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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
11/58

11. スズリヨ 花嫁(とりこ)1

 口唇にルルヴルグの吐息を感じる。火傷しそうなくらい、熱い吐息を。全身の肌が粟立つ。心までも、粟立つようだ。スズリヨはわっとおめいた。




「やめろ、ルルヴルグどの! 気でも違われたか!?」


「ルルヴルグは正気だ。酔狂で、敵軍の将をさらうものか」




 ルルヴルグは、ちょっとむっとしたようすだった。スズリヨが喉元まで迫上がった拒絶の言葉を飲み込んだのは、後ろめたさがあるせいだ。相手の言動を頭ごなしに否定する無礼を働いた自覚はある。




 スズリヨは深呼吸をして、心を落ち着かせようと努める。




 ーールルヴルグどのの人柄をもってすれば、確めるまでもないだろうけれど。しかし、確めなければ




「本気なのか?」


「そう言った。ルルヴルグの言葉を忘れたか?」




 ーー覚えている。覚えているが!




『ルルヴルグが勝利ーー、ーーにてーールルヴルグと番え』


『此度の一騎討ちではルルヴルグが勝つ。スズリヨは約束を果たせ。ただし、終の戦場ではなくこの現世にて』




 ルルヴルグは確にそう言った。


 スズリヨはその言葉を理解していた。一つ目の言葉は獣吼で語られたが、ルルヴルグの獣吼は聞き取りやすい。しかし、それは骸竜の常套句か、或いは、挑発の類いだろうと思い込んでいたのだ。まさか、本気だとは思わなかった。




 スズリヨが頭を悩ませる間、ルルヴルグは律儀に待っている。手慰みに、敷布の上にひろがるスズリヨの髪を指に絡めている。頭髪に触覚はない筈なのに、むず痒いような気がする。不可解なことに。




 記憶の中にある、一騎討ちを始める直前に目の当たりにした、ルルヴルグの眼差しを思い出す。じっとりと、ねっとりとした情念の焔を燃やす双眸。




 追憶を振り払うように、スズリヨは訊ねた。




「何故、わたしを妻にしようと?」




 ルルヴルグはてらわずに熱心な口調で答えた。




「惚れたからだ」


「戯れ言を」




 相手の言動を頭ごなしに否定する無礼を働いてはならないと、自戒した矢先だ。しかし、彼を否定する言葉は、強い猜疑心に突き上げられるようにして、スズリヨの口唇を割って飛び出した。




 ーー戯れ言だ。そうとしか思えない。わたしは、ルルヴルグどのに憎悪されこそすれ、決して懸想されることはない。あり得ない。だって、わたしはルルヴルグどのの矜持を傷付けた。彼の怒りは烈しく、深刻で、しかも当然のものだった。




 ところが、ルルヴルグは心外でならぬと言った険相で唸るのである。




「戯れ言だと? ルルヴルグが惚れたと言うからには、ルルヴルグはお主に惚れたのだ。何故、スズリヨはルルヴルグを疑う? 惚れたふりをするなど、道理にかなわぬ」




 ーー返す言葉もない




「そう……か」




 ルルヴルグがそう言うのなら、確かにそうなのだろう。軍の中には、機密情報を得る目的で、色仕掛けで対象を誘惑したり、弱みを握って脅迫したりする、諜報活動の任務を担う者もいるらしい。




 しかし、捕虜にした敵兵を相手に、愛を騙り誑し込む手筈を、ルルヴルグが良しとするとは、到底思えない。疑うこと自体、きっと、彼に対しては非礼にあたる。




 もしかしたら、骸竜は腕っぷしが強い女を尊ぶのかもしれない。そう言うことなら、ルルヴルグがスズリヨに惚れたと言い張る理由もわからなくもない、のだろうか。それにしても、やはり。




「わたしを欲しがるとは、物好きな」




 スズリヨの呟きを拾い上げ、ルルヴルグは目をぱちくりさせた。




「その言い様は解せぬ。スズリヨに懸想する男は、掃いて捨てるほどもいるだろう」




 スズリヨはぎょっとした。




 スズリヨは十五歳の時分から、男所帯の唯一の女として暮らしている。言い寄る男のひとりやふたりはいた。手の届く範囲には、スズリヨの他に女がいないからだ。しかし、それも少女の頃に限った話。スズリヨが成長し、昇進すると、その一握りの男達も寄り付かなくなった。




『誰が、あんな、丸みも柔らかさもない大女を抱きたがる? そんな物好きがいるのか? 俺なら、金を積まれたとしても願い下げだ』




 兵士達が猥談に興じる席でスズリヨの名が出れば、必ずそこでは、そんな陰口を聞くそうだ。




 部下たちにはしばしば「もう少し可愛げがないと、嫁の貰い手がなくなるぞ」と揶揄される。最近では「もう手遅れかもしれねぇが」と苦笑されることもある。嫁ぐつもりはないので、気に留めなかったのだが。




 ーー皆は、無事だろうか




 スズリヨは、己の軽挙妄動のせいで窮地に陥った部下達の身を案じる。案じることしか出来ない、己の無力が恨めしい。




 ーーわたしは、何も出来なかった。風は死んだ。部下達はドラミーネどのの幻術に惑わされた。何もかも、わたしのせいだ




「買い被りだ。わたしは、そんな、たいそうな女ではない」




 スズリヨがそう言うと、ルルヴルグはきょとんとした顔でスズリヨを見詰める。ややあって、何やら得心が行ったように頷いた。




「なるほど。イリアネスの男達は、スズリヨが素晴らしい女傑であるが故に、気後れをして言い寄ることすら出来ぬのだな」


「な……!?」


「戯れ言などと言い捨ててくれるな。スズリヨ、お主は美しい。このルルヴルグが見惚れて斬られるなど、お主が最初で最後だ」




 手放しで褒められて、スズリヨは絶句する。スズリヨをこんなに褒めそやすのは、姉くらいのものだ。




 ーー姉さん、大丈夫だろうか。ドラミーネどのは、姉さんに手出ししないと言っていたけれど、信用ならない。それに……わたしが戻らないから、きっと、すごく心配してる。そうじゃなくても、姉さん、わたしのこととなると、びっくりするくらい、心配性なのに




 ルルヴルグの妄言に動揺している場合ではなかった。姉のもとへ帰らなければ。一刻も早く。




 ルルヴルグはスズリヨを彼の番にすると言う。彼は本気だ。つまり、スズリヨを殺すつもりはない。少なくとも、今のところは。




 スズリヨはルルヴルグと見つめ合い、恥じらうように目を逸らす。負傷した脚の具合を確めたかったが、スズリヨの腹部を挟む、ルルヴルグの逞しい太腿に遮られて見えない。




 ーー繋がっていると、良いのだが




 もしも、脚を切断されていたならば、姉の許には帰れない。足手まといになるだけだ。




 ーーわたしは姉さんを支えたい。これ以上、姉さんの足をひっぱりたくない。姉さんは優しいから、わたしがいなくなったら、悲しむだろうけど……でも、姉さんにはジュラリオ殿下がいる。だから、きっと、大丈夫だ。姉さんの枷になるくらいなら、わたしは姉さんの傍にいない方が良い




「スズリヨ?」




 ルルヴルグはスズリヨの顔を覗き込み、小首を傾げる。小鳥のようなその仕種は、彼の癖であるらしい。彼の本質は、小鳥ではなくて、小鳥を補食する猛禽なのだろうけれど。




 スズリヨはルルヴルグに訊ねた。




「だから、わたしを生け捕りにしたと?」


「いかにも。お主を確実に連れ去る為、女狐と共謀し、毒に恃んだ。スズリヨはルルヴルグを卑怯者と謗るか?」


「精霊夢に恃み、魔法に縋るわたしが貴殿を謗る筋合いはない」


「ならば、悔いはないか? 人喰らう森の畔にてルルヴルグを討っていたなら、生きて虜囚の辱しめを受けることは無かった」




 虜囚の辱しめ。その言葉をスズリヨは噛み締める。ルルヴルグはスズリヨを妻として迎え入れると言うが、とどのつまり、その境遇は虜囚のそれが多少有り様を変えたに過ぎない。




 ーーわたしの命運は、ルルヴルグどのの手の内にある




 スズリヨは唇を嘗めて湿らせた。ルルヴルグの視線を痛いほど感じながら、彼の質問に答える。




「悔いはない」


「潔い。惚れ直した」




 ルルヴルグはからからと笑う。屈託のない笑顔に毒気を抜かれる。




 スズリヨがほんのすこし、肩の力を抜いた。その時だった。




「そうなると、ますます憎らしい」




 ルルヴルグはそう言って、スズリヨの腹に右手を置いた。スズリヨの体にかけられた絹布が素肌に擦れる。たゆまぬ努力によって鍛え上げた腹筋を撫で回し、ルルヴルグは感嘆の声をあげる。




「見事な肉叢(ししむら)よ。女の身で、よくぞここまで鍛え抜いた。しかし」




 ルルヴルグの手が絹布を滑る。絹布の上から、スズリヨの体の線をなぞる。なめるようにゆっくりとくまなく撫でてゆく。躊躇いなく人を斬り殺す右手が、スズリヨの肌を愛撫しようとしていると感じる。




 そして、ルルヴルグの右手はスズリヨの左の乳房を掴んだ。




「この肉の柔らかさ、やはり女体だな」



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