29.ドルエルベニ 「気遣われるとは、情けない」
ニヴィリューオウは極めて明朗な気質の持ち主であり、何でも腹蔵なく自分の心持ちを打ち明ける。ルルヴルグを害する気持ちはないと言うのなら、それが彼の本心なのだ。
と、つい先刻のドルエルベニならば、そのように考えていただろう。
ところが、ニヴィリューオウに寄せる信頼では、今のドルエルベニを得心させることは出来そうになかった。一つ間違えば、ルルヴルグの命にかかわるところだったのだ。
ドルエルベニはニヴィリューオウを信じたいと思う反面、疑わしいと思っている。二つの心が鬩ぎ合い、揉みくちゃにされながら、ドルエルベニは真実を見極めようと躍起になっていた。
「……尻尾による足払い。一撃であれば回避は可能だが、間合いを詰めた上での追撃となれば、回避は困難になる。小隊長ルルヴルグは剣を抜かざるを得ない。連隊長ニヴィリューオウはこの想定をもとに連撃を仕掛けたのだろう」
ニヴィリューオウは思慮深い男だ。考え無しに行動するとは考え難い。ニヴィリューオウは何らかの思惑によって、あのような行動をとった筈だ。考えれば考える程、ニヴィリューオウの殺意が浮き彫りになるようだ。
ドルエルベニの懊悩を、ニヴィリューオウは一笑に付す。
「だから、ドルエルベニが助けに入ることはわかっていたと言っただろう。ドルエルベニはルルヴルグを救った。ルルヴルグは無傷だ。それで良いではないか」
「それは飽くまでも結果論だ」
ドルエルベニはぴしゃりと言った。格上の戦士に対する態度ではない。苛立ちが募り、本音と建前を使い分けることが困難になりつつある。
ーードルエルベニは間に合った。だから、ルルヴルグは生きている。万が一、ドルエルベニが間に合わなければ、ルルヴルグは反逆者に身を落とし、処刑されていた
ドルエルベニはしばらくの間、ニヴィリューオウを見据えていた。ニヴィリューオウに指摘された通り、ドルエルベニの目は怒気を含んでいるのだろう。
ああでもないこうでもないと悩んだ末に、ドルエルベニは開き直り、単刀直入に訊ねる。
「自滅するよう仕向けるのは、害する内には入らぬとお考えになるのか?」
丁寧な言葉遣いが、言葉の剣呑さを際立たせる。
ニヴィリューオウは目を剥いて口を大きく開けて、驚愕をわざとらしく表現してみせた。
「それは邪推というものだ。ルルヴルグが生意気を言うので、少しばかり懲らしめてやった。それだけのことではないか。尻尾で足払いされる程度のこと、骸竜の戦士にはさしたる痛手ではない」
「小隊長ルルヴルグはその限りではない。尻尾の足払いが直撃すれば骨が砕ける。回避中の追撃には剣を振るって応じるより他にない。わかりきったことだ。下衆の勘ぐりとは言わせぬ」
言っているうちに気持ちが昂り、ドルエルベニの質問は詰問に変わっていた。ニヴィリューオウはドルエルベニをまんじりと見つめると、物憂げに嘆息した。
「悲しいことだ。ドルエルベニは疑心暗鬼に陥った。ニヴィリューオウがルルヴルグを陥れて何とする。考えてもみろ。ルルヴルグの死は、ニヴィリューオウを利するものか」
ニヴィリューオウの主張にも一理あると言える。しかし、害する理由がないことは、害さない証拠にはならない。
これがニヴィリューオウの仕業で無ければ。常日頃からルルヴルグを嫌悪する戦士の仕業であったならば。これがルルヴルグを陥れる罠であることは明白に思えるのだが。
ーーニヴィリューオウがそんな卑劣な真似をするとは思えぬ。しかし、ドルエルベニの目には、ニヴィリューオウがドルエルベニの追求をのらりくらりとかわしているように映る。果たしてこれは斜に構えた見方なのだろうか。穿った見方なのだろうか
ドルエルベニは押し黙って、重苦しく抱えた思いを整理しようと試みる。対するニヴィリューオウの苦笑は、頑是ない小人に手を焼く大人のそれだ。ますます気に障る。
ドルエルベニは自分が自制力の強い男だと自負していた。それが、一体どうしたことか。あとひと押しで、ドルエルベニは自制がきかずニヴィリューオウを殴り倒していただろう。
ドルエルベニが拳を握ったとき、出し抜けに、ルルヴルグが沈黙を破った。
「然もありなん。そもやそも、連隊長ともあヨう者が、格下の戦士を謀って死に追いやユことはあり得ぬ。これぞまさしく卑劣漢の所業だ」
ルルヴルグはそう言い放つなり踵を返す。右手を伸ばし、ドルエルベニの右手、人差し指を掴んだ。
ドルエルベニは振り払おうとして、すんでのところで思い留まる。負傷した右手への配慮もある。しかしそれ以前に、指を掴む小さな手を傷つけることのないようにという配慮が、骨の髄まで染み付いていた。
幼いルルヴルグの手は、今よりもっと小さくて、もっとずっと傷つきやすかった。それなのに、ルルヴルグは何かにつけてドルエルベニと手を繋ぎたがるものだから、ドルエルベニはルルヴルグを傷つけないよう、常に細心の注意を払わなければいけなかった。
ーー最後にこうして指を掴まれたのは、いつのことだったか。ヴルグテッダが健在だった頃だから、十年以上前になるか
ルルヴルグがドルエルベニの手を引く。すると、ドルエルベニの意識は十年前に引き戻され、ルルヴルグに誘われるままに歩き出していた。
ルルヴルグはニヴィリューオウに目礼し、立ち去ろうとする。と思いきや、何を思ったのか、ふと立ち止まる。肩越しにニヴィリューオウを見た。ニヴィリューオウは先に振り返ったルルヴルグではなく、ルルヴルグにつられて振り返ったドルエルベニを見ている。
ルルヴルグがひとつ咳払いをする。ニヴィリューオウは見向きもしない。無視されても構わずに、ルルヴルグはニヴィリューオウに、大きな声でゆっくりと語りかけた。
「連隊長ニヴィリューオウよ、先刻の非礼を詫びよう。良かれと思って行ったことだった。大きな声でゆっくりと話せば、聞き取りやすいだヨうと思ったのだ。連隊長ニヴィリューオウは耳が遠いようだかヤ!」
ニヴィリューオウがルルヴルグに目を向ける。ニヴィリューオウと目が合うと、ルルヴルグは金瞳を悪戯っぽく輝かせて微笑む。
ドルエルベニは口をあんぐりとさせた。ニヴィリューオウがルルヴルグの獣吼を解さず、ルルヴルグを小人扱いしたことを、ルルヴルグが根に持っていることは、火を見るよりも明らかだった。
ルルヴルグは呆気にとられるドルエルベニの手を引いて歩き出す。進む先にはバジッゾヨがいて、ぽかんと口を開けて間抜け面を晒している。すれ違い様、ルルヴルグはバジッゾヨに声を掛ける。
「待たせたな、バジッゾヨ。さぁ、共に行こう」
バジッゾヨが体ごと振り向く。目を丸くしたバジッゾヨが何か言うのに先んじて、ドルエルベニは素っ頓狂な声を上げていた。
「……はあ?」
「うん?」
ルルヴルグはドルエルベニを振り仰ぎ、小首を傾げる。「連れて行くのか?」と小声で訊ねると、ルルヴルグは声を潜めることなく「当然、連れて行くぞ」と答えた。
勝手に決めるな、という文句が喉まででかかったけれど、辛うじて呑み込んだ。
この場にひとり取り残されたバジッゾヨが、針の筵に座る思いをしても、ドルエルベニの知ったことではない。しかし、不埒な輩が寄って集って、バジッゾヨを私刑にするようなことになれば、バジッゾヨの生命が絶たれ、ルルヴルグの勝利が徒労に終わってしまう。連れて行くのが得策だろう。
ドルエルベニは「何でもない」と千切って投げるように言った。ルルヴルグはあっけらかんと頷き、ドルエルベニの人差し指をぱっと放した。さっさと歩き出す。ルルヴルグのぬくもりは一瞬で失われ、ドルエルベニは外気をやけに冷たく感じた。
バジッゾヨは窃かにドルエルベニの顔色を窺っているようだった。バジッゾヨの同行を許すのは不本意だと、顔に書いてあるのかもしれない。ドルエルベニがルルヴルグの後に続くと、少し距離を置いて、バジッゾヨがついて来る気配があった。
ニヴィリューオウの視線を背に感じたが、ドルエルベニはもう振り返らなかった。ルルヴルグの幼稚な意趣返しを見届けたことで、ドルエルベニは平静を取り戻していた。
ーードルエルベニがでしゃばることではなかった
この一言に尽きる。
ニヴィリューオウの真意は分からず終いだ。だが、ニヴィリューオウがどういうつもりであったにせよ、これはルルヴルグとニヴィリューオウの問題なのである。第三者が嘴を突っ込む問題ではなかった。それなのに、ドルエルベニときたらついかっとして、ニヴィリューオウに食ってかかってしまった。
ーー為すべきことは為したのだから、その後は、ルルヴルグを諌めたという態で口を閉ざすべきだった
内心、忸怩たる思いであるが、ドルエルベニは何も言わない。何も言うつもりはない。今更、言葉を尽くしたところで恥の上塗りにしかならない。
ドルエルベニは目を伏せる。ルルヴルグの歩調に合わせて、機嫌の良い犬の尻尾のように左右に揺れる髪束を、見るともなく見ていた。
ルルヴルグは怒りで我を忘れるドルエルベニを見兼ねて、強引にあの場からドルエルベニを連れ出したのだろう。去り際の挑発でニヴィリューオウの注意を引いて、ドルエルベニの醜態から注意を逸らそうとまでして。
ーールルヴルグに気遣われるとは、情けない
しばらく歩いて、広場の入口付近までやって来た。ルルヴルグ小隊長の戦士達は、玩弄していた奴隷を既に殺していた。奴隷の死骸を腑分けしつつ、こちらをちらちらと盗み見ている。
先を行くルルヴルグは歩みを止めると、ドルエルベニを振り仰ぎ、訊ねる。
「いつかヤ見て、聴いていた?」
「最初からだ」
「気付かなかった。石を投げた奴が後ヨを振り返り竦み上がユのを見て、やっと気付いた。ルルヴルグは鈍いな」
ルルヴルグは「情けない」と呟く。情けないのはお互い様だと、ドルエルベニは思う。それを口には出さないけれど。
俯くルルヴルグの項に一房の髪が張り付いており、それがやたらと目を惹いた。
ドルエルベニは綾取られる人形のように手を伸ばし、汗ばむ白肌に触れる。擽ったがりのルルヴルグはびくりと肩を震わせるので、ドルエルベニは手を引っ込めた。ルルヴルグは自身の項を左手でおさえて、不思議そうにドルエルベニを見上げる。
髪が張り付いていて、鬱陶しそうに見えたのだ。ドルエルベニがそう言うより先に、ルルヴルグが騒ぎ出す。
「ない……銀狐の毛皮がなくなった!」




