七十五話 幸せはここに ②
並んで向かって来る二人を険しい顔で見据えたまま、父は微動だにせず待っている。
父が自分に対してこれ程厳しい顔を向けた事は記憶にない。
それ程の逆鱗に触れているのだと改めて理解して、フェリシアは震えそうになる手を握って歩を進める。
門を潜った所で、フェリシアはアルベルトより数歩前へ出て、意を決して話し始めた。
「……お父様、勝手に部屋を抜け出てごめんなさい。何も言わずに外出した事も……」
父は何の返事もせずただ真っ直ぐフェリシアを見ている。
「だけど……聞いて欲しいの。私この先ずっとあの部屋に閉じ込められて暮らすのは、絶対に嫌」
何も言わない父の無言の圧力に怯みそうになるが、フェリシアは負けじと続ける。
「……どうしてそんな事をなさるのかはわかっているつもりです。お父様は私を心配してくださって、守ろうとしてくださってるのだって。私の事を考えてくださるお父様のお気持ちには感謝しています。だけど、誰にも会えず外にも出れず、同じ景色を眺めるだけの毎日を送るあの場所に私の幸せはありません」
フェリシアの言葉に、父が初めて目を細める様に表情を崩した。
「ロドニーからお聞きになったと思います。あの夜は……誰もが少し行き違ってしまっただけで、何も無かったんです。アルベルト様はもちろん、誰も悪くない。だからお願いです、アルベルト様へのお怒りを解いて、婚約の破棄を撤回してください」
そこまで言うとフェリシアはアルベルトに歩み寄り腕を絡めた。
そしてまた父に強い眼差しを向ける。
「私の幸せはここにあります。アルベルト様の隣にしかありません。わかってお父様、私今まで通りアルベルト様と一緒にいたい。アルベルト様を心から愛してる。だからどうか、許して。もしお許し頂けないのなら……もう、二度と戻らない」
強く言い切ったフェリシアだったが、アルベルトの腕にかけた手が小刻みに震えていた。
黙って任せていたアルベルトは震えに気づき、その華奢な手をそっと握る。
「……閣下、約束を違えて申し訳ありません。蛮行の数々も重ねてお詫び申し上げます。ご不安があるのは承知しております。ですがどうか、私達の仲をお許し下さい。私も同じくフェリシアを心から愛しています。閣下に代わりフェリシアを必ず守ると誓います。だからどうか、お許しください」
支え合い寄り添う二人を見定める様に睨んで、しばし黙ってから父は口を開いた。
「……屋敷に戻れ、フェリシア」
「——っ! お父様——」
「戻れ。式まではお前は私の娘でしかない」
「……式? お父……様?」
フェリシアが聞き返すと、父は娘を見つめ口許を緩めた。
「……レイフォードを離れるにあたって持たせる物もある。週末には一度戻りなさい」
「——っ!」
フェリシアはアルベルトと顔を見合わせる。
父は剣を握れば苛烈であり、厳格な人ではあったが、フェリシアには穏やかな顔をみせ、時に過保護と言われる程優しくあった。
一人娘を守る為、その幸せを誰よりも願うが為に、鳥籠に捕らえているとの揶揄に甘んじながらも娘を慈しんできた。
深い愛を傾け続けてくれた父の理解に感謝で胸がいっぱいになって、フェリシアは涙を零し、背を向けて邸内に戻ろうとする父へ向き直ると叫んだ。
「ありがとう! お父様!」
振り向かない父の背を見つめ涙を流すフェリシアへ、アルベルトも込み上げるものを堪える様な表情で呼びかける。
「……フェリシア」
「アルベルト様……」
フェリシアは零れる涙もそのままにアルベルトの首に腕を回し、アルベルトはフェリシアを抱き上げて、二人は見つめ合うとぎゅっと互いを抱きしめあった。
すれ違い遠回りしてようやく舞い戻って来た幸せの風に、フェリシアはふわふわの髪を揺らしながら、今この手に帰った愛する人の温かさを確かめるようにきつく抱きしめる。
もう疑うことも涙することもない。
完全に終わりを告げた悪夢から目覚めた世界で、二人で描いてきた夢を現実にして行こう。
どんな時も手を繋いで、もう二度と離れたりしないと誓って。
*
陽も大分落ち夜の色が濃くなった甲板で、ガートルードは未だ、とうに見えなくなった港の方角を見つめ続けていた。
兄はとっくに船内に戻り、他の船客もちらほらいる程度になっている。
アルベルトが飛び降りて以降、呆然として無言でいたガートルードは冷たくなってきた風に頬を打たれ、ぽつりと呟いた。
「……あ、そう……」
零したか細い呟きは暮れかかった虚空に消えたが、一つ転がり出たそれは栓だったのか、封が開いてしまえば抑えていた感情が爆発したように次々溢れ出た。
「……あ、そう……あぁ、そう……あっ、そう、あっそう、あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっそうっですっかぁっ!」
ガートルードはまだ数人の客が周囲にいる事もお構いなしに大声で海に向かって叫んだ。
「私の心優しい天使な部分が無意識に出ちゃったけれど、こんなやり方じゃ生ぬるかったってわけね! 自らの選択で別れさせてやろうと慮ってやった優しい私が馬鹿だったってことですか。あーーーーっ、そう! よくわかった! じゃぁ、やっぱりあんたはアルベルト様の側から綺麗さっぱり消し去ってやらなきゃいけないようね。いいわよ、フェリシア。あんたがそんなにしぶといんなら、見せてあげるこの目の底力。今の内に謳歌しとくといいわ、束の間の幸せってやつを。私の力であんたをこの世界から追放してあげる。どんなに心を通わせたって抗えないものがあるんだって事を教えてあげる。アルベルト様の事だけは、絶対に、諦めない」
海風が長く艶やかな黒髪を靡かせる。
ガートルードは強い意志の宿った青紫の瞳で、真っ黒な夜色に染まって行く海の先を船上から鋭く睨みつけた。
ここまでお読みくださいまして誠にありがとうございました。
設定諸々は他に回せるし、なんて打算もあった上で、この後は蛇足になっちゃうかなぁ…とここで辞めようとも思って悩んだのですが、明日死ぬかもしれないから、やりたいと思った事はやり切ろうと思います。
と、言うことでここまでを一部とし、この後幕間を数話挟んでから第二部に入る予定です。
ぐたぐだと長いすれ違いをここまでお読みくださってありがとうございました。読んでもらえてる!と思ってここまで頑張る事が出来ました!
二部も引き続き、もしも読んでいただるようでしたらとっても嬉しいです!
ハッピーを目指して頑張ります!




