、あちこちにはねており、枝毛や切れ毛も多い。傷んでいるのだろう。


 ルルヴルグは髪の手入れに熱心ではない。時々、思い出したように櫛で髪を梳かすだけだ。櫛が通らなければそこで髪を引き千切ってしまう。馬の方が身繕いに手間を掛けているだろう。


 それでも、鴉の濡れ羽色の髪は艶やかに輝き、風に靡く蓬髪は自由奔放に茂る草花の影が彷彿とする。有り体に言えば、美しい。


 ルルヴルグの母親は黒髪の麗人だった。背を覆う長い黒髪は、遠目に見ただけで、豊かな輝きを誇っていた。手入れを怠ったことなどないのだろう。


 ヴルグテッダはルルヴルグの母親について「一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾くと、その美貌を謳われた女」と語っていた。あの女は美しくあることに並一通りでない執着を示した。ヴルグテッダは女の望むままに、櫛や鏡、化粧道具や宝飾品、衣装などを買い与えていた。


 女が着飾ることを、ヴルグテッダは好んでいた。ドルエルベニにはそれが理解出来なかった。


 たとえば、星が瞬く夜空に架かる月をとってきたとする。それを研磨して、貴金属の枠に石留めしたとする。きらきら光る宝石を散りばめて飾り立てたとする。神秘を剥ぎ取られたそれは、もはや月ではない。きらびやかな宝飾品だ。それ以上でもそれ以下でもない。


ーー真に美しいものは、飾らず偽らず、ありのままで美しい。


 ようよう、まともに話しはじめたばかりの幼いルルヴルグが、顔に白粉を塗りたくって、移動式住居から出てきたことがあった。


 ルルヴルグの顔には、円やかな輪郭に沿って、米神から耳の付け根、下顎角のあたりに、青みがかった光沢のある黒い鱗が生えている。ヴルグテッダの鱗と同じ鱗だ。それが、白粉に塗りつぶされていた。ルルヴルグが笑うと、白粉の層は鱗の凹凸をなぞるようにひび割れた。


 滑稽極まりないその顔を見たドルエルベニは度肝を抜かれた。ルルヴルグはにこにこ笑って「母様がきれいにしてくれた」というようなことを舌足らずに話した。ドルエルベニはルルヴルグをつかまえて、有無を言わせず化粧を洗い流した。


 ルルヴルグはわんわんと泣いていたが、ドルエルベニはルルヴルグを泣き止ませる努力を放棄した。ルルヴルグを迎えに来たヴルグテッダは、ルルヴルグをあやしながら、何があったとドルエルベニに問うたが、ドルエルベニは不貞腐れて、答えなかった。


 この頃、ドルエルベニは美醜に殆ど関心をもたなかった。だから、ヴルグテッダから受け継いだ鱗を隠すという愚行に腹を立てていた。


 今になってこう思う。美しい自然物を弄くり回すなどという無粋なことがあるか、と。


 ルルヴルグは母親のように、自身の美貌に拘泥しない。それどころか、極端な醜男であると自認しているふしがある。時折、自らの醜貌を恥じるような言動が垣間見えるのである。幼少期からそうだから、きっと、母親に妙なことを吹き込まれたのだろう。ヴルグテッダがルルヴルグを醜いと罵ることは有り得ないから。


 ドルエルベニはルルヴルグの誤認を正そうとはしなかった。容貌の美醜は骸竜の戦士にとって重要ではない。ルルヴルグの認識はどうあれ、その鋭利な、月の蒼白と夜の漆黒を併せ持つ美々しさが損なわれることもない。


ーー母親のように、自分自身の美貌に陶酔し、鏡を手放さなくなったら、その方が厄介だ


 風がくんくんと悲しげに鳴く。嘴を抑えるルルヴルグに、手を放して、続きをさせてと懇願しているようだ。番を愛でることに精魂を傾ける風にとって、この一時は物足りなくてならなかったのだろう。


 ルルヴルグは風の嘴から手を放すと、風の頬を両手で挟み、引き寄せる。風の耳元に唇を寄せて囁く。


「そんなにしょんぼりして、可愛いやつだ。続きは後で、な?」


 ルルヴルグが風と目を合わせると、風はうっとりと目を細める。ルルヴルグの右頬をぺろりと舐めてから、大人しく引き下がる。稲光はすかさず求愛の踊りを再開するが、風は稲光の方に一顧だにくれようとしない。


 ドルエルベニは愛馬の醜態をなるべくなら視界に入れないようにしながら、ルルヴルグの頭を小突いた。


「歯が浮くようなことを言うな」


 それから、はたと気付いて顔を顰める。


「おい、お前、ドルエルベニと風を同じ様にあしらうとは、どういう了見だ」


 小さな頭を鷲掴みにする。ルルヴルグは問われてはじめて思いついたというように、目をぱちくりさせた。頭を掴まれていなければ、不思議そうに小首を傾げるだろう。


 ドルエルベニは「もう良い」と言い捨てて、ルルヴルグの頭から手を放す。こんな戯れのために、わざわざ場所を変えて、ふたりきりになったわけではない。


「閑話休題、バジッゾヨのことだが。寝首をかかれるとは思わぬか」


 ルルヴルグは間髪入れず「それはない」と答えた。


「そんなことをすれば、正当法ではルルヴルグに敵わぬと認めユことになユ。バジッゾヨの矜持が許さぬだヨう」


 それについては、ドルエルベニも全くの同意見である。ルルヴルグがバジッゾヨを的確に評価したことで、ドルエルベニはひとまず、安堵した。しかし、問答はこれで終わりではない。何故、ルルヴルグはバジッゾヨを配下に置くことを望むのか。ドルエルベニはその理由を知りたいのである。

 

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