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八話 私、汚れた女ですの

 ロドニーとの策謀後、部屋に戻って来たフェリシアは非常に悩んでいた。目標は決まったがそこへ至る手段が思いつかないからだった。


「……やっぱり思ったより難しいわ。捻くれててわがままで、粗暴でだらしないってどう実現したらいいの? いっぺんにやろうとするから難しいのかしら。どれか一つ簡単そうなものから……だらしないは分かりやすいわね、汚したままにしておけばいいんですもの」


 フェリシアはそう言うと、ベッドのシーツをグチャグチャにしてクローゼットから服を引っ張り出し、しまってあった化粧品類をドレッサーの上に全部出してさらに床に無造作に転がしてみた。


「いいわ、かなりだらしがない。これなら行けそう!」


 ところが、もっと何か散らかせないかと部屋を出て探しに行った間に侍女でもやって来て見兼ねたのか、フェリシアが本を抱えて帰って来ると部屋は綺麗に整えられていた。


「ダメねこれじゃ……どうしましょう」

 部屋を汚しても片付けられるし、服装や髪を乱しても同じだろう。それに服に関しては乱すのはロドニーに止められている。かと言って身体を清潔にしないのは流石に抵抗があるし、と悩んで一夜明け、フェリシアは閃いた。


「そうよ! 普通の服は汚したらすぐ洗われてしまうし気が咎めるんだから、汚しても構わない服にすればいいんだわ!」


 思いついたフェリシアはすぐに侍女のメアリーに頼んだ。


「お嬢様、メイド服はメイドの着る服です。お嬢様にお着せするわけにはいきません」


 メアリーは元々は母の侍女だったが、母亡き後はフェリシアの侍女兼教育係を担う年配の女性だ。心根は優しくても淑女としての振る舞いには厳しい彼女は、フェリシアの奇妙な懇願に首を縦には振らない。


「メアリーお願い、私汚れたいのよ。汚れてだらしない淑女になりたいの!」

「よご……お嬢様何を仰って……」

「お願い!」


 言葉の響きの怪しさにたじろぐメアリーと押し問答の末、何とかエプロンだけ着用を許されたフェリシアは、早速汚れるべく煤払いなど掃除を手伝おうとした。

 けれど慌ててメイド達に止められて、ならば庭で泥でも被ろうと思うも今度は庭師に止められて早くも八方塞がりになった。


「……難しすぎるわ。こうも上手く行かないなんて。どうしたら汚れられるの」


 何も手を打てずに庭の隅で膝を抱えてフェリシアが暫く悩んでいると背後に誰かが立った。


「エプロンなんて着けてどうしたんだ?」


 悩み続けるフェリシアには話しかけてきたのが誰かなど気にならず、確認する事なくごく自然にその人物と会話をした。


「私汚れたいの。それなのに上手く行かなくて」

「……汚れたい? それはどういう……」

「だらしなくなりたいの。身嗜みや部屋をそうしても直ぐ戻されてしまうから、汚れた服のままでいるってだらしないかと思って。だから汚れようと思っているのに止められてしまって……」


 フェリシアは、はぁ、と溜め息を吐いた。背後の人物はフェリシアの返答に小さく苦笑する。


「……なるほど? そうなりたい理由は分かり兼ねるが、服を汚したいなら良い案があるよ」

「——本当⁈」


 急に齎された希望にパッと顔を上げて振り向くと、そこにいたのはアルベルトだった。


「——! ア、アルベルトさ——」

「おいでフェリシア」


 アルベルトは驚いて狼狽えるフェリシアの手を引いて立ち上がらせると、その手を繋いだまま館の裏手へとフェリシアを連れて行った。

 先を歩くアルベルトの骨と血管が浮き出たゴツゴツとしている大きな手が、力の強そうな見た目の印象に反してフェリシアの華奢な細い指を優しく、けれど離れてしまわない様にしっかりと握っている。

 元々年上でいつだって手は大きかったけれど、いつの間にか大人の男性のそれになったアルベルトと手を繋ぐのも久しぶりで、子どもの頃とは違う感触にフェリシアの胸が小さく鳴った。


「あ、あの、どちらに?」

「もうラズの実がなっているのを知っていたか?」

「ラズの実……? そういえばジャムを作る準備をしていたような」

「あの実は潰れやすいからすぐに指にも服にも色が付く。汚れたいのなら打ってつけだと思ってね」


 館の裏庭のラズの低木が密集して植えられている区画まで来ると、赤い小さな実が既にたくさんなっているのが探さずとも見て分かった。


「もうこんなに! 気付かなかった。小さい頃は実がなるとすぐにロドニーと3人で摘みに行って、ジャムを作る分が無くなってしまうと怒られる程実を摘むのが楽しみだったのに」

「我々の方がメイド達より摘むのが上手かったから、そんなに摘みたいならと収穫を任されたこともあったね」

「でも結局食べてしまうからやっぱり怒られましたのよね」


 昔を懐かしんで思わずアルベルトに笑いかけると、アルベルトもいつもの様に優しく微笑んでフェリシアを見ていた。その笑顔にやっぱり嬉しくなってしまう自分がいて、フェリシアはパッと顔を背けて繋いだままだった手もさり気なく離した。

 好きだと確認しても仕方がない。この笑顔も手のぬくもりも受け取るに相応しい人が、アルベルトが贈りたいと思っている人が別にいるのだから。


「ひ、久しぶりですから、上手に摘めるかしら」


 フェリシアはわざとらしく明るく言うとプチンと萼の部分を引っ張って小指の先程の実を摘み取り、エプロンのポケットに落とすとわざと上から押し潰した。

 赤い汁がじわっと滲んで、真っ白でフリフリしたエプロンのポケットに歪な染みを作った。その染みに背筋にぞくっと来るような手応えを感じる。


「わざと汚すだなんて……背徳的だわ。でもこれできっとアルベルト様も愛想を尽かして下さる」


 小さく呟き、自信から笑みを浮かべてアルベルトをちらりと見ると、さっきもそうだった様にアルベルトはフェリシアを見て微笑んでいた。


「良かったね、汚せて。嬉しそうで何よりだ」


 子どもに話しかける口調で言ったアルベルトに、ずっと見られていたと気付いて急に恥ずかしくなったフェリシアは、誤魔化す様に次々ラズの実を摘み取った。熟れた実は少し力を入れると簡単に潰れて、弾けた果汁が指先を赤く染める。


「そ……そういえば、どうしてもう実がなっている事をご存知でしたの? 一度こちらを覗かれたのかしら?」

「いや、自宅の方の木にもう実がなっていたから、こちらでも実を付けているだろうと思ったんだ」


 アルベルトも実を摘んでいるが、どれも上手く取れずに潰してしまっているようで指先がフェリシアよりも赤くなっている。


「アルベルト様のご自宅にもラズの木が?」

「ああ、私が植えたんだ。ここで見習い期間を終えて自領に戻った時に。最近はよく実をつけるようになった」

「ご自分で? そんなにラズの実がお好きだったとは知りませんでした」

「そう、君と実を摘んだ思い出が詰まってるラズの木が好きなんだ。植えておけばいつかまたそんな日が来ると思って」


 片側のポケットに実をいっぱいにして当初の目的を忘れかけているフェリシアに、アルベルトが徐に近づいて彼女のふわふわと緩いウェーブの掛かった髪を撫でた。


「これから先春になる度に、君と私ともう一人か二人、それ以上でも。一緒に摘む日がいつか来る事を想像して植えた」


「……え?」


 もう一人か二人が誰を指すのか分からずきょとんとしたフェリシアにアルベルトは笑いかけると、髪を撫でていた手を滑らせてフェリシアの頬に当て、軽く顎を上向けさせた。


 そして、やっと上手に摘めた実を一つフェリシアの口にそっと押し込んだ。


 赤く染まったアルベルトの濡れた指先がフェリシアのピンクの唇に微かに触れた。


「……戻るよ。具合ももう心配なさそうだからね。存分に汚すといい」


 アルベルトはそう言ってフェリシアの頭をぽんと一撫でして微笑むと、振り返る事なく帰って行った。


 フェリシアは僅かに濡れた唇を押さえてその背を見つめた。

 口の中に広がったラズの実の甘くて酸っぱいその味が、胸に広がるアルベルトへの複雑な想いを表しているようだった。

お読みいただきありがとうございます。

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