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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
33/58

33.ドルエルベニ 「弱い癖に」

 ドルエルベニがルルヴルグを連れ帰ろうとすると、ふわふわは怒って暴れだす。思い返すと、ルルヴルグがふわふわの傍を離れるとき、たいていは、ドルエルベニと共にいた。だから、ふわふわはドルエルベニを、想い合う番の片割れを連れ去る不届き者だと認識しているのかもしれない。ふわふわがやたらとドルエルベニを敵視するのもこれで合点がいく。


 やむを得ず、ドルエルベニはルルヴルグがふわふわに付き添うことを容認した。


 ドルエルベニは一旦移動式住居に戻り、ありったけの毛皮を持ち出した。ルルヴルグが病を得ては大変なので、毛皮でルルヴルグを何重にも包む。大きな毛玉のようになって、身動きのとれないルルヴルグを胸に抱え込み、ふわふわの傍らにどかりと腰を下ろす。


 ふわふわはぶわっと羽を膨らませ、翼を広げた。ルルヴルグがもごもごと何か言っているので、口許まで覆う毛皮を下げてやる。すると、ふわふわは鋭く鳴いて、ルルヴルグに触れたドルエルベニの右手を噛んだ。


 ドルエルベニがルルヴルグを抱えていることに不満を抱いているようだ。ルルヴルグがドルエルベニの腕の中で大人しくしているから、ますます不満を募らせている。


 衰弱した牝馬に噛まれたところで痛くも痒くも無い。しかし、ルルヴルグは目を剝いて「こら! ドルエルベニを噛んじゃだめだ!」とふわふわを叱った。ふわふわは首を竦めると、今にも泣き出しそうな小人のように悄気返る。


 ルルヴルグはそんなふわふわを放置して、気遣わしそうにドルエルベニの顔を覗き込む。


「すまない。手は痛むか?」


 ドルエルベニが「いや」と答えると、ルルヴルグは顔を曇らせる。ドルエルベニがルルヴルグを気遣って、強がりを言っているとでも思ったのだろうか。ドルエルベニは目を眇め「痛くも痒くもない」と付け加えたが、ルルヴルグは長い睫毛の被さる瞳に沈痛な色を浮かべた。


「二度とドルエルベニを噛まないように躾ける」


 ルルヴルグはそう言うが、当のふわふわは恨めしそうにドルエルベニを睨んでおり、反省の色が見えない。


 ドルエルベニは「勝手にしろ」と言い捨てた。誤解を解くために言葉を尽くすのは面倒だった。


 ふわふわは依然としてぐうぐうと唸っている。しかし、ドルエルベニはルルヴルグを抱きかかえて、おろさなかった。これ以上、妥協するつもりはなかったのだ。


 しばらくすると、ルルヴルグは首を回らせて「ドルエルベニ、寒くないか?」と訊ねてきた。ドルエルベニは寒くないと答えた。ドルエルベニが寒いと答えれば、ルルヴルグは「ドルエルベニは移動式住居に帰って休んでくれ。ルルヴルグは大丈夫だから」と言い出すに決まっている。


 ーー弱い癖に、一人前の口をきくものだ


 そうして、ドルエルベニとルルヴルグはふわふわに付き添い一夜を明かした。明るくなると、毛皮に包んだルルヴルグを抱えて地べたに座り込むドルエルベニは、好奇の目に晒される。その頃には、ルルヴルグもふわふわもすやすやと眠っていたので、ドルエルベニはひとりと一頭の安眠を妨げないよう、それだけに心を砕いていた。


 ふわふわの容体が落ち着き、ルルヴルグを移動式住居に送り届けたのは、夕暮れ時のこと。日没後、ドルエルベニは父を訪ねた。


 ふわふわをルルヴルグの戦馬として調教したいと申し出ると、父は「やってみれば良い」と言った。ドルエルベニの耳には「やれるものならやってみろ」と聞こえた。父の失笑はドルエルベニの反骨心に火が点けた。ドルエルベニは必ずふわふわを一廉の戦馬として育て上げると決意した。


 父の了承をとりつけたドルエルベニは、その足で母を訪ねた。母は一人息子の来訪を喜び、今晩は泊まってゆくのだろうと言って、いそいそと寝床の準備を始める。ドルエルベニは母を制止した。


「母様が命を救ってくださったルルヴルグの牝馬は、ルルヴルグの戦馬とすべく訓練します」


 端的に報告すると、母は目の色を変えた。ドルエルベニはすかさず「首領ノヤンのお許しは頂きました」と付け加えるが、母の怒りに油を注ぐだけだった。


「やはりあれは持たざる者(ヒウマウ)の子。母親にそっくりだ。顔貌だけではない。卑しい心根までそっくりなのよ。あれも母親のように、潤んだ瞳をいっそう潤ませて、男の欲心や同情に媚び諂う。自力では何も成し遂げられぬ、持たざる者の汚い遣り口でね。あれを見れば、否が応でも思い出す。持たざる者の色香に惑い、身を持ち崩してしまった、哀れなヴルグテッダ。立派な戦士だったのに、持たざる者に誑かされて、あんなことに……。嗚呼、ドルエルベニ。お前は、ヴルグテッダのようになってはいけない。母を悲しませないでおくれ!」


 ドルエルベニは母の嘆きを聞き流し「もちろんです。母様のご期待に背くことは致しませぬ」と呪文を唱えるように繰り言する。ふわふわの命を救ってくれた母に義理立てをしなければならない。その必要性を弁えていても、内心うんざりしていた。


 ーーこうなることがわかっていたから、母様に報告するのは気が進まなかったのだ


 結局、母がルルヴルグの移動式住居へ殴り込まないよう、ドルエルベニは夜通し、母を宥め続けなければならなかった。


 紆余曲折を経て、ふわふわは戦馬となるべく訓練を開始することになった。


 ふわふわは申し分なく馴致された牝馬であるから、騎乗馴致を終えた段階から訓練に参加することにした。


 いざ訓練する段になると、ふわふわは雄馬顔負けの大胆不敵さを遺憾なく発揮した。若く猛々しい雄馬の群れに取り巻かれても泰然自若として、野獣にも魔獣にも怖めず臆せず立ち向かい、悪路をものともせず駆け抜ける。


 ふわふわは牝馬らしく小柄だが、脚力は素晴らしく、めっぽう足が速い。騎手であるルルヴルグの体重が軽いことと相俟って、早駆けならふわふわの右に出る者はいなかった。


 また、ふわふわは他の誰よりも、まずルルヴルグを大切にする。だから、ルルヴルグの手足となってよく尽くす。これは、戦馬としてこの上ない美点である。


 ドルエルベニが睨んだ通り、ふわふわには戦馬の適性があったのだ。


 そうして、ふわふわ(チウティム)はルルヴルグの戦馬として認められた。戦馬となる際「風の如く駆ける駿馬」を意味するショルヒに改名した。

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