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九十九話 声の記憶


「……はいっ⁈ すみません、何でしょうか」


 予想外に話しかけられて、フェリシアは慌てて聞き返した。


「あの歌をいつ憶えた」


「歌……? あ、教義を教えていただく中で一緒に。式典などで頻繁に歌うと聞きましたので早く歌えるようになっておこうと……歌を憶えるのは得意なんです、一度聞けば大体は——」


「聖歌の話しではない」


 ではなんだ、と疑問に思うと、サフィールは窓の外へ目をやりながら言った。


「温室で歌っていた方だ」


「ああ、あの歌……あちらは、つい最近です。サファルの民の知人に習って……」


「どこの部族の者だ」


「……すみません、詳しくは存じあげなくて。戦争に巻き込まれて身寄りを失くしたところを保護されたとしか……あ、ですがあの歌でしたら他部族の歌と聞きました」


「……他部族か」


 そう言ったきりサフィールは黙った。


 馬車はいつの間にか市街地を抜け運河沿いを走っていて、運河を挟んで向かい側には皇宮を囲う塀が続いている。

 皇宮へと至る橋がすぐそこに見えてきて、このまま待っていてもサフィールが何か言いそうになかったので、気になったフェリシアはつい尋ねた。


「あの歌が、何か……?」


「……あれは俺の元いた部族の歌だ。ただ所々違っていた……お前は歌が下手なのだと思っていたが、そうではなかったようだな。それならあれは——」


 サフィールがフェリシアの方へ顔を向けたその時、馬車が橋へと差し掛かり、地面の窪みに車輪を取られでもしたのかガタンッと激しく揺れた。



「きゃ——」


 若干前のめりになっていた為に椅子から投げ出されかけたフェリシアだったが、正面にいたサフィールが咄嗟に手を出して支えてくれた。


「あ……ありがとうございま——」



「気をつけろ、アイシャ」



「……アイシャ?」


 唐突に発された聞き慣れない名前にフェリシアが聞き返すと、サフィールはハッとした顔をして即座に手を離し、また窓の外へ顔を向けた。


「殿下……?」


「なんでもない」


 クシャッとした癖毛の黒髪が顔にかかって頬の傷痕以外を隠してしまい、横を向いたサフィールの表情は窺えない。

 けれど傷と繋がる唇がぎゅっと噛み締められているのがわかった。


 それがどうにも、ここ数日同じように気持ちを押し込めてきた自分の姿と重なって、フェリシアは先ほど発された言葉が何なのか聞かずにはいられなくなった。


「……今、どなたかのお名前を呼ばれましたよね……?」


「なんでもないと言っている」


「そうは思えないです。だってそんなお顔なさって……」


「聞こえなかったか、なんでもないと言っているんだ」


「……聞こえてます。でも殿下がそんなお顔なさるなんて捨て置けないです。その方と何かおありなの——」


「お前には関係ない! 過ぎた口をきくなわきまえろ!」



 強い調子で黙らされて、恐怖を覚えたフェリシアの目に先ほど浮かべかけた涙が戻ってくる。

 関係ないと突き放すその言葉に孤独な現実を突きつけられた気がして、慌てて抑えた気持ちまでもが溢れ出してきた。


「……関係ない……そうですね。立ち入る真似をして、失礼なことを訊きました。わかっています自分の立場くらい。妃として職務を全うすればいいだけですって……でも、心構えをする時間ももらえず急に一人で他国にやられて、知り合いも誰もいない環境で、夢見ていた結婚とは全然違って……」


 喋り出すと同時にボロボロッと堪え切れずに両目から涙が零れた。


「心細くて仕方なかったのに初対面で突き放されて……もう戻れないし、ここにいるしかないのに、背負ってきたつもりの意味もなくなったなら……私、何の為に、ここ……いるのかわからなくって……」


「よせ……泣くな」

 サフィールが苦虫を噛み潰したような表情で静止するがフェリシアの涙は溢れ続ける。



「だけど、殿下はたまに気遣ってくださるから……少しくらいは歩み寄れるのかなって……だって私達これから先を共にするんですもの……少しくらい理解できたら……思って……そうしたら、全部……思い出にしまって、ここで生きる覚悟だって出来るかな……て思ったのに……関係ないなんて言われたら……」


 込み上げるものを止められず気持ちを吐露し続けるフェリシアがしゃくりあげだすと、サフィールが限界とばかりに声を荒げた。


「やめろ! その声で泣くな!」



 急に怒鳴られて怯えたフェリシアは口を閉じて嗚咽を抑えた。

 しかし涙は流れ続け、懸命に抑えようとしている小さな泣き声が漏れる。


 馬車の狭い空間に押し殺した啜り泣く声が満たされて、サフィールはその状況に耐えかねたのか、額を押さえながらはぁーっと深く息を吐くと、前髪を掴んでグシャグシャに乱した。


「……泣くな。似てるんだ。最初は聞き間違いだと思った。だがあの夜喚き散らしていた声を聞いて、やはり似ていると意識しだしてからは日に日にそうとしか聞こえなくなってきた」


「……似、てる?」


 何に、と涙が溢れ出す瞳でフェリシアがサフィールへ焦点を合わせると、サフィールが見たことのない苦しそうな表情でフェリシアを見つめていた。


「……ここを去った、あいつの声に」

お読みいただきありがとうございます。

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