九十一話 再びの夜に
ギギッと扉の開く音が聞こえてフェリシアは目を覚ました。
あれから部屋に戻され、夕方を過ぎた辺りで体力の限界を迎えいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
寝起きではっきりしない頭のまま、倒れ込んでいた長椅子から身を起こす。
何も掛けずにいた為少し身体が冷えている。
レイフォードの自宅でならきっとメアリーが何か掛けてくれただろうが、ここにはいない。
窓の外は既に暗く、月の位置から深夜だろうと思われた。
夕食も取らずに眠りこけてしまったが、ここでは誰も起こしに来ないし様子を確認にも来ないようだ。
やはりこちらから呼ばない限り、サフィールが口にしたとおり誰もやって来ないのだと分かった。
それが帝国流の普通なのかもしれないが、フェリシアは少し寂しくて心細い気持ちになる。
特に暗く静かな夜の中では、一人ぽつんと置き去りにされた気がした。
冷えた腕を摩りながら、暗い部屋にとりあえず灯りを点けようと立ち上がると、またバタンと扉の開閉音がした。
あまりにはっきり聞こえたので自室に誰か入って来たのかと入り口に目を凝らすが人影はない。
ホッとして蝋燭に火を灯したが、すぐに部屋に誰かいて出て行ったのではないかと思い至りフェリシアは辺りを見回した。
何もおかしな所は無さそうだったが、昼間物騒な話しを聞き、巻き込まれかけた身のため段々と怖くなってくる。
誰か呼ぼうかと思うも深夜が故に躊躇っていると、今度はゴトゴトと廊下からなにやら音が響いてきた。
「な、なんの音……」
得体の知れない音は次第に近くなって、しかし少しすると遠ざかった気がした。
怯えていたフェリシアはそれに僅か安心して思う。
ただでさえ突然の変化と慣れない環境に戸惑っているのに、更にわからない事だらけで益々疲弊していく。
唯一休めるはずの自室でもわからない事があっては疲れる一方だ。
そう思い至って逡巡したが、無駄に想像を膨らませて疲れるより何であるか確認した方がいい、とフェリシアは思い切って部屋の扉を開けた。
静かに開けたつもりだったが、建て付けも古くなっているのか思っていたより軋む音が大きく鳴った。
少しだけ開いた扉から顔を覗かせ、音のしていた方をそぉっと見やる。
すると暗い廊下の階段を挟んだ向こう側に蝋燭の淡い光が灯っていて、その光を手にして立っていた人物の金の瞳と目が合った。
「何をしている」
低いハスキー声でそう訊かれてフェリシアは詰めていた息を吐いた。
「殿下でいらっしゃいましたか。大きな音がずっとしていたので何かと……」
「古い屋敷だ。廊下や階段の音が部屋に響きやすい。特に夜はな。侵入者があればすぐにわかって便利だが、慣れぬと煩いか」
なるほどさっきのはサフィールが階段を上がってくる音だったか、とフェリシアは正体に納得し安堵した。
すると昨日サフィールが温室に現れたのも、フェリシアが立てた物音を不審に思って確認に来たからかも知れないとこちらも納得する。
「そうでしたか。わかりました。では——」
「待て」
用も済んだのでそそくさと部屋に引っ込もうとしたフェリシアは呼び止められてビクッと身体を跳ねさせた。
昼間、口ではもうしないと言っていたが気まぐれな人だ。また翻意するかもしれないと身構える。
「着替えてもいないな。食事にも降りて来なかったと聞いたが何をしていた」
「……すみません。今日は寝不足だった為、眠ってしまって」
そう伝えるもサフィールは何も言わない。
手燭の灯りを取り込んだ金の瞳だけを暗い廊下で光らせているだけだ。
他は輪郭を残して夜に溶け込ませていて、いよいよ黒猫のようだと思ってしまった。
「……では、おやすみなさい」
それからも特に何も言われなかったのでフェリシアは部屋に戻った。
正直眠気はないがベッドに横になっておこうかと、着替えに手をかけたところで廊下から音がして部屋の扉がバタンッと乱暴に開けられた。
「——⁈」
勝手に入って来たのはサフィールで、驚いて身を竦ませたフェリシアに近寄って来ると構わず腕を掴んだ。
「来い」
「やっ——殿下⁈ なにを……」
やはり気まぐれな人だ。
昼間の意思を翻したのだと恐れたフェリシアは抵抗したが、サフィールは掴んだ手を放さないまま例の如く無理矢理引っ張って行く。
「いやっ……もうしないって——」
嫌だ。けれどもう逃げられないし助けは来ない。怖くて足が震え出す。
だが部屋から引きずり出されたところで、サフィールは意外な事を言った。
「何も口にしていないのだろう。来い」
「……え?」
サフィールはそう言うとフェリシアを連れて一階へと下りて行く。
「あの、殿下……?」
「何か作らせる。簡単な物ならすぐ出来るだろう」
てっきりまたサフィールの部屋に連れて行かれると思っていたフェリシアは、サフィールの言葉に驚いてしまった。
初対面で冷徹に、お前はただの道具だと臆面もなく言い放った人物が、道具のはずのフェリシアを気にかけてくれているのだから。
「あ……ありがとう、ございます。お気遣い下さって……あの、でも結構です。もう遅いですし、皆休んでると思いますから……」
「起こせば良い。それが仕事だ」
「あの、でも、そんな本当に、こんな夜更けに起こしてまでなんて、結構ですから。夕食に下りて行かなかったのは私ですし、そんなにお腹も空いてませんか……」
と言ったところで、キュルルルッとタイミング良くお腹が鳴った。
確実に聞かれてしまい、恥ずかしさでかあっと顔が熱くなる。
「……空いてるな」
「ち、違います。今のは、そんな事はないんです……大丈夫ですから……」
と弁解する途中でまたお腹が鳴って、フェリシアは顔を覆った。
知らぬふりをしてくれれば良いのに、いつの間にか立ち止まったサフィールは金の瞳を煌々とさせてこちらをじっと見ているから恥ずかしくて堪らない。
顔を赤くして俯いたフェリシアをしばし眺めていたサフィールは、またグイッと腕を引いたかと思うと近くの部屋にフェリシアを連れて行った。
入った部屋は温室だった。
「殿下、ど、どちらへ?」
サフィールはフェリシアを連れて奥へと向かい、ガラス戸で仕切られた小さな区画へと向かう。
そこは魅せる為の温室ではなく、実用的な菜園になっていた。
植えられている低木には小さな木の実が幾つも成り、種類豊富な鉢植えの植物も実を結んでいる物がある。
畑になっている一角には、育ち始めた葉野菜や根菜の葉が頭を覗かせている。
自宅の温室でも育てていた野菜もあって、フェリシアは懐かしくなっておもわず声をあげてしまった。
「わぁ! こんなに沢山! 凄いですね!」
「この辺りはもう食える。起こすのを厭うなら、ここに成っている物を好きに食べると良い」
サフィールは言いながら近くの鉢から何個か成っていた実を毟ってフェリシアの手に落とした。
「素人仕事で手入れも適当だ。形も味もそう良くないが、まぁ食べられる」
「専門の者を置いていないのですか? あ、もしかして……ご自分で?」
「……最近はそう手をかけていない」
「ご趣味ですか? 土いじりがお好きとは意外です」
毟った実を次々手のひらに放っていくサフィールを見上げてフェリシアがそう尋ねたが、サフィールは不機嫌そうな表情のままでにこりともせず否定した。
「いや。止むを得ず、だな」
「……え?」
フェリシアが聞き返すも、サフィールは手を止めず顔も向けない。
極小の粒が密集して小指の先程の大きさになっている実を、低木からブチブチと摘み続けながらサフィールはまたあの質問をした。
「俺が何に見える?」
再びの問いに、フェリシアはバラバラと手のひらに乗せられていく実を取り落としそうになった。
また訊くということは、あの時は咎められなかったがサフィールは実は昼間の失礼な返答に対し怒っているのかも知れない。
もしや叱責されるのではと思ってフェリシアが黙っているとサフィールが続けた。
「お前は猫だなどと言ったが、大半は見た通り、皆同じ事を思う。そしてその通りだ」
なぞなぞみたいな言い回しに意図を計りかねてフェリシアが首を傾げると、サフィールが口許だけで笑った。
「見てわかる通り、俺の血には半分、国を持たず流浪する異民族の血が流れている。俺の母はサファルの民だ」
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