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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
15/58

15.ドルエルベニ 「奴隷ではない」

 ルルヴルグとの出会いは、ドルエルベニに大きな衝撃を与えた。


 ヴルグテッダが持たざる者(ヒウマウ)の女に産ませたこども。それが、ルルヴルグに対するドルエルベニの認識だった。


 ドルエルベニは幼かった。ヴルグテッダの子であれば、母親が何者であろうと無関係だと思い込んでいたのだ。


 ヴルグテッダの子は、ヴルグテッダの才能をそっくりそのまま受け継いだ分身だと、ヴルグテッダと同じ戦士の血と魂と素質を伝授された存在に違いないと、そう信じていた。


 ところが、ルルヴルグには母親の血が多く流れており、ドルエルベニの期待は裏切られた。


 ルルヴルグは持たざる者(ヒウマウ)だ。ルルヴルグは弱い。ルルヴルグは、ヴルグテッダの血と魂と素質の器になり得ない。


 ヴルグテッダが命を落としたとき、天下無双の戦士の深奥は、永久にこの世界から失われてしまう。


 予想外の事態にドルエルベニは茫然自失の体だった。


 ヴルグテッダはドルエルベニの頭をぐりぐりと撫でた。ドルエルベニは知らず知らずのうちに俯いていたらしい。顔を上げると、ヴルグテッダに抱かれたルルヴルグが、どんぐりまなこでドルエルベニを見つめていた。


 あうあうと意味を為さない声を上げながら、ドルエルベニの方に手を伸ばしている。ヴルグテッダはドルエルベニとルルヴルグの顔を交互に見て、破顔一笑した。


『ルルヴルグは、ドルエルベニのことを好きになったらしい。なぁ、ドルエルベニよ。ヴルグテッダ亡き後、ヴルグテッダに代わり、ドルエルベニがルルヴルグを守ると、約束してくれるか? 然らば、瓶の水を他の瓶にそっくり移すように、ヴルグテッダの持てる全てをドルエルベニに伝授しよう』


 ドルエルベニは瞠目した。


 光がさして、今まで見えなかったものが、不意に目から鱗が落ちたように、見え始めてきた。


 ドルエルベニが、ルルヴルグのかわりにヴルグテッダの全てを引き継ぐことが出来る。ただし、ドルエルベニが、ヴルグテッダのかわりにルルヴルグを守ると誓わなければならない。


 邪道に陥り最強の奥義を我が物として生きるのも、憧れに背を向けて正道を生きるのも一生なら、どちらの一生に賭けるべきか。


 ドルエルベニは六歳にして、運命の岐路に立った。


 気が付くと、ドルエルベニはルルヴルグに右手を差し出していた。ルルヴルグは小さな手でドルエルベニの人差し指を掴んだ。


 邪道に陥るとしても、ドルエルベニは憧れを捨てられなかった。


 それから六年後、ヴルグテッダは死んだ。持たざる者(ヒウマウ)の女がヴルグテッダの食事に毒を盛ったのだ。

 ヴルグテッダを毒殺した女は、息子であるルルヴルグによって始末された。


 両親をいちどきに亡くしたとき、ルルヴルグは七歳の小人だった。後ろ楯を失くした雑種は、奴隷に身を落とすより他に無いと思われた。


 ルルヴルグは母親によく似ていて、見目よい小人だった。あのヴルグテッダを誑かした妖婦の子の味は如何程かと、興味津々の戦士達が貰い手に名乗りを上げることは想像に難くなかった。


 ルルヴルグはヴルグテッダの可愛い愛玩物として生かされた。ヴルグテッダは死に、所有権は他の戦士に譲渡される。


 他者の庇護が無ければ生きられない弱者は、生き様も死に様も選べない。当然のことだ。


 ドルエルベニは弱者が嫌いだ。しかし、ドルエルベニがどんなにルルヴルグを嫌悪しようとも、ヴルグテッダと交わした約束はドルエルベニを束縛する。


『ヴルグテッダ亡き後、ヴルグテッダに代わり、ドルエルベニがルルヴルグを守ると約束してくれるか』


 結局、寄る辺ないルルヴルグを引き取ったのは、ドルエルベニの父だった。ルルヴルグの後見人になって欲しいと、ドルエルベニが父に頼み込んだのだ。母の反対をおしきって、父はルルヴルグを引き取った。


 息子の願いを叶えてやりたい、親心だと、父は嘯いた。そんなたまか、と心の中で言い捨てたものの、ドルエルベニは父に感謝を伝えた。


 それから、ドルエルベニは、主を失ったヴルグテッダの移動式住居(ユルタル)を訪れた。その片隅で膝を抱えていたルルヴルグは、ドルエルベニの姿を見るなりぱっと立ち上がり、駆け寄って来て、ドルエルベニの手をぎゅうっと握った。弱々しい力だった。


 縋る小さな手を、ドルエルベニは振り払った。


 ルルヴルグは持たざる者(ヒウマウ)だが、ヴルグテッダの息子でもある。


 ヴルグテッダの願いは、ルルヴルグが苦痛を知らず、いつまでも無邪気に笑っていることだったのだろう。


 父は、ドルエルベニがそんなに欲しいと言うならルルヴルグを引き取ろう、と言った。その口振りは、幼い小人に愛玩物を与える大人のものだった。


 ドルエルベニはヴルグテッダを唯一無二の師として尊敬している。だからこそ、その一粒種が生き恥をさらすことを、ドルエルベニは耐えられない。


『お前は戦士か? それとも奴隷か? 戦士ならば生きろ。奴隷ならば死ね』


 ルルヴルグは持たざる者(ヒウマウ)の子だ。持たざる者(ヒウマウ)は骸竜の戦士になれない。


 それでも、師と交わした約束を守るには、ルルヴルグを骸竜の戦士として育てる他に道が無いと、ドルエルベニは考えた。


 命懸けで愛玩物を守るなど、ドルエルベニの矜持が赦さない。せめて、戦士であったなら。非力でも軟弱でも、戦士であったなら。いつかきっと、共に生きようと思える日がくる。


 ルルヴルグは、ヴルグテッダを毒殺した女を、実母を殺したと言った。それが、ドルエルベニにとっては一縷の望みであった。


 ルルヴルグは戦ったのだ。父の仇を討った。ならば、持たざる者(ヒウマウ)としてではなく、骸竜の戦士として生きる道もあるのではないか。


 もし、ルルヴルグが苦痛の生を恐れ、戦士になる道を拒むなら。その時はルルヴルグを殺し自らも命を絶つ覚悟を決めていた。


『戦士になったら、ルルヴルグは、ドルエルベニと一緒にいても良い?』


 ルルヴルグの問い掛けに、何と答えたのかは覚えていない。他者に己の運命を委ねるような物言いが癪に触り、矮躯を殴り飛ばしたことは覚えている。


 やはり駄目だと思った。しかし、立ち上がったルルヴルグの目付きを見て、ドルエルベニは考えを改めた。


 ルルヴルグは奮い立ったのだ。


 それから、ルルヴルグは修練に励んだ。骸竜の戦士達は、ルルヴルグが戦士見習いに交ざって稽古に参加することに反対したが、首領の決定には誰も逆らえない。父は首領に昇格していた。


 父は誰よりも早く、ルルヴルグの非凡な才能を見抜いていたのかもしれないと、後にドルエルベニは思った。


 ルルヴルグには戦士の素質がまるでない。小さく、細く、脆く、非力だった。

 しかし、努力すること、諦めないことに関しては非凡な才能をもっていた。


 父はルルヴルグを自身の愛される小人として、ルルヴルグを鍛えるようになった。首領が持たざる者(ヒウマウ)を愛される小人に選んだと、皆が騒然となった。誰もルルヴルグの才能に目を向けず「首領の奴隷遊びだ」と言い、やはり持たざる者(ヒウマウ)、首領の奴隷だったのだと嘲った。


 ルルヴルグは奴隷ではない。戦士の卵なのだ。ドルエルベニはまことしやかに囁かれる巷説を、戯れ言だと一蹴した。


 そんなある日。ルルヴルグはドルエルベニに愚痴をこぼした。


『愛される小人の務めは嫌だ。ルルヴルグには、あの務めは向いていない』


 これが修練の辛苦であったなら、甘えるなと一喝するところだ。


 しかし、何やら、胸騒ぎを覚える。


 何がそんなに辛いのかと訊ねると、ルルヴルグは目を丸くした。


『ルルヴルグは弱音を吐いたのに、ドルエルベニは怒らないのか?』


 良いから話せと催促すると、ルルヴルグは何故か嬉しそう笑った。


 ルルヴルグの話を聞いて、ドルエルベニは頭を抱えた。


 父は、ルルヴルグが物を知らないのを良いことに、愛する男の教えの範疇を越えて、柔らかな肌を、執拗に暴いていた。


 ドルエルベニは父に苦言を呈したが、相手にされなかった。


『お主たっての願いだからこそ、あれに戦士見習いの真似事をさせてやっているのだ。良いか、ドルエルベニよ。そもそも、あれは持たざる者(ヒウマウ)、奴隷なのだ。どう扱おうが所有者の自由であろう。それが嫌なら、お主は一廉の戦士となれ。さすれば、あれをお主に譲渡しよう』


 ドルエルベニは、その日から、ますます鍛練に打ち込むようになった。ルルヴルグを鍛えることも忘れなかった。忘れるどころか、指導にはますます熱が入った。ルルヴルグが父に呼ばれる暇もない位、ルルヴルグをあちらこちらに連れ出した。


 ドルエルベニは、いつ、何処に行くにも、ルルヴルグを伴った。目の届くところに置いておかないと、いざというときにルルヴルグを守ってやれないからだ。ルルヴルグは幼い頃から、雛鳥のようにドルエルベニの後を付いて回っていたので、そうすることに何の疑問も抵抗も無いようだった。


 修練の中で、ルルヴルグは何度も死にかけ、その都度、ドルエルベニはルルヴルグの命を救った。ルルヴルグはドルエルベニに感謝した。ドルエルベニが煩わしいと言っても、毎回毎回、律儀に感謝した。


『ありがとう、ドルエルベニ』


 ドルエルベニにとって、ルルヴルグを守ることも、ルルヴルグに感謝されることも、当たり前のことだった。


 ヴルグテッダが死んでから、八年の歳月が流れた。ドルエルベニに遅れること六年、ルルヴルグは試練を乗り越え、一人前の戦士として認められた。


 ドルエルベニと同じ、鉤爪の小隊に入隊することが決まり、ルルヴルグは晴れて奴隷の身分を返上した。ようやく、愛される小人の務めから解放されると、ルルヴルグは諸手をあげて喜んでいた。


 ドルエルベニは、ルルヴルグに話を合わせてやりながら


 ーー(あの男)にルルヴルグが壊される前に、何とか間に合った


 と、胸を撫で下ろした。


『ありがとう、ドルエルベニ。お主のお陰で、ルルヴルグは戦士になれた』


 そう言って、ルルヴルグは破顔一笑した。その笑顔に、似ても似つかない、ヴルグテッダの面影を見たような気がした。


 その夜、ドルエルベニは父の移動式住居(ユルタル)に招かれた。

 ドルエルベニが父を訪ねると、父は開口一番、ドルエルベニに問い掛けた。


『ルルヴルグはどうする? お主の奴隷にするか?』


 絶句するドルエルベニに、父は畳み掛ける。


『お主は一廉の戦士となった。小隊長に昇格するだけの実力者であると、皆が認めている。お主に足りぬのは、小隊長に挑む気概だけだとな。小隊長に挑むのだ、ドルエルベニ。見事、小隊長に昇格すれば褒美を取らせる。お主、随分とあれに執心しているではないか。この父にさえ触れさせぬよう、懐に抱き込む程に。あれもお主にはよく懐いている。お主に所有されるならば、あれも喜ぶだろう。そのつもりで手懐けたのではないか?』


 違う。ドルエルベニがルルヴルグに寄り添い、ルルヴルグを守るのは、師と交わした約束を果たすためだ。ルルヴルグがドルエルベニに懐くのは、ドルエルベニの他に頼るあてがないからだ。決して、馴れ合っている訳ではない。


 そもそも、ルルヴルグは持たざる者なれど、ヴルグテッダの息子である。弄び喰い殺して良い愛玩物ではない。


 ドルエルベニは頭を振った。


『ルルヴルグは戦士となった。奴隷ではない』

『お主が手取り足取り教えてやったのであろう。皆がそうと知っている。それでも、体裁を整えたいと申すならば、そうだな。決闘を申し込んでやると良い。敗者は勝者に従うのが骸竜の掟。あれが敗者ならば、奴隷に落とすと言っても、誰もが納得する』

『奴隷など要らぬ』

『しかし、ドルエルベニ』

『奴隷など要らぬ!』


 ドルエルベニは父に背を向けて、父の移動式住居を飛び出した。父はまだ何か言っていたが、ドルエルベニは聞く耳をもたなかった。


 闇雲に走り回り、気が付くと、集落の端にある、ドルエルベニの移動式住居の前に辿り着いていた。隣にはルルヴルグの移動式住居がある。木組みを覆うフェルト、張り巡らせた銀狼の毛皮の隙間から屋内に点る灯りが漏れているから、まだ起きているのだろう。


 そう思って、光をぼんやりと眺めていると、扉を開いて、ルルヴルグが顔を覗かせた。


『戻ったか、ドルエルベニ。ちょうど、青雉を絞めて生き血を絞ったところだ。お主の好物だぞ、飲むだろう?』


 水筒を抱えたルルヴルグがにこにこして駆け寄って来る。珍しくもない。ルルヴルグはドルエルベニと共にいるときは、たいてい、上機嫌だ。何がそんなに楽しいのか、ドルエルベニには理解できない。


『何を笑っている。笑っている場合ではないだろう。お前は、未だ、戦士として認められておらぬのだぞ』


 ルルヴルグの笑みがすっと消える。その白い顔に、怒りや失望の色は浮かばない。ルルヴルグは小首を傾げた。


『試練を乗り越えても?』

『そうだ。ドルエルベニが小隊長に昇格すれば、ルルヴルグを奴隷として所有する権利を譲渡すると、首領に言われた』

『……ルルヴルグは、首領の奴隷だったのか』


 ルルヴルグは淡々と言った。そこにも、怒りや失望の響きはない。そのことに、ドルエルベニは苛立った。


 ドルエルベニがルルヴルグの胸倉を掴むと、ルルヴルグはあっ、と声をあげた。朗らかな声で、笑みさえ浮かべている。


『良いことを思い付いた!』


 ドルエルベニの腕を、ルルヴルグがばしばしと叩く。ドルエルベニが手を放してやると、ルルヴルグは得意気にふんぞり返って、こう言った。


『ルルヴルグは小隊長になる。そうしたら、皆、ルルヴルグを戦士として認めるだろう。それで駄目なら連隊長、それでも駄目なら軍団長、どうしても駄目なら首領になる。皆に認められる迄、ルルヴルグは諦めぬ』


 ドルエルベニは呆気にとられた。

 持たざる者(ヒウマウ)が骸竜の戦士の頂点を目指すなど、所詮は夢物語である。


『……口を慎め。大言壮語にも程がある』


 ドルエルベニが窘めると、ルルヴルグは憮然としてドルエルベニを睨んだ。


『何故だ? ドルエルベニが首領になるからか?』

『否、ドルエルベニに、そのつもりはない』


 それはドルエルベニの本音だった。ドルエルベニは強さに対して貪欲だが、地位や名誉にはあまり関心がなかった。ドルエルベニにとって、最優先すべきはルルヴルグを守り、ヴルグデッタと交わした約束を果たすことだ。高い地位に就けば自由が利かなくなり、その妨げになりかねない。


 ルルヴルグはドルエルベニの答えを聞くと、ルルヴルグは声を弾ませた。


『ならば何の問題もないな。ルルヴルグは、ドルエルベニ以外には負ける気がしない』

『その自信は、何処から来るのだ?』


 ルルヴルグはあっけらかんと笑っている。ドルエルベニは呆れた。ルルヴルグがあまりに楽天的だから、呆れるあまり、笑ってしまった。


 二年後、ルルヴルグが小隊長アドゥザラムを打ち破り、小隊長に昇格するとは、ドルエルベニは夢にも思わなかった。

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