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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
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2.スズリヨ 生き残った姉妹

 ***




 リヨ姉妹の故郷シルヴァスは、ゴルドラン骸竜族にほろぼされたイリアネス辺境諸国のひとつであった。




 シルヴァスの女は精霊夢を身に宿して生まれる。精霊夢は環状の貴金属のような形態をとり、宿主の肉体に巻き付き針のように尖った先端を宿主に突き刺す。宿主のマナを吸い上げるかわりに、宿主に魔法を授けるのだ。




 精霊夢を宿し精霊夢を使役するその姿を見た者は、シルヴァスの女を『輪の魔女』と呼んで恐れた。骸竜族の目当ては『輪の魔女』との死闘だったのだろう。




 しかし、精霊夢を通して自然と語り合い、長閑に暮らしていた『輪の魔女』たちが、ゴルドランの戦士に太刀打ち出来る筈がなかった。




 シルヴァスの男たちは女子供を守るため、死に物狂いで骸竜族に立ち向かったが、まるで歯が立たなかった。リヨ姉妹の父も例外では無かった。




『アン、スズをお願いね。スズ、姉さんの言うことをよく聞いて、良い子にしていて。二人とも、愛しているわ』




 母は姉妹を衣装棚に隠して扉を閉めて、隠匿の魔法をかけた。これが母の最期の魔法だった。




 骸竜族の戦士は姉妹の両親を殺した。捕縛した母の目の前で、いつまでも蛇のなま殺しのように父をいたぶった。母は為す術もなく泣き叫び、父の無惨な亡骸の傍らで骸竜族にくびり殺された。




 リヨ姉妹は衣装棚の扉の隙間から、その一部始終を目の当たりにした。姉は自身の腕をスズリヨに噛ませて、スズリヨの悲鳴と慟哭を封じながら、息を殺して物陰にひそみ、生き延びた。姉は十歳、スズリヨは七歳だった。




 骸竜族が敗者の死屍を肴に宴に興じ、勝利の美酒に酔い痴れる光景を、姉妹は決して忘れない。




 その後、ゴソゾに拾われたリヨ姉妹は、ゴソゾの隊商で二年間を過ごした。ゴソゾが死ぬと、姉はスズリヨの手を引いて隊商から逃げ出した。




 流浪人となり、奴隷商人に捕らわれたリヨ姉妹に救いの手を差し伸べたのが、成人(イリアネス帝国では満十八歳)して間もないジュラリオ王子だった。




 ジュラリオ王子のはからいで、姉は魔法使学舎へ入学することになった。スズリヨはもちろん姉に付いて行くつもりだったのだが、スズリヨは魔法使の適正が無いとされ、入学を許可されなかった。




 スズリヨが泣こうが喚こうが、決定は覆らない。スズリヨはジュラリオ王子の腹心であるジネスタス将軍のもとに、下働きとして身を寄せることになった。しかし、それは幼いスズリヨには到底受け入れられないことだった。




『嫌だ嫌だ! 姉さんと離れ離れになるなんて絶対に嫌だ! 姉さんお願い、スズを置いて行かないで! スズとずっと一緒にいて!』




 泣きじゃくり駄々をこねるスズリヨを、姉は優しく宥めた。




『スズ、よく聞いて。魔法学を修めたら、魔法使として殿下に召し抱えて頂ける。何不自由なく暮らせるようになる。そうしたら、真っ先にスズを迎えに行くよ。約束する。だから大丈夫。ね?』




 姉は言葉を尽くしてスズリヨの説得にあたったけれど、スズリヨは納得しない。




『なんで!? 姉さんはスズと離れ離れになっちゃっても平気なの!? スズのこと、嫌いになっちゃったの!?』


『そんなことないよ。姉さん、スズのこと大好きだよ』


『スズのこと大好きなら、スズとずっと一緒にいて!』


『スズ……ごめんね』


『嘘つき! 姉さんの嘘つき! 姉さんなんかもう知らない!』




 来る日も来る日も、スズリヨは泣き暮らした。困り果てた姉は、ついには半べそをかいていたけれど、魔法学舎入学を諦めようとはしなかった。




 そして迎えた旅立の朝。姉はむっつりとするスズリヨの頭を撫でてこう言った。




『スズ、出来るだけ早く迎えに来れるように、姉さん、頑張るから。良い子にして、姉さんを待っていてね』




 スズリヨは泣き腫らした目に恨めしい思いを込めて、遠ざかる姉の背中を睨み付けた。姉は一度も振り返らない。


『姉さんは、わたしを捨てたのかな?』




 ジネスタス邸の女主人は心優しい老婦人で、唯一の家族である姉と離れ離れになって意気消沈するスズリヨを不憫に思い、下働きのスズリヨが一日中寝室にひきこもっていても咎めなかった。




 スズリヨは部屋の片隅で膝を抱え、いつまでもめそめそしていた。




 姉はいつも傍にいてくれる、守ってくれる。それが当たり前だと思っていた。幼いスズリヨは、嗚咽の合間に姉に対する恨み言を繰り返す。何度も何度も繰り返す。




『姉さんは、ひどい』


『酷いのはどちらだ?』




 閉ざされた扉を開け放ち、そう言ったのはジュラリオ王子だった。スズリヨは、生まれてはじめて苛烈な叱責を受けた。それ以来、スズリヨはジュラリオ王子のことが苦手だ。十三年経った今でも、ジュラリオ王子と対面すると緊張してしまう。




 それでも、ジュラリオ王子はリヨ姉妹の恩人だ。リヨ姉妹の命を救い、姉の心の拠り所となり、スズリヨを開眼させた。




 それから、スズリヨは心を入れ換えた。ジネスタス将軍に師事し、武術の手解きを受けた。スズリヨの精霊夢には魔法使の適正は無いが、白兵戦の適正がある。スズリヨは弱虫で泣き虫で、痛いのも苦しいのも大嫌いだった。それでも、強くなりたかった。




 スズリヨは鍛練に励んだ。六年後、魔法使となった姉を、スズリヨは胸を張って出迎えた。




『おかえり、姉さん! 迎えに来てくれて、ありがとう。あのね、ジュラリオ殿下がね、わたしを兵卒として従軍させてくれるって言うの。これからは、わたしも一緒に戦うからね!』




 姉は驚愕していた。女中として働いているとばかり思っていた妹が、ジネスタス将軍の男孫達に交じって槍を振り回していたのだから、それはもう驚くだろう。




『そんなの絶対にダメ! スズは危ないことをしないで!』




 姉はそう叫び、スズリヨを迎えに来たその足で白樺宮殿に乗り込んだ。スズリヨの従軍を取り消すようジュラリオ王子に直訴するもあえなく却下され、スズリヨは晴れてイリアネス帝国軍の兵卒となった。




 姉はジュラリオ王子に心酔しているけれど、このことは未だ根に持っているようだ。




 とにもかくにも、こうして姉は魔法使として、スズリヨは兵士として、イリアネス帝国軍に従軍することになったのだった。






 ***




 傷の縫合が終わり、スズリヨは微睡みから覚めた。まだ解放されない。




 軍医は「楽にして」と言うと、まず聴診器でスズリヨの胸、心臓の上あたりを押さえてみてから触診を始める。




 胸甲、籠手、脚甲、鉄靴などの防具は既に外し、ギャンベゾンは脱いだので、上半身は肌着のみを身に付けた状態である。




 ーー触診はまずいな




 ルルヴルグの斬撃を受けたとき、あばらがぽきりと折れる音を聞いた。たいした痛みでは無いので知らぬ顔をしていたのだ。




 この程度の怪我なら、放っておいてもほどなくして『漲る血の精霊夢』の魔法で治癒する。けれど、スズリヨのあばらが折れていると知ったなら、心配性の姉は心安らかではいられないだろう。




 ーーうまく先生の目をごまかしさえすれば




 軍医の動揺をひきだす方法について、スズリヨは考えを巡らせた。この若き軍医は感情をしまいこむ術に長けている。




 ーー揺さぶりをかけるには……さて、どうしたものか




 ふと、先刻のやり取りを思い出した。裂傷を縫合すると聞いたスズリヨが肌着を脱ごうとしたら、軍医は慌てふためいてスズリヨを制止した。




 スズリヨは試しに、左手で自身の左の乳房を鷲掴みにしてみた。一瞬、軍医の目が泳ぐ。明らかにたじろいでいた。




 俯く軍医の顔を覗き込み、小首を傾げる。軍医の目は五指に揉まれる乳房に釘付けだ。スズリヨはこっそりほくそ笑む。




「やっぱり邪魔だな。先生、これをなんとかして、うまく切り落とせないか?」




 概ね本音だった。スズリヨはいつも大きすぎる乳房が邪魔だと思っている。飛んだり跳ねたりするとき大きく揺れるのはみっともないし、弓を引いたり槍を振るったりする妨げになる。百害あって一利なしとはまさにこのことだ。




 軍医はぽかんと口を開けてスズリヨの顔と乳房を交互に見ると、耳まで真っ赤になった。なにか言おうとして口をもごもごさせるけれど、言葉は咽喉から出ない。




「他をあたってくれ」




 と言ったのは辛うじて聞き取れた。




 イリアネス軍が男所帯であることは言うに及ばず。初心な兵士は、スズリヨのような男女(おとこおんな)の身体にも律儀に反応して、どきまぎしてしまうらしい。




 目の前にある患者を女体であると認識してしまうと、触診するにも躊躇いが生じるだろう。姉の前では尚の事である。凛々しく美々しい女神のような女性に、女体に触れただけで見境なく興奮するような男だと軽蔑されることは、誰だって避けたいと思うに違いない。




 ーーしめた。先生がこの有り様ならば、誤魔化すことは容易かろう




 スズリヨがそう思ったとき、姉は低い声で言った。




「スズ、お前……ごまかそうとしているな」




 スズリヨはぎくりとした。すかさず素知らぬ顔をして、なんのことだ? と小首をかしげるも、姉の目は誤魔化せない。


 姉はスズリヨを無視して軍医に向き直り、ぺこりと頭を下げた。




「先生、この子の戯言は聞き流してくださって結構です」


「またこども扱い。勘弁してよ、姉さん。わたしがいくつになったと思ってるんだ?」




 スズリヨは二十二歳。行き遅れと揶揄されるような年齢である。おまけに、男に比肩する長身で、大の男が束になってかかっても敵わない力自慢だ。どこからどう見ても、子どもではない。




 しかし、姉にとっては、姉の背丈を追い越そうと、ゴルドランの軍団長を打ち負かす戦士になろうと、スズリヨは小さな妹のままなのだ。いつまでも、姉に頼りきり姉の後をついて回る、守られるばかりの、無邪気で無知で無力なこどものまま。




 そんな姉の認識をスズリヨは苦々しく思う。しかし、姉に不平不満を言うことはない。今までずっと守ってくれた姉である。こども扱いしないでと、冗談めかして伝えるのが精一杯だ。




 姉はスズリヨの抗議を黙殺して続けた。




「先生、診察をお願いします。四肢の隅々まで、あますことなく。この子が嫌がるようなら、私が押さえつけます」




 スズリヨは肩を竦めた。スズリヨの膂力をもってすれば、精霊夢の魔法に頼まずとも姉の細腕を振り払うなど造作もないことだけれど。




 ーー出来ないんだな、これが




 万が一にも、スズリヨが姉を傷つけるようなことがあってはならない。姉はこれまで、スズリヨを守るために散々に傷付いたのだから。




 姉の加勢により平静を取り戻した軍医は、スズリヨの胸に触れた。あばら骨の下のあたりに揃えた指先をぐいっとめり込ませて




「ここが柔らかいからこの下のあばらが折れている」


「……やっぱり?」




 姉は苦虫を噛み潰したような顔をしている。振り返って確かめる迄もない。スズリヨは肩越しに姉を振り返り、へらりと笑った。


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