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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
27/58

27.ドルエルベニ 「何故、命を賭けてまで」

 バジッゾヨが次の決闘の抱負を語ったということは、バジッゾヨがルルヴルグの軍門に下る覚悟を決めたということ。それは、ルルヴルグも野次馬達も理解しているだろう。


 ルルヴルグは敢えて、跪け、降参しろとバジッゾヨに命じている。妥協して安易に済ませるつもりはないという意思表示だ。


 バジッゾヨは忌々しそうに妬める目でルルヴルグを睨んだものの、不平不満を口にすることなく、すんなりと片膝をつく。姿勢を低くして上目遣いにルルヴルグを見上げると、戦士の矜持と勝利への執念が軋る声で言った。


「……参りました」


 バジッゾヨは言葉を直した。これが決闘の敗者が勝者の軍門に下るということだ。所属小隊の頭の挿げ替えとは訳が違う。絶対的な主従関係は、バジッゾヨが決闘に勝利する迄続く。


 決闘成立に至るまでには険しい道程がある。此度の決闘が即座に成立したのは、両名が小隊長であり、同等の実力を有すると見做されるから。一介の戦士が小隊長に挑む場合は、まず小隊に所属する戦士達の了承を得る必要がある。


 ルルヴルグもまた小隊所属の戦士達の了承を得て、小隊長アドゥザラムに決闘を申し込んだ。


 尤も、戦士達はルルヴルグの敗北と死を期待して、ルルヴルグの挑戦を了承したのであり、ルルヴルグが勝利して小隊長に昇格するとは夢にも思わなかっただろう。ルルヴルグの師として、ルルヴルグの成長を傍で見守ってきたドルエルベニだけが、ルルヴルグの勝利を確信していた。


 バジッゾヨがルルヴルグに挑むには、ルルヴルグ小隊所属の戦士達の了承を得る必要がある。もちろん、そこにはドルエルベニも含まれる。


 ルルヴルグを過保護に庇うつもりは無い。しかし、易易と小隊長に挑めるとなれば、小隊の規律が乱れる。そうでなくても、ルルヴルグはその出自故に、日常なにかと軽侮の眼で見られ勝ちだ。


 他の戦士達が、挑戦者を見定めるという本来の役目を放棄するならば、ドルエルベニがその役を担わなければならない。

 挑戦者として小隊長に挑むということは、小隊所属の戦士達の信任を得たということ。己の上に立つに相応しい戦士かどうか、公正を期して慎重に見定めなければならない。だからこそ、唯々諾々と小隊長への挑戦を認めはしない。


 ーーバジッゾヨとて覚悟の上であろう


 バジッゾヨはルルヴルグを「ドルエルベニの掌中の珠」と称していた。寧ろ、ルルヴルグに決闘を申し込むには、まずはドルエルベニを決闘で打ち負かさねばならぬと思い込んでいるかもしれない。


 ーーそれはそれで。ドルエルベニに勝る強者ならば、申し分ない挑戦者だ


 ドルエルベニがバジッゾヨに敗れたと仮定して、その後のルルヴルグの末路を想像すると、罪の意識と暗澹たる思いとが、黒い波となってドルエルベニに押し寄せる。想像であっても、とても安閑としていられる心境ではなかった。


 ーー否。ドルエルベニが敗れることはない。そして、敗者を凌辱せんとする卑劣漢の挑戦を認めることもない


 ドルエルベニは決闘において、今を生きる者、誰にも負けぬと自負している。それが自惚れではないことは、自他ともに認めるところだった。


 ルルヴルグは悠然と構え、頭を垂れるバジッゾヨを見下ろす。落ち着き払ったいかめしい態度で言った。


「お主を赦すにあたり、ひとつ、条件があユ」


 バジッゾヨが顔を上げる。瞼がぴくぴくと痙攣している。胡乱な痺れが、精神だけでなく肉体にまで広がろうとしているかのようだった。


 恐らく、ドルエルベニにもバジッゾヨと同じ痺れが広がっていた。


 ーー条件? この期に及んで何を言う


 これまでのルルヴルグの言行は、決闘の勝者として非の打ち所がないものだったと言って良い。とりとめのない話を挟んだことも、バジッゾヨの無礼千万な暴言への意趣返しと捉えれば妥当だろう。


 しかし、跪き降参した敗者の助命に条件を後付けするのは、狡猾な手段と言わざるを得ない。

 バジッゾヨがその要求を呑んでも呑まなくても、禍根が残ることになる。


 ーー戦士の矜持を度外視してでも、バジッゾヨに強いることがあるとでも? 目的を達する為には手段を選ばぬなど、屍鬼の無頼漢共ではあるまいし


 同じ竜の末裔であるとは信じ難い、品性下劣な屍鬼族の言動が想起され、ドルエルベニは渋面をおさえられなかった。


 ドルエルベニは口を開き、そして口を閉ざした。


 ルルヴルグの傍にいると、その未熟さばかりが目につく。しかし遠くから眺めれば、野次馬達を喝破したルルヴルグの毅然とした姿勢は、誇り高き骸竜の戦士のそれだった。


 ーールルヴルグにはルルヴルグなりの考えがあるのかもしれぬ


 呆れるか怒るか。はたまた納得するか。決めるのは、ルルヴルグの提示する条件とやらを吟味してからでも遅くはない。


 土台、これはルルヴルグとバジッゾヨの決闘だ。局外者が嘴を挟むべきではない。


 ルルヴルグはまっすぐに顎を上げる。剣呑な眼光がバジッゾヨを穿く。


「バジッゾヨは『ドルエルベニはヴルグテッダの二の舞を演ずるだろう』と言った。あの言葉を取り消せ」


 バジッゾヨは目をぱちくりさせた。「それだけ?」と首を傾げる。ルルヴルグは戸惑うバジッゾヨを見下ろす。鋭利な、月の蒼白と夜の漆黒を併せ持つ血の気の薄い顔。その表情は冷厳をきわめている。


「取り消さねば殺す」


 剣の柄を握る小さな手に力がこもる。

 バジッゾヨが蟻地獄のような混乱の渦にのまれてゆくのが、傍目にもよくわかった。  


 バジッゾヨは多くの無体を働き、暴言を吐いた。ルルヴルグはその殆どを水に流すつもりでいる。剣戟を受け流すように。


 そんなルルヴルグが唯一、受け流すことが出来なかったのが


「ドルエルベニはヴルグテッダの二の舞を演ずるだろう」


 と言う、ドルエルベニに言わせれば他愛無い、紋切り型の悪口だった、らしい。これにはバジッゾヨのみならず、ドルエルベニも困惑する。


 ヴルグテッダの戦技を伝授され、憧れの戦士の秘奥をそっくりそのまま受け継ぐ。その宿願を成就する為に、ドルエルベニはルルヴルグを守ることを誇り高き戦士の魂にかけて誓った。


 ヴルグテッダのようになれるなら、何を引き換えにしても惜しくなかった。

 ドルエルベニは己の意志でルルヴルグの手をとったのだ。


 ドルエルベニが他者に誤解あるいは敵視されるのは、当然とは言わぬまでも自然なことと言えるだろう。ドルエルベニは納得尽ではみ出し者になったのである。


 ドルエルベニには分からない。ルルヴルグは何をそんなにこだわっているのか。


 バジッゾヨが呆けている間、ルルヴルグは辛坊強くバジッゾヨの応えを待っている。ふとしも、剣を執る右手が痙攣し、細い肩に担がれた剣がのたうつように揺れた。


 バジッゾヨはハッと我に返った様子で、深々と頭を下げた。


「失言を取り消す」

「そうか。なヤば赦す」


 ルルヴルグは快活らしく晴れやかに微笑む。バジッゾヨは頭を擡げ、ルルヴルグを見上げた。わずかに目蓋を眩しげにまばたかせた。勝者となったルルヴルグの微笑は、公正さや高潔さという要素の他に、特別な何かを内包している。バジッゾヨの目にも、それが見えたのかもしれない。


 決闘は決着した。ところが、この決闘の顛末が気に食わないと、野次馬達が俄に色めき立つ。ルルヴルグは踵を返そうとして、立ち止まった。汗で項にはりついた後れ毛を鬱陶しそうに左手で払う。野次馬達は道を開けようとしない。


 ルルヴルグは剣を鞘に納める。一連の動作がいささかぎこちない。ドルエルベニは目を凝らす。ルルヴルグの利き手がかすかに痙攣していた。


 ーー利き手に痺れがあるのか!?


 ドルエルベニは大きく息を吸いこんで、声を張り上げる。


「決着はついた、小隊長ルルヴルグの勝利だ! 見物人は、ここでいつまでとぐろを巻いているつもりだ!? 散れ!」


 ドルエルベニの咆哮は雷鳴のように轟いた。野次馬達はドルエルベニの険相を一目見るなり、蜘蛛の子を散らすという形容そのままに散開していった。


 隣のニヴィリューオウが苦笑する。「過保護だな」と言われる。まったくもってその通りだ。しかし、図星をさされたことを気に病む暇はない。


 ドルエルベニはルルヴルグの方へ直線に進む。戦士達がドルエルベニの為に道を開ける。ルルヴルグのもとへずんずん近付いて行く。ルルヴルグは、ドドルエルベニと目が合うと直様、目を逸らそうとする。 


 ドルエルベニは腰を屈めて、ルルヴルグの右頬を鼻面で小突く。円やかな頬は柔らかく凹む。鼻息が首にかかったらしく、ルルヴルグは首を竦め、擽ったいと文句を言う。左手でドルエルベニの鼻面を押し返そうとした。利き手である右手を使おうとしない。


 ドルエルベニはルルヴルグの右手首を掴む。ルルヴルグは咄嗟に唇を噛んで苦鳴を噛み殺したが、負傷していることは明白だった。


 ドルエルベニが「利き手を傷めたな」と指摘すると、ルルヴルグは決まり悪そうに顔を背け唇を噛んだ。小さな口の中でもごもごと呟く。


「別に、なんともない。ほんの少し痺れユだけで」


 ドルエルベニは「ばかが」と苦苦しく呟いたきり、むっつりと黙り込む。利き手は戦士の生命線だ。麻痺が残るようなことがあれば、満足に剣をふるうことが出来なくなる。これまでの全て、何もかもが台無しになる。


 ドルエルベニはルルヴルグの右手を両手で揉みながら、筋肉の反射と痛痒の反応を具に確認した。


 どうやら、ルルヴルグは手関節を捻挫したようだ。バジッゾヨの猛攻を悉く受け流し弾いてみせたが、剣を握る非力な手は多大な負荷に耐えきれなかった。


 ーー勝負があと一手でも長引けば、ルルヴルグはその意志に関わらず、剣を取り落としただろう


 ドルエルベニはぞっと水を浴びたような戦慄を感じた。遠目で見れば、危なげなくバジッゾヨをくだしたと思われたが、実際、死と紙一重の辛勝だったのだ。


 ーーそれなのに、このバカは、バジッゾヨにとどめをささなかった! 


 ルバジッゾヨが倒れ、ルヴルグがバジッゾヨの首に剣を突き付けた時点で、ルルヴルグの勝利は確定していた。


 しかし、万が一、バジッゾヨが逆上してルルヴルグに斬りかかったとしたら。ルルヴルグは為す術も無く斬られていた。


 ルルヴルグは降下回転斬りの勢いのまま、バジッゾヨの首を刎ねることも出来た。そうするべきだった。バジッゾヨが戦士の誇りを一瞬でも忘れれば、ルルヴルグは死んでいた。


 ーー何故、命を賭けてまで、バジッゾヨに手を差し伸べた?

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