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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
26/58

26.ドルエルベニ 「血と肉より滲み出るものだ」

 

 バジッゾヨは沈黙し、そして項垂れた。ルルヴルグに敗北したという事実が、大きな圧力になっているであろうことは想像に難くない。


 バジッゾヨが悄然として俯いていると見るや、野次馬達の野次と怒号が乱れ飛ぶ。耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言の数々がバジッゾヨに襲いかかる。バジッゾヨは凍りついたように動かない。


 バジッゾヨは二十一歳の若さで牙の小隊長に昇格した実力者である。同世代の仲間にはいつも兄貴風を吹かせて、気取っていた。それが、ルルヴルグに敗北した瞬間「骸竜の恥晒し」と最悪の侮辱を受ける程に落ちぶれたのだ。 


 バジッゾヨは血気盛んな男だ。本来なら、口汚く罵られてもひたすら耐え忍ぶような、そんなしおらしさとは無縁である。

 そんなバジッゾヨが今はがっくりと項垂れて、甘んじて恥辱を受けている。


 バジッゾヨはルルヴルグを「持たざる者」と見做していた。ルルヴルグに敗北した時点で、バジッゾヨは憤死寸前に追い込まれていたのだろう。野次馬に貶され嘲られた以上に、自分自身を貶し嘲ったのだろう。だからこそ、潔く死を受け容れたのだ。


 バジッゾヨが無抵抗に徹すると、野次馬達は増長した。しまいにはバジッゾヨの顔をめがけて石を投げようと振りかぶる不届き者まで現れる始末だった。


 道端に転がる石礫でも、骸竜の戦士が力いっぱい投擲すれば、その威力は持たざる者が弓につがえて放つ矢に勝るとも劣らない。


 骸竜の鱗を貫く威力はないが、目に当たれば失明する恐れがある。鈴生りに群がる野次馬達の最前列。バジッゾヨの正面、ルルヴルグの後方。石礫を握って振りかぶるかつての友の姿を認め、バジッゾヨはきつく目を瞑った。


 石礫が投げられた瞬間、ルルヴルグは肩越しに振り返る。バジッゾヨに向かって飛んでゆく石礫の軌道を、左手を伸ばして遮った。ぱしっと音を立て石礫を掴み取る。


 バジッゾヨは音の正体がわからなかったのだろう。胡乱げに目を細く開けて、周囲を窺う。ルルヴルグは左手をゆっくりとおろした。拳を開くと、手の内より石礫が転がり落ちる。バジッゾヨが目を瞠る。


 ルルヴルグは振り向いて、バジッゾヨに石を投げた者と対峙する。義憤と軽蔑を露わにした険しい目が燃えている。ルルヴルグは肩を怒らせて、言った。


「今、石を投げた者は前に出よ。ルルヴルグが決闘を申し込む。ただし、生きて帰れると思うな。このルルヴルグ、卑怯者には容赦せぬ」


 ここで名乗り出れば決闘になっただろう。しかし、石を投げた者は名乗り出るどころか、ルルヴルグから目を離し、後ろを振り返る。きょろきょろと落ち着きなく周りを見回す。そして、ドルエルベニと目が合う。ドルエルベニが相手を見返すと、石を投げた者は狼狽え、じりじりと後退した。あからさまに怯んだ様子だ。ドルエルベニは鼻白む。


 ーーどいつもこいつも。ルルヴルグに手を出せば、ドルエルベニが報復すると、本気で思っているのか。見縊られたものだな


 石を投げた者は三歩後ろにさがったところで、ルルヴルグを振り返る。ルルヴルグは石を投げた者の顔を冷ややかに打ち見て、視線を外した。顔を合わせるのも忌々しいのだ。


 ルルヴルグは周囲を見回す。野次馬達、ひとりひとりの阿呆面を目に焼き付けようとするかのようだ。 


 視線を一周させると、ルルヴルグは大きく息を吸い込んだ。薄い胸を膨らませ、おもむろに口を開く。


「バジッゾヨはルルヴルグに決闘を申し込み、我々は正々堂々と死力を尽くして闘った。その結果、バジッゾヨは敗者となり、潔く死ぬ覚悟を決めた。バジッゾヨは誇り高き戦士の魂の持ち主だ。なればこそ、ルルヴルグはバジッゾヨが欲しいと思う。ドルエルベニを恐れ、陰でこそこそとするしか能がない卑怯者どもが、我々の邪魔をすユな!」


 ルルヴルグの喝破が夜を震わせる。戦場で号令が通らず、歯痒い思いをしたとは思えない、よく通る声だった。これにはドルエルベニも舌を巻く。


 ーーなんだ。やれば出来るではないか。


 無鉄砲な発声練習も無駄ではなかったらしい。


 ーーしかし、喉に相当の負担がかかる。あの青白い顔色を見ろ。先日、号令の練習に熱を入れるあまり、血を吐いた。あの時と同じ顔色だ


 ルルヴルグ自身、その時の苦痛を忘れてはいない筈だ。無理を通してでも、黙っていられなかったのだろう。ルルヴルグは曲がったことが嫌いなのだ。得難い美徳だが、それは裏返すと、融通が利かない頑固者になり得るということ。それについては、ドルエルベニもひとのことは言えないのだが。


 野次馬達が息を呑んだのは束の間。すぐに気を取り直し、ルルヴルグを野次り倒す。しかし、誰も前に出ようとはしない。


 ルルヴルグは鼻先でふんと笑う。野次馬達を取るに足らないつまらない連中だと断定したのだ。それ以上騒がしい野次馬達に構わず、バジッゾヨに向き直る。


 バジッゾヨは金縛りにあったように身動ぎもせず、ルルヴルグを凝視する。蛇に睨まれた蛙ながらに戦慄を覚えたと見える。仰臥する身体を持ち上げる尻尾や、妙におどおどしている目の色にも、尋常でないものがあった。


 ドルエルベニはバジッゾヨの豹変を怪訝に思った。バジッゾヨはルルヴルグに気圧されている。まるで、ルルヴルグの総身から放電される気迫に感電したかのように。


 ドルエルベニが首をひねっていると、出し抜けに、ニヴィリューオウが舌打ちをした。常に鷹揚に構えるニヴィリューオウの、彼らしからぬ粗暴な振る舞いに驚いて、ドルエルベニはニヴィリューオウに目を向ける。ニヴィリューオウは四つ脚の獣が唸るような低い声で言った。


「……上辺ばかりの、罪悪と愚昧の猿真似だ。忌々しい。それを真に受けるバジッゾヨも同罪だな」


 ニヴィリューオウの言葉を受け、目から鱗が落ちる。ドルエルベニは理解した。


 バジッゾヨの目に映るルルヴルグは、持たざる者ではなかった。その目に映るのは、ルルヴルグの姿とは思えない、骸竜の戦士そのもの。万夫不当の猛者、ヴルグテッダの面影だった。


 言われて見れば、野次馬達を喝破したルルヴルグの胆力は、在りし日のヴルグテッダを思い起こさせる。


 ニヴィリューオウはそれを「罪悪と愚昧の猿真似」と一刀両断に切り捨てた。猿真似と言うからには、ニヴィリューオウの目にもヴルグテッダの面影らしきものが映ったのだ。


 ドルエルベニはニヴィリューオウの発言で、耳に残る、聞き捨てならない部分を否定する為に口を開く。


「小隊長ルルヴルグは、軍団長ヴルグテッダの真似事などせぬ。お主が小隊長ルルヴルグに軍団長ヴルグテッダの面影を見たのならば、それは小隊長ルルヴルグの血と肉より滲み出るものだ」


 ヴルグテッダが死んだ時、ルルヴルグは七歳だった。物心がつく年頃である。ルルヴルグの記憶には、父の存在がしっかりと刻みこまれた筈だ。


 ヴルグテッダはルルヴルグを愛していた。ヴルグテッダがルルヴルグを愛したように、ルルヴルグもヴルグテッダを愛したに違いない。そうでなければ、父の仇を討つことはなかっただろうから。


 ところが、ルルヴルグは父への想いを語らない。在りし日の父を懐かしむことも無ければ、父のようになりたいと憧れを抱くことも無い。


 ルルヴルグは、偉大な父の後塵を拝することを良しとしないのだ。ルルヴルグの境遇を思えば、父に対する屈折した想いを抱えることも、無理からぬことに思える。


 ルルヴルグの複雑な心情を慮ると、ニヴィリューオウの発言は無配慮に思えてならなかった。


 突然、ニヴィリューオウが吹き出した。それだけでは足りないと思ったのか、声を出して哄笑をした。口を大きく開き、牙を剥いて笑う。ニヴィリューオウは一歩踏み出して、ドルエルベニの耳に口を寄せる。


「それを言うのならば、ドルエルベニよ。お主こそ」


 血腥い吐息がドルエルベニの首筋を擽る。ぞわぞわと鳥肌が立つ錯覚を覚えーードルエルベニ自身は「鳥肌が立つ」ことは無いが、ルルヴルグは寒さや嫌悪感によって、柔らかな皮膚が鳥の羽毛を毟りとったあとのように、粒状に隆起することがあるーードルエルベニは反射的にニヴィリューオウを押し退ける。


 そんなドルエルベニに、ニヴィリューオウは冷たい刃で撫で斬りにするような一瞥をくれた。


 ーーどうやらドルエルベニの言葉は、ニヴィリューオウの逆鱗に触れたらしい


 不可解な怒りの矛先を向けられ、ドルエルベニは戸惑う。戸惑いを表に出すへまはしないけれど。何か言うべきかと考え、何も言うべきではないと結論づける。


 ーードルエルベニは、何も間違ったことは言っていない


 つまり、ドルエルベニが引き下がる謂れはない。ドルエルベニはニヴィリューオウの怒りに満ちた目を真っ直ぐに見据えて迎え撃つ。ふたりは暫し無言で睨み合った。


 ややあって、ニヴィリューオウは笑い混じりに言った。


「お主の目に映るものこそ、ルルヴルグの血肉より滲み出るものではないか」

「何のことだ?」

「自覚が無いのか? お主はあれを食い入るように見つめ、舌なめずりをしていたぞ」


 ドルエルベニは息を呑んだ。それが正鵠を射る指摘だったからではない。身に覚えが無い指摘だったからだ。


「馬鹿な」


 否定の言葉は、己が発したとは信じ難い程、掠れて震えている。形勢逆転を確信したニヴィリューオウの目に、嗜虐の微笑が浮かぶ。それはドルエルベニの心の動揺に応じていっそう深まる。


 ーー喰いたいと、思ったのか? ルルヴルグを美味そうだと思ったことは、確かにある。しかし、その欲望はルルヴルグの弱さに、持たざる者を彷彿させる脆さに触発されるものだった。それが、何故、今? ルルヴルグは骸竜の戦士として健闘し、その胆力を皆に見せつけた。ルルヴルグを喰いたいと思うなど、道理に合わぬ


 ドルエルベニは自問自答する。しかし、心中の答えを求めても暗中模索の体たらく。まるで方途が立たない。悩みに悩み、悶えに悶えても、答えは得られそうにない。


 ニヴィリューオウと対峙していることも失念し、ドルエルベニは思索に耽る。突如として凄まじい咆哮が軍営に響き渡り、ドルエルベニの意識は思索の底より浮上した。それは勝利の宴を催す夜にそぐわぬ、士気を鼓舞する咆哮だった。


 バジッゾヨが咆哮をあげたのだ。バジッゾヨはかばりと起き上がり、きょとんとするルルヴルグをぎろりと睨み上げる。胸を張って大きく深呼吸をしてから、バジッゾヨは牙を打ち鳴らしながら言う。


「後悔することになるぞ」

「と言うと?」

「次の決闘、バジッゾヨが勝てば、貴様の四肢を捥ぎ目玉を抉り、死ぬまで犯してやる」


 次の決闘に言及したということは、つまり、バジッゾヨはルルヴルグに降る覚悟を決めたということだ。ルルヴルグの挑発が、大きな心境の変化を齎した。それにしても、下品な負け惜しみである。


 兎にも角にも、ルルヴルグはバジッゾヨを掌で転がして、望み通りに落としたのだ。ところが、ルルヴルグは浮かない顔をしているように見えた。


 ーー否、浮かぬ顔と言うより……喩えるなら、蠢く数多の毛虫を目の当たりにしたような顔をしている


 ルルヴルグは脚の多い虫が苦手だ。毒毛虫が群生する森を行軍した際は、気が狂いそうだと騒いでいた。ドルエルベニが苛立ち「うるさい、黙れ! 黙らぬならば、閉じることを忘れたその口の中に毛虫を詰め込むぞ!」と怒鳴りつけた途端にルルヴルグはかたく口を閉ざし、その日は一言も口を利かなかった。つい昨日の事のように思い出される。


 ルルヴルグはその時と同じく、心底から嫌で嫌で堪らないと言わんばかりの顔をしてーーここからは見えないが、たぶん鳥肌を立てているーー言った。


「発想がいちいち気色悪い。そんなだかヤ、乙女達はバジッゾヨを相手にせぬのだな」


 ーー誰よりも娘達に嫌厭されるお前がそれを言うのか


 ドルエルベニは呆れた。野次馬達も呆気にとられている。


 自分のことは棚に上げて、バジッゾヨを娘達に好かれぬ冴えない男と断ずるのは如何なものかと思う。事実、バジッゾヨなど娘達の眼中に無いのだろうが。


 ーーそれを言うなら、大多数の戦士は娘達の歓心を得られぬ


 娘達は強く頼もしく、番となる女に能う限りの愛を注ぐ、献身的な男に心惹かれるものだ。小隊長以下の戦士には見向きもしない。


 今、最も娘たちの関心を集めるのは、若くして連隊長に昇格したニヴィリューオウである。


「兄様は娘たち皆の憧れの的なのよ。でも、兄様はシャニーン姉様一筋だから、他の娘になんて見向きもしないのよ。そんなところが、また素敵なの。立派な兄をもって、マムナリューカは誇らしい。あっ、これは兄様には内緒にしておいて。兄様ったら、褒めるとすぐに調子に乗るのだから」


 マムナリューカは悪戯っぽく笑いながら、そう話していた。


 シャニーンと言うのは、ニヴィリューオウより五歳年上の従姉であり、ニヴィリューオウは幼い頃からずっと、このシャニーンに熱を上げているのである。


 色恋の噂にはとんと疎いドルエルベニが、何故そのことを知っているかと言うと、マムナリューカがドルエルベニにこっそり教えたのである。「これはここだけのお話にして。マムナリューカとドルエルベニ、ふたりだけの秘密よ」と言って、くすくす笑いながら。


 ーーマムナリューカ。ニヴィリューオウのように実力も声望も申し分ない男こそ、彼女の番となるにふさわしい。そのような男を見初めれば、六親眷属の皆々に祝福されて、幸福な花嫁になれるだろうに


 マムナリューカは素晴らしい娘だ。だからこそ、ドルエルベニに想いを寄せているらしい彼女が不憫でならない。


 何故、引く手数多のマムナリューカが、敢えてドルエルベニを選ぶのか。マムナリューカがドルエルベニに想いを寄せていると聞いたときは、あり得ない、理解不能だと思った。しかし、落ち着いて考えてみると、マムナリューカがドルエルベニを選んだ理由がわかる気がする。マムナリューカがニヴィリューオウの妹だから。それが一番の理由であろう。


 ニヴィリューオウは、戦士の優劣を決めるのは階級ではなく実力だ、という思想の持ち主だ。兄の思想は、マムナリューカの価値観に少なからず影響を及ぼしているに違いない。戦士としての実力にのみ着目すれば、ドルエルベニの右に出る者はいない。それは自他共に認めるところだ。ただ、ドルエルベニは強いだけで、よき夫にもよき父にもなり得ない男であった。


 番を得るならば、唯一の女を生涯をかけて愛し、その幸福の為に最善を尽くさねばならない。それが出来ないのなら、番を得るべきではない。


 ドルエルベニはヴルグテッダに代わりルルヴルグを守らなければならない。ドルエルベニはマムナリューカを唯一の女にしてやれない。然らば、彼女の手をとってはならないのだ。


 ーーしかし……率直に言ったところで、ニヴィリューオウは納得してくれぬだろう


 頭の痛い問題を思い出してしまった。隣に佇むニヴィリューオウをちらりと盗み見る。ニヴィリューオウは相対するルルヴルグとバジッゾヨを見るともなしに眺めていた。


 ニヴィリューオウはドルエルベニが沈思黙考を始めると長いことをよく知っている。何せ長い付き合いだ。埒が明かないと見て、ドルエルベニへの口撃を切り上げたのだろう。


 ーー今宵はニヴィリューオウの機嫌を損ねてばかりだな


 ドルエルベニは鼻先を掻く。ニヴィリューオウに倣い、ルルヴルグとバジッゾヨへ視線を戻した。バジッゾヨが弾かれたように立ち上がる。前屈みになってルルヴルグの顔を覗き込むと、小さな頭を丸呑みしようとするかのように大きく口を開けた。


「ドゥムス・マムナリューカにこんな暴言を吐く訳がなかろう!」


 バジッゾヨの銅鑼声が耳を劈く。凄まじい声量である。ドルエルベニは思わず尻尾をぴんと立てた。隣ではニヴィリューオウが両手で耳を塞いでいる。野次馬達の中には目をまわした者もいるようだ。野次が飛ぶ。


 喧騒の最中、当のルルヴルグは涼しい顔で顎を撫でる。


「ふむ、バジッゾヨの意中の乙女は、ドゥムス・マムナリューカか。悪いことは言わぬ、早々に諦めた方が良い。お主の恋は、どうせ手の届かぬ高嶺の花。甲斐なき懸想というものだぞ」


 ルルヴルグは言った。皮肉でも揶揄でもなく、助言のつもりで。野暮な発言は、当たり前に、バジッゾヨの怒りを買った。


「うるさい、黙れ! 大きなお世話だ!」

「そもそも、乙女達は奴隷遊びの激しい男は好かぬそうだ。下品だかヤ。公衆の面前で、ルルヴルグの尻を叩いて喜んでいユようでは……何と言うか、はっきり言って」

「貴様、まだ言うか!?」


 バジッゾヨは地団駄を踏んで喚き散らす。ルルヴルグはバジッゾヨをまじまじと見つめ、小首を傾げる。それからひとつうなずき


「良かれと思ってやったことが良い結果をもたらさないこともある。そんなこともある」


 とイリアネス語でひとりごつ。ルルヴルグが馬鹿に前向きなのは、今に始まったことではない。

 ドルエルベニは自分に注がれるニヴィリューオウの視線を感じて、思わず


「小隊長ルルヴルグに悪気は無いのだ」


 と言った。ニヴィリューオウはいよいよ呆れた様子で


「随分のびのびと育てたものだ」


 と言った。ドルエルベニは返す言葉もない。この緊迫した状況で緊張を欠く話題を持ち出すのは非常識だ。いったいどういう神経をしているのか。相手に屈辱を与える意図があるのなら、色恋沙汰に触れるのも一つの手だろうが、ルルヴルグの場合「良かれと思ってやったこと」なので始末に負えない。


 ルルヴルグは小人の頃からこの調子で無邪気一方だ。「お前はもう小人ではない。大人になれと」と何度も何度も叱った。

 しかし、生来の気質というものは、ちょっとやそっとで変えられるものではない。


 ルルヴルグは野次馬のざわめきを気にする素振りを見せず、両手で頭を掻き毟るバジッゾヨに語り掛ける。


「バジッゾヨよ」

「今度はなんだ!?」

「すまぬ、話が逸れた。ルルヴルグの悪い癖だ。では、本題に入ヨうか」


 ルルヴルグはそう言うと、剣の柄を握り直した。ゆっくりと瞬きをする。あどけない円みを帯びた瞳が花瞼に隠れ、あらわれたのは鋭く研ぎ澄まされた、戦士の眼光。


「ルルヴルグの軍門に下るか、死ぬか。どちヤだ?」

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