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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
12/58

12.スズリヨ 花嫁(とりこ)2

 スズリヨに触れるルルヴルグの手付きは優しいものだ。無骨な手が、スズリヨを傷めないよう、あらゆる細心さをもってその肌に触れた。




 やわやわとした乳房に五指を沈めながら、ルルヴルグは感嘆する。




「こうして触れてみると、やはり、ふくよかな乳房だな。お主を介抱しようと装束を脱がせたとき、これが転び出て、ルルヴルグは驚いた。実に立派なものだ。これを目の当たりにすれば、男は皆、目の色を変えるに違いない。戦場に限らず、平素からみだりに人目に触れぬよう、用心して暮らしていただろうな?」




 スズリヨは答えない。それどころではなかった。




 ルルヴルグは類い稀なる強者であり、誇り高き戦士である。彼とスズリヨは二度に渡り死闘を繰り広げ、互いに武勇を認め合った。




 ルルヴルグから女の恥辱を被る事態は、スズリヨの矜持を傷つけた。身体の自由を取り戻せたなら、渾身の力でルルヴルグの巨体を投げ飛ばそうとしただろう。




 ささやかな抵抗として、冷厳な態度で貞操の危機ーー最早、疑う余地はないーーに臨むことを心に決める。




 ルルヴルグは顔を傾けて、スズリヨの顔を覗き込む。無様は晒すまいと、強い眼差しを向けるスズリヨと見つめ合い、肩を竦める。屹然と嘆息した。




「まるで駄目だな。用心が足りぬ。自覚しろ。その美麗を、その蠱惑を。お主はあまりに無防備だ」




 ルルヴルグは両掌でかかえあげるようにして、双つの乳房を揉んでいる。




 痛みは無い。妻を痛めつけるのは本意ではないのだろう。ルルヴルグの心遣いを肌に感じる。




 それが、怖気立つほど厭わしい。




 強く猛々しい一廉の戦士であることは、スズリヨの誇りだ。大切な姉を守る為、強くありたい。女であることは、スズリヨの切なる願いに対して、足枷にしかならなかった。




 ーー否。わたしが女でなければ、わたしの命は無かった




 スズリヨが女だから、ルルヴルグはスズリヨを妻にしたいと望んだ。それが一時の気の迷いだとしても。そして、スズリヨは生かされたのだ。男だったなら、雪辱を果たしたルルヴルグの手で「シュラサルバハラ」へ送り出されていた。




「……柔らかい」




 ルルヴルグが呟く。鞣された革のような掌にじんわりと汗が滲んでいた。それが男の欲情の象徴に思えて、解いた髪が生え際から逆立つような錯覚に陥る。




 しつこく胸を揉み解される。そうしていると、粟立つ肌とは裏腹に、柔らかな肉がじわりじわりと火照りだす。胸の先が指のまたに擦れる。下腹部が疼き、先が尖る。




 愛撫は執拗で、しかも、だんだん熱を増してゆく。止めなければならない、今すぐに。焦ったスズリヨは、苦し紛れに言った。




「胸の厚みならば、わたしよりも貴殿の方が勝っている。そんなに胸を揉むのがお好きなら、ご自分の胸を揉めば良い」




 スズリヨの胸をこねていた手がぴたりと止まる。ルルヴルグは、暫くの間、ぱちくりと瞬きを繰り返した後、腹を抱えて笑いだす。




「それはさすがに言い過ぎだ!」




 ーールルヴルグどのは、思いの外、よく笑う。何故、笑うのかは……よく、わからない




 呆気にとられながらも、ルルヴルグの手が肌を離れたので、ほっと胸を撫で下ろす。気がゆるんだ隙をついて、ルルヴルグの口唇がスズリヨのそれと重なった。




 触れるだけの接吻は、長く豊かな睫におおわれた瞳の煌めきに、スズリヨが目を奪われているうちに終わった。




「眉ひとつ動かさぬか。それでこそ、ルルヴルグが惚れた女だ」




 スズリヨと見つめ合ったまま、ルルヴルグは口唇を開く。真珠のような歯が見え、そのあいだから舌が出て、唇をなめた。




「では、ルルヴルグの花嫁よ。祝言だ」




 そう言って、ルルヴルグはスズリヨに伸し掛かる。スズリヨの素肌を覆う絹布に手をかけ、引き剥がした。スズリヨの素肌が余すところなくルルヴルグの目に晒される。




 ーー裸を見られるくらい、何てことない。先生に傷を診て貰ったり、見知らぬ男に沐浴しているところを覗かれたり、そういうことは日常茶飯事だった。だから、何てことない




 スズリヨの裸を見た男達は、照れてどぎまぎしたり、興奮して前のめりになったりした。しかしそれは、ひどい女旱に、女と見れば見境無く、ひきつけを起こしかねないようになるからだ。選り取り見取りであったなら、スズリヨの方には、誰も見向きもしない。




 初めて、沐浴しているところを覗かれていると気付いたときのこと。スズリヨは覗き男の首根っこを掴んで懲らしめてやった。男は『他に女がいないんだから仕方がない。まともな女がいれば、誰がお前なんかの裸を見たがるんだ』と言うような捨て言葉を吐いて、すたこらさっさと逃げて行った。




 そう言うものかと、納得した。それ以来、裸を覗き見られても、気にしないことにしていた。血走った目に凝視されているのは、スズリヨの裸ではなく、女の裸なのだから、と。




 ところが、ルルヴルグはスズリヨの逃げ道を塞いでしまう。スズリヨの胸から腹にかけて撫で回すルルヴルグは、美酒に陶然と酔い痴れるかのようだった。




「美しい。まるで風に均された処女雪のような肌だ」


「……蓼食う虫のたとえ通りの男だな」




 スズリヨは鼻先で笑う。そうでもしないと、たちまち非常な羞恥を感じて、気が滅入ってしまいそうだった。




「ならば虫らしく、花の蜜を味わうとしよう」




 ルルヴルグがスズリヨの右足を、よく実った肩に担ぐ。スズリヨはぎゅっと目を閉じた。




 ーーいよいよか




 こうなったからには、覚悟を決めるしかない。




 スズリヨはルルヴルグに敗北した。敗者は奪われるものだ。本来なら命をとるところを、貞操で手を打とうと、ルルヴルグは言うのだ。願ったり叶ったりの好条件ではないか。




 そもそも、スズリヨは女の幸せとやらを求めていない。夢見がちな乙女のように、愛する男に捧げるため、大切に守っておきましょう、なんて、考えたこともない。




 ただ、使い途が無く、貰い手もなかったから、そのままにしていただけだ。




「恐ろしいか?」




 ルルヴルグがスズリヨの額に額を寄せて訊ねる。スズリヨはせせら笑った。




「無様に怯える有り様を期待していたのならば、悠長にお喋りをするべきではなかったな。既に覚悟を決めた」




 答えてから、平静を失いつつあることを自覚する。ルルヴルグは、しきりに瞬きを繰り返すスズリヨの目を真っ直ぐに見て、そのつもりはないのだろうけれど、追い討ちをかける。




「無様とは言わぬが、お主は怯えている。巣から落ちた小鳥の雛のようだ。ルルヴルグの手の内で、握り潰されるのではあるまいかと怯え、成す術もなく震えている」




 スズリヨは舌打ちをする。腹立たしい。ルルヴルグにスズリヨを嘲弄する意図がないことがわかるから、尚更、腹立たしい。




「その喩えは、理解出来ない。雛鳥を握り潰すなんて、そんな惨い真似をしたためしがないんでな」


「誤解だ。ルルヴルグは雛を握り潰さなかった。あまりに怯えるので、巣に戻してやったのだ」


「お優しいことだ。ここで、わたしが恐ろしいと泣いたなら、わたしを逃がしてくださるか?」




 ルルヴルグがスズリヨの頬を掌で包む。彼の手はあたたかい。こうして、地に落ちた雛鳥を掬い上げたのだろうか。




「ならぬ。この雛は愛おしい」




 ルルヴルグが顔を傾ける。唇にくちづけるなら、噛みついてやるつもりだった。けれど、ルルヴルグがくちづけたのは、スズリヨの右の耳朶だった。耳許で彼が囁く。




「この醜悪な容貌を間近に見れば、怖気立つのは無理もない。こればかりは、慣れて貰わねば困るが。今は目を瞑れ。それで多少はましになる」




 彼の掌がスズリヨの視界を覆い隠す。ルルヴルグの審美眼は独特だと、スズリヨは思った。少なくとも、スズリヨのそれとは真逆らしい。



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