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七十四話 幸せはここに ①


『いつまでそうしてんだよ、日が暮れるぞ』


 馬を引いたカミルがニヤつきながら呆れた声で話しかけてきて、ようやくフェリシアは意識を引き戻された。


 気づけば周囲の人々が抱き合ったままのこちらを見て微笑んでいる。

 吹き飛んでいた羞恥心までもが一気に蘇って来て顔が熱くなり慌てて手を離すと、アルベルトも気づいたのか腕を緩めた。


 大勢の前で大騒ぎして告白までした現実を思い出す。

 その上いくら気持ちを確かめ合えたとはいえ、こんな人前で抱きあうなんてはしたなかったと、今さら動悸がしてきてフェリシアは胸を抑えた。顔の熱さが増していく。


『それとも俺だけ帰った方が良かった?』 


 カミルがニヤついたまま何事かを言うと、赤い顔のフェリシアを腕の中に収めたままアルベルトがほんの少し顔を顰めた。


「カミル……」


「あ、あの、あの、カ、カミルは何て?」


「……日が暮れるから戻ろうと」


「あ……そう……です、ね?」

 まだ午後のお茶の時間を過ぎたくらいであった為、正直そうは思えない。

 しかし今なお密着した状態でいて、周囲の目も自身の心音も無視できなくなったフェリシアは、一旦アルベルトから離れようと同意した。


「そうですね! では……きゃぁっ!」


 戻りましょう、と言いかけたフェリシアを、アルベルトが突然横だきに抱えあげた。

 

 急な出来事に心臓が爆発するんじゃないかと思うくらいの動きをして、顔が真っ赤になる。

 アルベルトはそんなフェリシアの様子には構わず、抱き上げたまま馬の背に横乗りにさせる。そしてすぐにその後ろに自身も跨り、フェリシアを腕の中に抱え込むようにして手綱を握った。


「海風が冷たくなる前に戻ろう」


 一旦離れて落ち着こうとしていたフェリシアは、より密着した態勢に頭が沸騰しそうになっている。



『おい、馬車で帰れよ! 俺がマルスに乗ってくから』


『元より乗って良いだなどと許可した覚えはないぞ。これ以上は許さん』


『許可なんて取ってる暇あったかよ⁈ 俺が機転を利かせてフェリシアを連れて来てやったから今があるんだろうが! それを——』


『呼び捨てるな。礼は言うが街中を疾走させた上、フェリシアを乗せて危険に晒した罪は重いぞ。マルスを引いて歩いて帰れ』


『歩けだとぉ⁈ ふざけんなっ!』


『いいから引け』



 アルベルトとカミルが何やら言い合っているが、フェリシアの耳には自分の煩い心音と、すぐ側にあるアルベルトの心音しか聞こえない。


 さっきまでは振り落とされそうで恐怖しかなかった馬の背も、アルベルトに包まれる安心感とドキドキに心の中が占められて怖くない。

 もう周囲の事だって、背中に感じる体温に意識が集中して気にならず、ただただアルベルトのことだけが頭に巡っている。


 ちょっぴり熱く感じる背中の熱に、こんな風に寄り添える日は永遠に来ないと苦しんだこの一月の涙が全部乾いて消えていく。

 心の奥で涙に溺れかけていた、アルベルトを信じて疑わなかった自分がやっと微笑む。


 この身を優しく包んでくれる両腕に、温かさに、恋焦がれた人と憧れ続けた関係に今やっとなれたのだと深く感じた。


 満たされた幸せな気持ちでフェリシアはアルベルトへ身体を預ける。

 少し早く思える心音が自身のそれと重なって聞こえた。



『……チッ。後で覚えてろ』

 悪態を吐いて渋々折れたカミルは口縄を取り、馬を引いてさっさと歩き出す。


『カミル、フェリシアを乗せているんだ。ゆっくり引けよ』

『はぁ? ゆっくり歩いてたらマジで日ぃ暮れ……あ』


 チラッとカミルは馬上のアルベルトを振り返る。

 アルベルトは自身にぴったり身を寄せるフェリシアを大事そうに腕に抱えて、口角を持ち上げてみせた。


『……大人には守んなきゃいけない体裁があるんじゃなかったのかよ、浮かれ狼』


 カミルもつられてへにゃっとニヤけてから、見送る人々にアピールでもするように異国の言語で歌をうたいながら歩きだした。もちろん、アルベルトの希望通りゆっくりと。

 



 陽も大分暮れて夕焼けも空の奥の方へ遠ざかった頃、ようやくカーライル邸が見えてきた。


「カミル、ここまで歩かせてしまって……」

「平気。歩くの得意」


 口縄を引いてずっと歩いて来たカミルにフェリシアが馬上から声をかけていると、背中に感じるアルベルトの身体が急に緊張した様な気がした。


「……? アルベルト様?」


 見上げると、アルベルトはじっと正面を見ている。

 フェリシアも倣って正面を向くと、帰りを待つように開け放された門の奥に、一人の男性が立っていた。


「——っ! お父様!」


 フェリシアは思わず声をあげてしまった。門の奥、庭の入り口に仁王立ちしていたのは誰あろう父であった。


 険しい表情でこちらを睨む父の姿に身を竦めたフェリシアだったが、アルベルトは馬の足を止めるとゆっくりと背から下りた。


 すっかり頭から抜け落ちていたが、フェリシアは父の目を盗んで勝手に館を飛び出して来た身。

 アルベルトの事にしても潔白だとは分かっている筈でも父は許していない。


 未だ治めてもらえない怒りの上に更に燃料を放り込んでいる状態だと気づき、メアリーの言っていた様にわかってもらえるとは到底思えず急に身体が強張る。


 けれど、とフェリシアは父の下へ向かおうとするアルベルトを呼び止めた。


「——ま、待って、アルベルト様」


 振り向いたアルベルトにフェリシアは決意の表情を向ける。


「父とは、私が話します」


 強い眼差しでの訴えに、アルベルトは頷くとフェリシアを馬から下ろした。

お読みいただきありがとうございます。

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