九十七話 とある転生者の
「……もうやめなよ。わかってるだろ? いくら引き離したって二人の間に入り込むのは無理だって。アルベルト卿はあの日動き出した船から飛び降りたって聞いたよ。フェリシアだって馬に跨がってまで港に向かった。そのくらい無茶できる程、二人は——」
「やっと二人を諦めるしかない状況まで追い込んだのよ。ここで私が諦めてどうするっていうの。あとはアルベルト様を私のものにするだけじゃない」
「もうよせ! これ以上汚い真似をして二人に酷いことするな!」
向かい合う狭い路地でロドニーが哮り立つ。
普段は穏やかで控えめな男の激しい怒りの発露に驚きつつも、元共犯者の分際で、とガートルードも怒りが湧いてくる。
「酷いこと……一緒になって散々二人を陥れてきたあんたが、私の行動にケチつけられる立場なわけ? 虫がいいのね……でもよく考えてごらんなさいよ。私が何かした? 階段から突き落とした? 食事に毒を混ぜた? あることないこと吹聴して名誉毀損した? 悪漢でも雇って襲わせたかしら? そんなことしてないわよね。身体的に傷つけたり社会的に貶めたり、そんな悪役令嬢みたいな酷いこと私一つもやってないわ」
「直接的ではないにしろ散々してきただろう⁈ 嘘を吹き込んで、信じこむように画策して勘違いさせて! 挙げ句の果てに国まで巻き込んで無理矢理婚姻させるだなんて!」
「あら、私はただ占って、より良い未来の為に助言して差し上げただけよ。信じて行動したのは本人達じゃない。結果に信憑性を持たせる為に占いの前後で色々するのは占い師なら誰でもやることでしょ、本物以外はね。それの何が悪いの?」
「君のした事が悪くないとでも言うつもりか!」
言い合いは次第に激しくなり、ガートルードも声のトーンと共に感情が昂っていく。
「あんたに断罪される筋合いないわ! 悪いかどうかは私自身がよくわかってる! 愛する人との仲を裂く奴なんてこの世で一番の悪よ! 大嫌い!」
「だったら——」
「でもね! ここは、やっと貰えた私が主役の世界なの。仕方がないって諦めなくていい世界! だから私はなんだってやるって決めたの! 欲しいものが……たった一つ欲しかった理想が手を伸ばす努力をすれば届く距離にあるんだから! その為ならどんなことだってやってやるわ! 心優しい天使な主人公でいられなくなったって構わない! どんな悪にもなってやる! 自分の醜さに自分が耐えられさえすれば、卑怯で汚い心も何もかも、この魔法の力で誰にも知られず全てが報われるんだから!」
そう叫ぶとガートルードは艶めく黒髪に細い指を通して梳き、サラサラと風に靡かせてみせた。
「見て、この艶やかな黒髪、ツルツルの肌。瞳は……今不調だけど、形が良くて潤った唇にセクシーな位置にあるほくろ。スタイルだって必死にならなくても崩れやしないし、若さだってある。今の私はこんなにも美しい」
うっとりした表情を見せたガートルードは、長い黒髪の最後の一筋が指の間を滑り落ちると、急に目つき鋭くロドニーを睨んだ。
「やっとスタートラインに立つ事を許されたの。世界は現象を捉えれば平等かもしれないけど、個別の事象で捉えたら不平等で不公平で不均衡よ。努力が必ずしも望む通りの報われる結果を齎すとは限らない。全員が望んだものを望んだとおりに手に入れられはしない理不尽が居座ってる。そんな世界で人一倍ロマンティックな恋だ愛だに憧れて、あれやこれや妄想していつか来る甘い日々を夢見て……だけど非情にもそれが私には許されていなかった領域だった」
停留所前の広場からは街を行き交う人々があげる楽しげな声が聞こえる。しかしこの狭い路地だけが切り離されたようにヒリつく空気に支配されている。
「美しい容姿も無ければ誇れるほどの何かも私には無かった。そんなだから自信もなくてオドオドして、人前では上手く喋れないし愛想も悪くて女子力の標準装備も粗悪品。頑張ったところで評価されるのはコミュ力の高い目立つ方よ。黙って下を向いて生きるしかない石ころな私は見向きもされない。何も無い私はずっと他人を羨むだけの許されなかった方だった」
まるで今とは違う自分を生きていたかのようなガールードの発言に、ロドニーは困惑して何も言えなくなっていた。しかしガートルードは構わずに一人語りを続ける。
「努力が足りない。ええ、そうよきっとその通り。だけどまずスタートラインに立つ事すら許されなかった私が、必死にそこを目指してやっと辿り着いた時にはね、ライバルはおろかゴールすらも遥か遠く見えない場所にある。残念なことにそこで気づいたわ。決して追いつかないってわかってて、努力し続けられるほどの強さは私には備わっていないって。上手くいかないのは努力が足りないから、だから努力すればきっといつか報われる。繰り返される報われなさと虚しさを、そんな言葉で補えるほど夢を見られる可愛い女じゃなかったってことにもね。だからいつしか始める前から諦めた。私には許されなかったものなんだって、仕方がないんだってそう納得することにして」
一瞬だけ表情を崩し、悲哀を浮かべて微笑したガートルードは、すぐにまた力のこもった眼差しをロドニーに投げかけた。
「でもね、私は見つけたの。その虚しさを埋める別の幸せを。誰に咎められることもない、静かに密かに憧れた夢の世界に浸れる、この私でも身の程知らずと嘲られることも疎まれることもなく想い続けることを許されるものを。それがアルベルト様だった! 絶対に触れられない夢でしかなかったけど、それでも愛してやまなかった私の理想の人なの! 幼い頃から変わらず大切に、たった一人だけを愛し続けてるあのぶれない一途さと不器用さを持った、顔は怖いけど愛する人には特別優しいあの人が!」
ガートルードは困惑しているロドニーの襟付近に手をかけると、グイッと自身に引き寄せた。
「それに今手が届く。たった一つ。たった一つよ! 望んだものは昔も今も一つだけ! 愛してやまないあの笑顔を私に向けてもらいたい。あの笑顔を受け取るたった一人に私がなりたい、それだけだわ! 羨むだけの人生は終わった。諦めてきた理由がなくなったこの世界でまで、私は始まる前から諦めたりはもうしない」
ロドニーの鼻先でそう告げて、ガートルードはパッと掴んでいた服から手を離した。
「私はこれでやっと知れるんだわ。努力って報われるんだ、って」
解放されたロドニーはふらっと路地の壁に背中を預けて、睨めつけたままのガートルードへ悲しそうな眼差しを向けた。
「さてと……私の方の話しはこれで済んだけど、あなたの方も済んだわよね? フェリシアの婚姻はもう私の魔法どうこうの域を超えたもの、わかってるでしょ。やめろだなんて今さら遅いわ」
問われたロドニーは悲しそうな眼差しを向けたまま、小さく首を振ってぽつりと呟く。
「……それでも君の欲しいものはきっと、手に入らないと思うよ」
「……やだ、占い師の真似ごと? 残念だけど私、そういうの信じられる可愛い女じゃないの」
「違うよ、わかるんだ。君と僕は似てるから」
「一緒にしないで臆病者のヘタレ。私はあんたみたいに中途半端なところで諦めないし失敗しない。私にはこの瞳があるんだから。なんだって望みどおりよ」
そう言って、もう止めることをしないロドニーの脇を通り広場へと戻っていくガートルードは、すれ違いざまにっこり艶やかに微笑みかけた。
「さようなら元共犯者さん。もう会うことはないでしょうけど、お元気で」
言い置いてガートルードは去っていく。その背に向けて、ロドニーは広場の喧騒に消されてしまいそうな声で、しかしはっきりと呟いた。
「……それでもきっと君は幸せにはならない」
それを聞き咎めたガートルードは余裕の微笑みを崩さず再び振り向くと、色っぽいほくろのついた口の端をより一層持ち上げて見せた。
「どうとでもお好きにお思いになればよろしくてよ。負け犬は、日記の中ででも吠えてなさい」
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