17.ドルエルベニ 「まったく、世話が焼ける」
ルルヴルグと話をするとき、ドルエルベニは図らずも前屈みになる。身長差があるせいで、そうしなければルルヴルグの表情をつぶさに観察することが出来ない。
ルルヴルグは目をぱちくりさせる。鳩が豆鉄砲を食ったような顔は、小人の頃から変わらない。ルルヴルグの頭が、ドルエルベニのみぞおちあたりにあることも、小人の頃から変わらない。
骸竜は長い首を前方に傾ける前傾姿勢をとるものだが、ドルエルベニはその傾向が著しい。ちょこまかと動き回るルルヴルグを視界におさめておくために、いつも俯いていた。小さなルルヴルグの顔を覗き込んでいるうちに、背中が丸くなっていた。
そうして、くるくると変わるルルヴルグの表情を、ドルエルベニはあますことなく見てきた。
しかし、ややあって「ああ、これ」と首肯いた、ルルヴルグの微笑はどうだろう。
いつものように、無邪気に白い歯を見せたりせず、伏し目がちに唇だけで微笑みをあらわす。
ルルヴルグは時として、このような謎めく表情を見せるようになった。いつの間にか、そうなっていた。
ルルヴルグの細い指が小さな珠を摘まむ。薄暮のほのかな光が、むき出しになった細い首と、腰に置いた手の、指から肩に至るしなやかさを照らし出す。光の中で、白い珠が白い皮膚の上を滑る様を、ドルエルベニは凝視した。
白い珠も白い皮膚も、それぞれが発光しているかのように見える。
ルルヴルグはドルエルベニの目を見て、また目を伏せた。己が築いた屍の山を見下ろしているのだろう。豊かな睫に遮られた光は、瞳に淡い翳りを落とす。それは艶やかな青みを帯びて、ドルエルベニの心にざわめきをもたらす。
ドルエルベニはにわかに苛立ち、尾で大地を打った。
ルルヴルグは瞠目し、ドルエルベニの尾が上下に揺れるのを目で追っている。尾による打擲を警戒している訳ではないことは、きらきら光る目を見ればわかる。
ルルヴルグは「ドルエルベニの尾は見栄えのする尾だ。格好がいい」と言って羨ましがる。骸竜の尾には、打撃や牽制、その他にも様々な用途があり、見栄えを誇るものではない。そう言い聞かせてもルルヴルグは「ドルエルベニの尾は見栄えのする尾だ。格好がいい」と言うのをやめない。今だってそうだ、また言っている。
ルルヴルグが小人の時分は、しばしば、ドルエルベニの尾にじゃれついて遊んでいた。十七になった今、尾にじゃれつくことはしなくなった。そんなことをしたらドルエルベニに叱られると、物覚えの悪いルルヴルグもようやく覚えた。
じゃれつくのは止めたが、かわりに、ドルエルベニが尾を揺らすと揺れる尾を目で追うようになった。その様子が飛びつきたくてうずうずしているように見えるのは、ドルエルベニの思い違いでは無いのだろう。ドルエルベニは屹然とため息をつく。
ーー曲がりなりにも小隊長に昇格した戦士がこうも幼稚であっては、下の者に示しがつかぬぞ
ドルエルベニは尾を地面に叩きつけた。ドルエルベニの背後に回り込もうとするルルヴルグの束ね髪を掴まえて、元の立ち位置に引き戻す。するすると手指を滑りこぼれ落ちる感覚が、得体の知れないざわめきが呼び戻そうとする。それは、ドルエルベニを振り仰いだルルヴルグが「髪を引っ張るな。手綱ではないんだぞ」と言ってむすっと不機嫌そうに口元をひん曲げると、すうっと引いてゆく。なんとも不可解だった。
ドルエルベニは腰に手を当てて、ルルヴルグを見下ろした。
「なんだ? ドルエルベニに言えぬような経緯で手に入れたのか?」
「違う」
「ならば言え」
「今、言おうとしていた。急かすな」
ルルヴルグが唇を尖らせ、上目遣いにドルエルベニを睨む。これもまた、小人の頃と変わない仕種のひとつである。
「ならば言え」
ドルエルベニが繰り返し催促すると、ルルヴルグは目を反らし、唇を噛んだ。ルルヴルグには、逡巡すると唇を噛む癖がある。ドルエルベニは目をすがめた。
「何を躊躇う」
「別に、躊躇ってなんか」
「甘ったれた言い様はやめろ」
話を遮られたことが気に食わなかったらしく、ルルヴルグはちょっとむっとしたようすだった。それでも文句を言わないのは、こどもっぽい口調をうっかり口に出してしまい、きまりが悪い思いをしたからだろう。
ドルエルベニがルルヴルグを鍛えるにあたって、まずはじめに着手したのが、こどもっぽい口調を矯正することだった。徹底的に躾た甲斐あって、今では、ルルヴルグの口調が崩れることは滅多になくなった。皆無ではないのが問題だ。
ーーこれだから、まだまだ目が離せぬ。まったく、世話が焼ける
「言えるだろう?」
詰問していた筈が、いつの間にか、噛んで含めるような口調に変じている。ルルヴルグはもう小人ではないし、ヴルグテッダはもういないのだから、婦女子にするような気遣いは不要だと言うのに。ドルエルベニは嘆息した。
ルルヴルグは眉間に皺を寄せた。口をもごもごさせて、なかなか話さない。平時のルルヴルグは「よくもまぁその小さな口がそんなに回るものだ」と、ドルエルベニが舌を巻く程度には饒舌なのに。
ーーまさか、本当に? ドルエルベニには言えぬようなことがあったのか? 否、言えぬような目に遭ったのか? ドルエルベニが目を離した隙に
ルルヴルグはドルエルベニを慕っており、ドルエルベニにはなんでも打ち明ける。そのルルヴルグがこんなに躊躇うなんて、余程のことがあったのではないか。
想像しただけで、かっと頭に血が上る。ドルエルベニはルルヴルグの方へぐっと身を乗り出すと、突き出した舌でなめ回すようにして、ルルヴルグの匂いを嗅いだ。血臭はするが有象無象の持たざる者のものばかり。ルルヴルグ自身の血は香らない。他の骸竜の匂いをつけられてもいない。
嫌がってじたばたするルルヴルグの双肩を押さえ付ける。ルルヴルグは幼い頃から、拘束によって動きを制限されると嫌がってじたばたするのだ。ドルエルベニが匂いを嗅いでいると、ルルヴルグは「わかった! もうわかったから!」と喚く。何がわかったのかはわからないが、とにかくうるさいので、ドルエルベニはルルヴルグを解放してやった。ドルエルベニの腕を掻い潜り、ぱっと飛び退いたルルヴルグは、しばらくの間、じとりとドルエルベニを睨んでいた。やがて、観念したように話し出す。
「ここで、五人の護衛に付き添われた、若い女に声をかけられた。女はメリラと名乗り、己はこの地の主将たる領主の娘だと言う。これはその、メリラから貰い受けた首飾りだ」
「貰い受けただと?」
ルルヴルグが突拍子もないことを言い出すので、ドルエルベニは声を尖らせた。
此度の戦で、骸竜軍は勝利を収めた。つまり、ルルヴルグは勝者、メリラとか言う持たざる者の女は敗者である。勝者が敗者より奪うのは至極当然のこと。それを「貰い受ける」などと言い表すのは、いったいどういう了見なのか。
ルルヴルグはもっともらしげに首肯する。
「領主はメリラに護衛をつけ、砦から逃がした。落ち延びるにしても、人の世において先立つものは金だからな。この首飾りは、領主がメリラに与えた家宝のひとつらしい」
「領主の娘が、臣民を見捨て己だけ逃れようとしたとは。いかにも持たざる者らしい卑怯者よ。そのメリラとやらの死骸は何処に? まさか見逃してやったとは言うまい」
「……そこに」
ルルヴルグは嘆息するように答え、死骸の山に目を向ける。痩せこけて肋の見える身体と粗末な鉄環の鎧の組み合わせが、いかにもみすぼらしい男達の死骸が折り重なっている。
ドルエルベニは死骸の山を蹴散らした。男達の死骸の下敷きになっていた女の死骸が露になる。
その時、ルルヴルグが物言いたげな顔をした。ドルエルベニはルルヴルグを凝視する。ドルエルベニとルルヴルグ、ふたりの目が合い、見つめ合った。ややあって、ルルヴルグは無言で肩をすくめる。それだけだったことに、ドルエルベニは密かに安堵した。
ルルヴルグには、弱い生き物に情けをかける悪癖があった。小人の頃のことだ。持たざる者である母親と、その母親を溺愛するヴルグテッダ、双方の影響を受けたのだろう。巣から落ちた雛鳥を巣に帰してやったり、負傷した小動物の手当てをしてやったり。そういうことを徒にやりたがる小人だった。ルルヴルグが要らぬお節介を焼いて、満足そうに笑う度、ドルエルベニはルルヴルグを縊り殺してやりたいという衝動と格闘し、やりこめるのに苦労していた。
ヴルグテッダの死後、ドルエルベニはルルヴルグの教育家となった。ドルエルベニはルルヴルグを一角の戦士とするべく、骸竜の戦士としての心構えを叩き込んだ。ルルヴルグの悪癖が鳴りを潜めたのは、ドルエルベニの教育の賜物である。
ーー惰弱の精神は完全に駆逐してやった。今更、ルルヴルグが持たざる者に情けをかけることはない
己にそう言い聞かせながら、ドルエルベニはルルヴルグに訊ねる。
「何故、領主はこのような雑兵を娘の護衛につけたのだ。骸竜の戦士であれば、たとえ新前であっても、このような骨と皮に遅れを取らぬ」
「他に任せる者がいないのだろう。その者達は負傷兵で、ほんの一握りだけの生き残りだと言っていた」
「ふん。それで? 貰い受けたとは、どう言う意味だ? 命乞いをされたか? 家宝を差し出すので命ばかりはお助けを、とでも? もちろん、取り合わなかったのだろうな?」
ルルヴルグが女の命乞いを聞き入れ、許したのなら女は生き延びた筈だ。女の死骸が転がっているのだから、女は命乞いをしたが、ルルヴルグは取り合わなかったのだ。
ーーならば何故、言葉に詰まった? 何故、敗者の家宝を貰い受けた、などと言った?
ルルヴルグの奇妙な言動を訝っていると、皮鎧の下でルルヴルグの薄い胸が上下した。真っ直ぐな視線で見つめ返されて、ドルエルベニはわずかな戸惑いを感じる。
ルルヴルグは、じっくりと噛み締めるように言った。
「メリラは卑怯者ではない。高潔な女だ。父の形見である家宝と、己の命と引き換えに、護衛の兵士達を見逃して欲しいと、ルルヴルグに嘆願した」




