八十三話 垂れ込める暗雲
本編のみ追ってくださっている方へ
〈幕間での出来事〉
パパに許された!→やったぁ!もう僕のだぃっ!ではさっそく……→パパばれして阻止される→パパ「まだ俺ンとこの娘だわ!次やったらぬっ殺すかんな!」→ビビって自重→とか言っておいてなんだかんだあって結局即約束破った←ココが昨日の出来事
ふわふわの髪を巻き上げる風は暖かく、陽射しは昼ともなれば暑いくらいだ。
春ももうすぐ終わって夏がやって来る。
そんな予感に満ちた庭で、いつものようにガゼボにいるフェリシアは上機嫌で一人歌をうたっていた。
暖かな陽気と同じく、心の中までぼかぽかしていて、自然と笑みが溢れて歌だって勝手に口ずさんでしまう。
もう何の不安もない。アルベルトの傍にいられる時間が幸せでたまらない。
あと二週間もすれば、こちらに移って来て、半年後には生活だって共にする。
その先は誰に咎められることもなく、ずっとずっと一緒にいられるのだ。
すぐそこまで来ている未来を思い描いて、この幸せが途切れる事なく続いていくのだと思うと、どう表現して良いか分からないくらいの喜びで満たされる。
幸せだ。ただただ幸せだ。
ふわりと吹いた風が花弁を舞わせる婚約式も目前な春の中、フェリシアは降り注ぐ幸せを享受して満ち足りた気分で歌をうたい続けた。
しばらくそうしていて、早く訓練が終わらないかな、と思った時、屋敷から使用人が駆けて来て浮かれ気分を散らされた。
「フェリシア様! レイフォード公爵閣下より使者が遣わされております!」
「……使者?」
*
「閣下はなんと?」
「詳しくはわかりませんの。ただ、話しがあるからとにかく戻れと……」
馬車を用意させる間、訓練を切り上げて庭先まで見送りに来たアルベルトへフェリシアはそう言った。
「……そうか。わざわざ呼び戻す話しとは……」
「……そんなにご心配いただかなくても大丈夫ですよ、アルベルト様。父は偉丈夫ですから、話しと言うのが怪我や病気でない事は確かですもの。婚姻に際して持たせる物があると言っていたので、その件かもしれませんし」
アルベルトがあまりに神妙な面持ちをしているのでフェリシアは笑った。が、アルベルトだって義父の心配など無論していない。
恐れているのは昨日の出来事の露見だ。
あれほど強く警告された上で即座に破ったと知れれば、フェリシアを取り上げられてもおかしくない。
昨日の今日でフェリシアが呼び戻される形に今まさになっているのだから、邸内に密告者でもいて全てを把握されているのではとそんな疑心も湧いて来る。
そんなわけがないと分かってはいるが、理由も知らされずフェリシアと離される現状に、すれ違いと別離で負った傷痕がまた痛みだす気がした。
「それではアルベルト様、失礼します」
「……ああ」
過ぎった不安を口には出さず見送るアルベルトに、フェリシアは礼をしてくるりと背を向け馬車へ向かった。
だが、乗り込む寸前で足を止め、振り向くと駆け戻って来てアルベルトにぴとっとくっついた。
「……やっぱり行きません。週末まではお許し頂いてたんですもの。戻らずここにいます」
甘える様に身を寄せたフェリシアに、アルベルトは気づく。
フェリシアも同じように、引き離された記憶を呼び起こされたのだと。
「……フェリシア大丈夫だ。不安がらずとも、きっと何もない。閣下も数日離れて急にお寂しくなっただけだろう。あと二週間もすればずっと一緒にいられるんだ。もうあんな風にバラバラになる事はない。だから式までは閣下の側にいて甘え納めておくといい」
自分にも言い聞かせながらアルベルトがフェリシアを抱きしめると、フェリシアもそっと抱きしめ返した。
「……そうですね。お父様はご理解くださったのだし、あとたった二週間ですもの。何も心配する事ありませんでしたね」
「心配なのは今後閣下に子離れして頂けるかどうかだけだ。毎日呼び戻される事になったら堪らない」
「反対に毎日いらっしゃるかもしれないわ」
それは困る、と二人は顔を見合わせて笑った。
お互いの笑顔に心は離れる事がないと確認しあえて、安心したフェリシアは馬車に乗り込んだ。
「それでは、いって参ります」
「ああ。何かあったらすぐに迎えに行く」
笑顔で頷いたフェリシアを乗せた馬車がカーライル邸を去って行く。
アルベルトも微笑んで見送ったが、馬車が向かう先レイフォード領の方角の空は、直前までの麗らかさをじわじわと侵食するように曇り始めていた。
*
「ただいま!」
出迎えた者達にあえて明るく告げたフェリシアだったが、屋敷の雰囲気がいつもと違う事にすぐに感づき、押し込めた不安がまた立ち上って来た。
「……どうかしたの? 皆暗い顔して……もしかしてお父様に何か? メアリーは? どこ?」
「メアリー嬢は荷の支度に……お嬢様、お話しは旦那様よりございますので……」
使用人達は多くを語らず、フェリシアを父の部屋へと促す。重苦しい自宅の空気に嫌な予感がして、フェリシアは早足で階段を上った。
「お父様?」
ノックもそこそこに父の部屋のドアを開けると、父は窓際に立って曇り始めた空を見ていた。
「……戻ったか」
「はい……ただいま戻りました」
見たところ父は特に具合が悪そうな様子もなく、フェリシアはひとまずホッと息を吐いた。ただ横顔から窺える表情の硬さが気になる。
「あの……大事なお話しがあるって」
わざわざ呼び戻してまでする話しとは何だろうかと訝しむと、父はフェリシアに向き直って暫く見つめたあと、徐に、低く暗い声で告げた。
「フェリシア。呼び戻したのは外でもない。急な話ではあるが……お前と帝国の第一皇子との結婚が決まった」
「…………え?」
予想だにしなかった言葉に、フェリシアは事態を飲み込めずに父を見返した。
「帝国……結婚? 何を仰ってるの……?」
戸惑いを見せる娘から目を逸らして、父は答えた。
「……帝国と我が国は隣国故に長らく争いの中にあった。しかしこの停戦を機に強硬だった帝国も歩み寄りを見せている。和平の兆しだ。その足掛かりとして、王族同士の婚姻をもって両国間の親和を計ろうと、この数年水面下で調整を重ねて来ていたが遅々として進まなかった。だがこの度漸く話しが纏まった。それがお前と皇子との婚姻だ」
そう語った父の説明に納得も理解も出来ないフェリシアは思わず聞き返す。
「……何かのお間違いでは? 確かにひいおばあ様は王家の方でした。でも降嫁されて、私達は公爵家ではありますが王族ではありません。なのにそんなお話し……」
「王族でこそないが、王家の血に連なってはいる。我が国にも帝国にも今は王子しか居られない。王族の中には子女も居られたが、未婚で適齢であり婚約者も結婚のご予定も無く、種々条件を満たす方となると……難しくなる」
父は暗に、双方に折り合いが付かず長いあいだ難航して来たのだという顔をした。
「待ってください。それでしたら私にはアルベルト様という婚約者がいて、数ヶ月後には結婚だってするの——」
「口約束の、だ。正式に証人を立てて書面を交わしたわけではない。お前とアルベルトは正式には婚約者とは認められない」
「——そんな!」
「……支度を。王都で今後について説明がある。すぐにここを発たねばならない。帝国も一枚岩ではないとこれまでの経緯でこちらもよく分かっている。和平への機を逃すまいと両国とも婚姻を急いでいるのだ」
「待って……待ってください、嫌です。私絶対にそんな——」
「フェリシア」
「嫌よお父様! お断りして! お願い私アルベルト様と——」
「お前も遠縁とはいえ曲がりなりにも王家の血に連なる公爵家の者。聞き分けなさい」
「でもっ!」
顔を背けていた父は、声を荒げて抵抗するフェリシアへ、苦しそうな表情を向けた。
「……この婚姻で、長く続いた帝国との諍いに本当の意味で終止符が打たれる事となるだろう。恒久的な平和の為だ。我がレイフォード家はこの国の安寧を願い、盾となり剣となり国を支え公爵位を賜った。君主の判断を私情で反故にすることも命に背く事も出来ようはずがない」
「……お……父、さま……」
「我が娘ならば聞き分けろ。フェリシア……これは王命であり、国是だ」
「……——っ!」
父の口から告げられた非情な宣告に、フェリシアは息も継げなくなってその場に頽れた。
普段から真っ白な肌からは血の気が引いて、わなわな震えるだけの唇は言葉を発せない。
どうか嘘だと言ってほしい。
驚いたろうと笑ってほしい。
けれど知っているから、フェリシアはこれ以上突きつけられたくなくて両手で顔を覆った。
父はそんな冗談を好む人ではない。
大きな碧色の瞳に溜まった涙が、顔を覆った指の隙間からボロボロと溢れた。
声もなく泣くしかない娘の姿に、父もまた悲痛な面持ちをして目元を覆った。
「守ってやれなくてすまない……」
部屋にはすすり泣くフェリシアの微かな声だけが響く。
窓の外の煌めいていた春の華やかな景色は、いつの間にか垂れ込めた雲によって今にも雨が降って来そうな暗い灰色に塗り潰されていた。
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