18.ドルエルベニ 「出会った時から、今までも、これからも、ずっと」
ドルエルベニは、ルルヴルグから女の死骸へ視線を移す。俯せに倒れたそれに外傷は見当たらない。死骸を蹴り転がして検めると、女は手にした短剣を深々と喉に突き立てていた。これが致命傷だ。
ドルエルベニは思わず知らず、口を大きく開けた。
「ルルヴルグ、お前……敗者に自死を許したのか?」
「結果的には、そうなった」
ドルエルベニは呆気に取られた。ややあってから、怒声をあげながらルルヴルグの胸ぐらを把った。
ドルエルベニは激怒した。骸竜の戦士が敗者に自死を許すなど、あってはならないことだ。見敵必殺の掟に背けば、反逆者に身を落とすことになる。
ドルエルベニはルルヴルグの矮躯を軽々と持ち上げた。吻がルルヴルグの額にぶつかる。巨大な顎と円錐形の鋭い歯は、ルルヴルグの小さな頭をいとも容易く噛み砕くだろう。
ルルヴルグは顔色ひとつ変えない。身体の力を抜いて、ドルエルベニに身を委ねている。涼しい顔をして失態を白状したことと言い、いったいどういう了見なのか。
ーーいっそのこと噛み砕いて、その劣弱を思い知らせてやろうか
ドルエルベニはルルヴルグの頭を吻で小突いた。牙がルルヴルグの額、顎先を掠める。それだけで薄く柔らかな皮膚が破れて血が滲む。
ルルヴルグは抵抗しない。反射的な抵抗すらしないのだから、ルルヴルグはその意思によって、ドルエルベニのなすがままになるのだろう。
何だかぞくぞくするようだ。残酷な衝動をかき立てられ、視界が狭まり陰影が際立つ。
ーー噛み裂き、喰らってしまえ。自ら喉笛を晒す獲物を見逃す道理がない
捕食者の本能がドルエルベニの意識を絡めとる間際、ドルエルベニは眩暈のような追憶にとらわれる。
赤ん坊のルルヴルグを抱えたヴルグテッダが、抱いてみろと言いながら、ルルヴルグをドルエルベニに押し付ける。咄嗟のことに拒否することも出来ないドルエルベニの、ぎこちない腕に抱かれたルルヴルグがドルエルベニを見上げる。目が合うと笑う。何が可笑しい。ドルエルベニにはわからない。わからないが、ルルヴルグはいつもそうだった。ドルエルベニを見つめていて、目が合うと嬉しそうに笑う。
ーーこれは、ルルヴルグだ。ヴルグテッダの息子。ルルヴルグは変わらぬ。出会った時から、今までも、これからも、ずっと
次の瞬間、ドルエルベニは理性を取り戻した。
ドルエルベニは顔を背け、口腔に溜まったルルヴルグの血を吐き捨てる。きょとんとするルルヴルグを睨み付け、怒鳴りつけた。
「この馬鹿者!」
ルルヴルグが目を丸くする。びっくりした、と顔に書いてある。いつも見下ろしている顔が、いつも以上に幼く見える。
ーー落ち着け、ドルエルベニ。落ち着いて、考えろ。ルルヴルグのことならば、手にとるようにわかるだろう
骸竜の戦士たるもの、戦場で対峙した敵を逃してはならない。骸竜の掟について、ドルエルベニは噛んで含めるようにしてルルヴルグに教え込んだ。「耳にたこが出来る」と、生意気なことを言うルルヴルグを叱り、こんこんと言い聞かせてきた。
ルルヴルグは骸竜の在り方を理解している。ルルヴルグの姿形は持たざる者に似ているので、持たざる者がルルヴルグを同族と誤認することは、ままあることだった。
これまで、ルルヴルグに救いを求めてすがりついた持たざる者を、ルルヴルグは一人残らず殺してきた。ルルヴルグが持たざる者を見逃したことは唯の一度もない。
もし、ルルヴルグがそんなことをしたのなら、ドルエルベニはルルヴルグを殺し自決している。
ーー掟に背くことになると承知の上で、敗者に自死を許したならば。能天気なルルヴルグでも、このようにあっけらかんとしてはおれまい。つまり、ルルヴルグは持たざる者に自死を許したが、故意ではなかったということ
自死を許すことも、広義には、逃すことに含まれる。そんなこと、言わずと知れたことだ。
ーードルエルベニは、ルルヴルグを買いかぶっていたな
ルルヴルグは成長し、強くなった。今や鉤爪の小隊長である。多少鈍くさいところはあっても、小隊切っての実力者なのだから、持たざる者に出し抜かれるようなことはあり得ないと思い込んでいた。あってはならないことだと。
ーーそれがどうだ。ルルヴルグは持たざる者に一杯食わされた。未熟者だ。青二才だ。持たざる者の女に出し抜かれた
虚を突かれ、みすみす敗者に自死を許したとなれば、これは失態である。
ーー失態を恥じたから、口ごもったか。……否、この顔。わかっている顔ではない。言えば、ドルエルベニにがみがみ説教されると、そう考えて口ごもったのだ。なんと、浅はかな
ドルエルベニは頭を振った。目をぱちくりさせるルルヴルグの顔から目を逸らし、死骸の数を数えた。
ルルヴルグは立ち向かって来た者は斬ったと言う。ならば、逃げた者は? 逃げた者はいなかったのか?
ーーもし、逃げ出した者がいたとしたら……否、断じて、否。確かに、ルルヴルグは脇が甘いところがあるが、そうならそうと白状する筈
全部で六体。女の死骸を除いた五体は一刀両断に斬られていた。全員、ルルヴルグに正面から立ち向かい、斬られたのだとわかる。
領主の娘は五人の護衛を連れていたと、ルルヴルグは言った。つまり、これで全員だ。持たざる者どもは一人残らず死んだのだ。ドルエルベニは胸を撫で下ろした。
「……ドルエルベニ?」
ルルヴルグが小首をかしげる。大人しく吊り下げられる姿はまるで、母猫に首の後ろを咥えられた仔猫のようだ。ドルエルベニは胸を空っぽにする勢いで長く息を吐き、ルルヴルグを解放した。
ルルヴルグはそれこそ猫のように軽やかに着地すると、小首をかしげてドルエルベニを見上げた。小人の頃と変わらない仕種に気勢を削がれながら、ドルエルベニは頭を振った。
「……ルルヴルグよ。見敵必殺の掟を忘れはすまい」
「無論だ」
思いの外、しっかりとした返答である。「それは心強い」と返した言葉は皮肉でしかなかったが、ルルヴルグには通じない。ルルヴルグは大きく首肯した。
「ドルエルベニが教えてくれたことだ。忘れはしない」
ドルエルベニは混ぜ返す言葉を飲み込んだ。鮮血に彩られたような唇が紡ぐ言葉の真摯な響きが、そしてなにより、ドルエルベニを見つめるきらきら光る大きな瞳が、ひどく心を騒がせる。
ルルヴルグはドルエルベニを裏切らないと、ドルエルベニは確信している。それだけで、もう十分ではないか。ルルヴルグはこの華奢な身体で、骸竜の戦士として生きることを選んだ。これ以上、ルルヴルグに何を求めると言うのか。
そんな血迷ったことがちらりと脳裏をよぎる。ドルエルベニは頭をふってその甘い考えを振り払った。
ーーならぬ。やるからには、一廉の戦士に育て上げる
「領主の娘は、ルルヴルグに家宝と命を差し出し、ルルヴルグはそれらを、結果的には貰い受けた。その後、護衛どもが立ち向かってきたので、返り討ちにした。そうだな?」
「そうだ」
素直に首肯いたルルヴルグの頬を、ドルエルベニは平手打ちにした。手心を加えたものの、白い頬には平手打ちの跡が赤く、みみずばれのように腫れ上がった。
ルルヴルグはドルエルベニを真っ直ぐに見つめている。驚いた様子はない。平手打ちを食らうことを予想していたようだ。
「此度の失態は、ドルエルベニの胸に納めておく。次はないと思え」
ーー己の落ち度を理解したのならば、それで良い
「……それだけか?」
「物足りぬと言うなら、踏む蹴る殴るの責め折檻をするに吝かでないが」
言いながらルルヴルグの頭をむんずと掴んでみる。無造作に見せかけて、片手にすっぽりとおさまる小さな頭を握り潰さないよう、細心の注意を払っていた。
「ドルエルベニがそうしたいなら」
それなのに、ルルヴルグがそんなことを言うから、ドルエルベニはついうっかり、ルルヴルグの頭を握り潰してしまいそうになる。
ドルエルベニの手の内でルルヴルグの頭がみしりと音を立てて軋んだ。慌てて手を引くと、ルルヴルグはドルエルベニを見つめていた。上目遣いに見上げる、潤んだ眼差し。持たざる者の卑屈な目付き。それでいて、無遠慮に心の奥底を覗き込み、本心を見透かそうとするかのような。
ーーまた、そんな目をして
ドルエルベニはルルヴルグの頭を叩き「己の身命を他者に委ねるな」と叱る。ルルヴルグはドルエルベニをじっと見つめて、しばらくしてから、うん、と首肯く。その拍子に、ルルヴルグの首元を飾る真珠が目に入り、ドルエルベニは「またそんな小人のような」と言いかけた小言を飲み込んだ。
ドルエルベニは腕組みをして体を落ち着けると、ルルヴルグを見下ろした。見上げてくるルルヴルグと視線を交わして、訊ねる。
「首飾りの出所はわかった。で? 何故、お前がそれを身に付ける?」
「傷付くと価値が下がるだろう。こうして首からさげて毛皮を被せれば、傷つかないだろうと思って」
ルルヴルグは真珠を摘まんで、指の間で転がす。その様子を眺めていると、ルルヴルグがドルエルベニを見上げた。屈託なく笑いかけてくる。
「これは、ドルエルベニにやる」




