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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
24/58

24.ドルエルベニ 「下顎は急所のひとつだ」

 

 電光石火の早業だった。


 一刀両断になった檻の中から流れ出した血が、血溜まりを作っている。ルルヴルグは剣を引いた。土埃が舞い上がり、血飛沫が跳ね、檻の傍らに控える奴隷商人の毛皮を汚らしい斑に染める。バジッゾヨが弩にでも弾かれたように立ち上がる。


 突然の蛮行に、ドルエルベニは呆気にとられていた。


 ーーどうした、ルルヴルグ。お前らしくもない 


 心の中でルルヴルグに問い掛けて、是非もない、と考え直す。


 ーールルヴルグを持たざる者と誤認して助けを求める奴隷、ルルヴルグを侮辱するバジッゾヨ、囃し立て嘲笑するバジッゾヨの仲間達。能天気なルルヴルグも、これには堪忍袋の緒が切れたか


 奴隷商人はあっけにとられて目をパチクリさせるばかりだったが、ゆっくり三つ数えられる間をあけて、ハッと我に返った。怒りを露わにして「なんてことをしてくれたんだ」と、ルルヴルグに詰め寄る。


 骸竜の戦士に食って掛かるとは。商人の度胸は、本来ならば感心すべきものだ。骸竜の戦士が商人に狼藉を働くのは、儘あることだと、知らない訳ではないだろうから。しかし。


 ーーこれがルルヴルグではなくバジッゾヨならば、大人しく、手を拱いているだろうな


 ルルヴルグは一見して持たざる者にしか見えない。さらに言えば、骸竜の戦士達に侮られている。だから、商人は強気に出たのだろう。


 ルルヴルグは、そんなことはまったくお構いなしに、涼しい顔をしてぬけぬけと言い放つ。


「いくヤだ?」

「ああ?」


 商人は血走った目でルルヴルグを睨みつける。噛みつかんばかりの剣幕である。この商人、戦士には及ばないが、虎人という種族柄、筋骨逞しい。前のめりになってルルヴルグに凄むその姿は、まさに仔鹿に踊り懸らんとする虎のよう。


 ところが、ルルヴルグは凄んでもいなければ狼狽えてもいない。ごくあたり前の自然体で臨んでいる。そして、言った。


「檻の中の奴隷の値はいくヤだ? ルルヴルグが買い取ユ。迷惑料として、好きなだけ上乗せしてくれて良い。お主にはすまぬことをした」


 商人はあんぐりと口を開けた。鋭い牙の並ぶ口からは、怒声も罵声も飛び出すことはない。商人の口から漏れるのは、風穴を通る風のような呼気だけ。血気盛んな虎人の怒りにぽっかりと空いた風穴を通る風の音だった。


 商人は檻の残骸に目を落とす。ルルヴルグの顔と血溜まりを見比べる。憤懣やるかたないという荒んだ目でルルヴルグを見据えて、捲し立てた。


「当たり前だろうが! 檻まで壊しやがって。これも弁償して貰うからな」


 ルルヴルグはこっくりと首肯いた。


「承知した」


 商人は大きく溜息をついた。すっかり毒気を抜かれてしまったらしい。


 バジッゾヨをちらりと見たが、不自然な沈黙から何かしらの兆しを感じ取ろうとするでもなく、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりにそそくさと引っ込んだ。


 それを見届けてから、ルルヴルグの剣が一閃。檻の天面を削いだ。檻の中で折り重なる二人の奴隷の姿が露わになる。


 先程、喚き散らしていた奴隷が、もう一人の奴隷に覆い被さっている。二人共、血の海に沈んでいた。 


 奴隷の背はぱっくりと裂け、そこから淋漓と血が流れている。まるで、羽化の後に残された脱け殻のようだった。


 ルルヴルグはまず、背を裂かれた奴隷を持ち上げて、これを檻の向こう側の繁みに向かって放り投げる。商人の訝しげな視線に応えて、ルルヴルグは肩をすくめる。


「叩き斬って、気が済んだ。死体は四脚の獣にくれてやユ」


 ルルヴルグはそう言って、バジッゾヨを流し見る。バジッゾヨは奴隷姉妹を所望していたが、だからと言って、ルルヴルグのおこぼれにあずかるような真似は出来ない。冷ややかな目は、そんなバジッゾヨの内心を見透かしている。


 ルルヴルグは次に、下敷きになっていた奴隷を持ち上げて、これも繁みに放り投げた。長い髪は血に染まっているが、元々は、姉と同じ菫色なのかもしれない。


 ルルヴルグは剣を納めると、牙を打ち鳴らすバジッゾヨの面前に回り込み、両の目を真っ直ぐにのぞき込んだ。


「ドルエルベニは誇り高き戦士だ。ルルヴルグが貴様に敗れ落命したとして、それが正々堂々と行われた決闘なヤば、ドルエルベニが貴様に報復すユことは有り得ぬ」


 ルルヴルグは断言する。迷いも躊躇いもない。


 ドルエルベニは、骸竜の戦士としての心構えをルルヴルグに叩き込んだ。ドルエルベニがその教えを体現していると、ルルヴルグは信じて疑わないのだ。


 バジッゾヨは口を大きく開けて牙を剥く。しかし、反駁はない。ルルヴルグは口角をあげる。八重歯を見え隠れさせて、ルルヴルグは言った。


「それでも尻込みすユ理由は何だ? ルルヴルグに勝利すユ自信が無いのか? 決闘に挑む覚悟も無いのに、他者を侮辱したのか。恥知ヤず奴が」


 ルルヴルグの口調は挑発的であり、意図的に、バジッゾヨの感情を逆撫でしている。これには、バジッゾヨも黙っていない。


「貴様、バジッゾヨを侮辱するか!? 持たざる者の分際で、生意気な!」


 バジッゾヨは激怒した。怒りにまかせて右腕をのばして、ルルヴルグの身体をとらえようとする。


 ルルヴルグは襲いかかる腕の下をかいくぐった。間合いを詰められたバジッゾヨは咄嗟に左腕を伸ばし、ルルヴルグはその腕を両手で掴む。それを支点として、バジッゾヨの腹から胸へと駆け上がり、そのままの勢いでバジッゾヨの顎を蹴り上げた。仰け反ったバジッゾヨの肩を蹴って跳躍し、空中で一回転し、バジッゾヨに向き合うかたちで着地する。


 バジッゾヨは三歩後退り、そこで踏み止まった。頭がぐらぐらと揺れ動いて、真っ直ぐ立っていられなかったのだ。一瞬、気を失っていたのかもしれない。


 ーー下顎は急所のひとつだ


 非力なルルヴルグでも、急所をとらえることが出来れば、ルルヴルグより遥かに大きな戦士を相手取る肉弾戦をも制することが出来る


 そのことをルルヴルグに教えたのは、他ならぬドルエルベニである。ルルヴルグが危なげなくバジッゾヨをくだしたので、ドルエルベニはいささか得意に感じた。


 バジッゾヨはぶんぶんと頭を振る。それからルルヴルグを屹度睨んだ。激しい怒りが、バジッゾヨの身体をひとまわり、大きく膨らませたようだった。


 バジッゾヨは赤黒いつばきを飛ばしながら怒鳴った。


「……決闘だ! そのか細い四肢をバラバラに引き裂いてやる!」

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