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九十二話 サフィールという存在


「……そう……ですか」


 だから、なんだろう。

 というのがフェリシアの率直な感想だった。


 もちろん、皇子の生母が国を持たず放浪する民族出身であるとはなんと珍しい事だと驚きはあった。

 でもすぐに、サフィールがサファルの民との混血であるなら、珍しい褐色の肌を持ちサファル語を流暢に話したのも、だからかとの納得に変わった。


 皇族であれば同じ皇族や他国の王族、国内外の高位貴族との婚姻が常だとフェリシアとて思う。

 そんな中、貴族や階級といった概念を持ち合わせていないであろう民族の娘を妻に迎えたというのだから、そこには相当なロマンスがあったのではと想像してときめいてしまいそうにもなる。


 話しを聞いてフェリシアに湧いたのは驚きよりもそういった気持ちだった。


 だからサフィールが混血であるからといって、何故作物を自ら育てねばならないのかには繋がらず首を傾げたままになった。

 それを露骨に顔に出してしまったのだろう、サフィールがフェリシアを見て鼻で笑った。


「そうか、お前の国では流浪の民は特に忌み嫌われてはいないのだったな」


「……彼らは定住しませんから国内で見かける事は少ないですが、辺境地の町などは立ち寄ることが多いため交流もあり、友好的な関係を結べていると聞きます。言葉や文化が違うので戸惑う事はあると思いますが、忌み嫌うなんて事はないかと……」


 現に身寄りを失くしたサファルの者が保護されて、共に暮らし溶け込んでいるのをフェリシアは見ている。


「寛容だな。帝国とは違う。国教と皇帝が絶対である我が国では、異教の民、特に国も持たず無秩序に流浪するサファルの民は忌まれている」


「……忌む? 何故です?」


 帝国の伝統であるとか歴史であるとかを色々と教わったので、その中に異民族の話しもあったかも知れないが、早くもフェリシアの頭からはその殆どが抜け落ちている。

 聞き返したフェリシアにサフィールは実を摘む手を止めて話し始めた。


「国教が全てであり、信じるべき神は国教に奉ずるが唯一であるとする帝国は、異教の信奉を許さず支配下に置いた国へも改宗を施す。そこへきて族長を中心に家族単位で自由に流浪するサファルの民は、侵略し支配出来る国もなく個々が異教を垂れ流す存在だ。排す事の難しいそれが辺境をウロウロするのだから、支配し統制出来ない存在を何よりも厭う帝国にとっては目障りでしかない」


 ジジッと、道具入れの棚に置いた蝋燭が揺らめいた。金色に映った炎の朱色が瞳の緑を染めてうねっている。


「我が国の初代皇帝は国教にて奉ずる神により、代行者としてあらゆる権限を与えられ執行を許された特別な者とされている。そこから今日まで続く神の代行者たる皇帝の血筋はつまり、帝国において神に準ずる存在だ。故に帝国は血統を重んじる。その血統に忌むべき異教の民の血が混じるなど許されざる事だ」


 サフィールはそこまで言って自嘲気味に笑った。


「だがその血統主義により醜く争い滅ぼしあって、後継が危うくなる結果を招くとは。それによって何よりも忌避すべき事態が、俺という存在で体現されてしまったのだから笑えもしないだろうな」


 乾いた笑いをあげたサフィールが一つも愉快そうでなくて、フェリシアはただじっと見つめてしまった。


 視線に気づいたのかサフィールもフェリシアへ顔を向ける。


「……話しが逸れたか。つまり異教の民の血が混ざっていながら帝位継承権を持つ俺は、血統を重んじ国の教えに忠誠な者にとって忌々しい存在なんだ。敵は多い。今でこそ上手く立ち回る事も覚えたが、口にする物にも信用が置けない時期もあった。故に止むを得ず、だ」


 ポトッと摘んだ実をフェリシアの手に落として、サフィールは傷のある右側だけを持ち上げて口端に笑みを浮かべた。


 月明かりと手燭の炎で幾分か明るいが、それでもサフィールの表情の大半は暗がりに同化していて伺えない。


 ただ、淡々と語っていた声は何処となく憂えているように感じた。


「昼間お前に接触した者も、血統主義か、俺に失態を演じさせたい者か、あるいは……今のところ不明だが、お前との婚姻が済めば俺は帝位に近づく。敵からすれば好ましくない事だ。王宮内で直接攫うような真似をするとは思わず油断したが、暫くはここから出るな。それなりに信用のおける者しかこの邸宅には置いていない。一応は安全だ」


 そう言われたが返事もせず、フェリシアはただずっとサフィールを見る。


「どうした、食え。毒はないぞ。甘みもそうないがな」


「……ご両親は? 皇帝陛下やお妃様は、殿下を守ってはくださらないのですか? 食事まで安心出来ないような現状を放っておかれるなんて——」



「鳥籠で大切に飼われていた小鳥はおめでたいな。まさか俺の母が妃に迎えられたとでも? そんなわけがない。ただの愛妾、いや戯れに過ぎない。飽いて放逐されたか流浪の血がそうさせたのか、母は寵愛を受けて暫くの後に帝国を離れている。不幸にも俺を懐胎してな」


 恋物語の様な身分を超えたロマンスがあったものと思っていたフェリシアは、明かされた事情に息を詰めた。

 ショックを受けているフェリシアには構わずサフィールは更に続ける。


「やがて俺が生まれ、継承権の証たる金眼を持つ異民族がいると帝国にも伝わった。その頃血統に固執するあまり、継承争いで敗れた傍流を誅殺するなどして絶やしてしまった帝国では、皇帝に子が産まれずついに後継となりうる男子がいなくなっていた。国体の危機だ。そこへ俺が生まれたと知り、もしもに備えた苦肉の策として王宮に迎えた。異教の民とはいえ皇帝の血を継ぐ者だ。この先も男子が生まれなかった時の保険としてな」


「……だから、ここで……王宮から離れてお暮らしなのですか?」


「……連れて来られた時にここをあてがわれた。時の皇帝が愛妾か何かを住まわせていた屋敷と聞く。宮殿に入れるのを厭う者も多かったようだからな。だがここは古く不便ではあるが侵入者があればすぐにわかる。考えようによっては王宮よりも格段に安全だ」



 ずっと不思議だったことの答えを知って、フェリシアはサフィールにかける言葉をなくした。

 

 淡々と、時に笑みを交えて事情を説明したサフィールの心情は正確にはわからない。

 ハスキーな声が切なく感じさせただけかもしれない。

 けれど、言葉の奥の方にある憂えた響きが今日までの過酷さを確かに物語っていた。


 きっと安心出来る場所も味方も無く、皇子と呼称されながらも異民族と忌まれ冷遇されたのであろう。


 その日々を想像すると、自分の中にある心細さや寂しさも重なってフェリシアの方が泣き出してしまいそうだ。



 暗がりの中、サフィールを見つめ続ける碧色の瞳が僅かな月明かりを反射して艶めきだした。

 その光に瞳が潤んだと気づいたサフィールは、ふいっとフェリシアから顔を背けた。


「……話しすぎた。好きに使え。俺は戻る」


 言い置いてその場を離れ出て行こうとするサフィールを、フェリシアは咄嗟に呼び止めてしまった。


「——! 殿下! あの……!」


「……なんだ」


 呼び止めたが何と言えばいいかわからない。


 下手な同情を言葉にしても不愉快なだけだろう。

 この人はここで、辛く冷たい現実を生きてきた人だ。

 何も知らぬ身で、理解したつもりの言葉では上部にしか聞こえない。


 フェリシアは迷って、両手にいつのまにかいっぱいに乗せられた果実をサフィールに見せるように掲げた。


「……こんなにたくさん……大事な温室を、使わせてくださってありがとうございます……いただきます」


 そう言葉を口から零すと、瞳からも涙が零れそうになってフェリシアは慌てて頭を下げた。

 仕切りの扉を開け放って振り向いていたサフィールは、暫しフェリシアの様子を見つめてからぽつりと言った。


「……邸内の者には俺の許可なく上階に踏み入る事があれば、理由如何によらず斬ると伝えてある。誰もお前の部屋に行かなかったのはその為だ。だから……礼は必要ない」


 サフィールはそう言うと、そのまま温室を出て真っ暗な廊下に消えて行った。

 

 温室奥の小さな菜園では、棚の上に置かれたままの手燭の炎がゆらゆらと揺れて、立ち尽くすフェリシアの影を薄く濃く何重にも夜に呑まれた部屋に落としていた。

お読みいただきありがとうございます。

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