七十三話 祝福
間に合わなかった。
と出航してしまった船を見ながら、フェリシアは、はぁはぁと息を乱す。
アルベルトが乗っているのは確認出来た。こちらを見ていたので、気づいてはもらえただろう。
けれど船は出てしまった。
十分に伝えられたかもわからないまま、アルベルトと共にガートルードを乗せて。
急に足に力が入らなくなって、フェリシアはその場にガクンと膝をつく。
沢山の人に協力してもらってここまで来れたのに、あと一歩も二歩も遅かった。
ゆっくりと遠ざかり開いていく船との距離に、ガートルードの能力がどうあれ、もうアルベルトには会えないのだと思わされた。
疑い続けたこの一ヶ月が悔やまれる。
そんなものに惑わされる事がなければ今だってきっと隣にいたのにと、波立つ海を前にフェリシアは涙を零した。
諦めたくはないけれど諦めるしかない、これは信じられなかった報いだと去って行く船に言われている気がして、伝う涙を拭いもせずに船が描いた航跡波が消えて行くのを見つめていると、急にドダダッと何か重い物を落とした様な大きな音がした。
反射的に音のした方へフェリシアは顔を向ける。
フェリシアが座り込む桟橋のもう一つ隣の桟橋。港から突き出し途中から折れ曲がった形の造りのその先端。
蹲っている人影がありその辺りから音がした気がして、フェリシアは付近を涙でぼやけた視界で眺める。
桟橋の向こうにはアルベルトを乗せて去って行く船尾が見えて、打ち寄せる波のようにまた涙が込み上げて来た時、スッと立ち上がった人影が船とフェリシアとを遮った。
一目で武人と分かる体格、うんと高い背丈、髪は陽に透けて赤く燃えている様で、こちらへ向けたその顔には縦に走る大きな傷跡——
「——ア……ル……ベルト……様」
いるはずのない人が一つ奥の桟橋に立っていて、信じられずに息を呑んだフェリシアに、アルベルトが眉根を寄せて笑いかけた。
ぼやけた世界に浮かぶその笑顔に、言葉にならない想いが込み上げてくる。
力が上手く入らない足でなんとか立ち上がると、フェリシアは桟橋を転びそうになりながら岸まで走って戻った。
アルベルトも同じように桟橋を岸に向かって駆け戻る。
階段を上り倉庫の並ぶ街路まで出て、こちらに視線を向けたまま立ち尽くしている者や、手を止めたままの荷運び人の間をフェリシアは走り抜ける。
もつれそうになる足で必死に走って、広場の入り口前でやっとアルベルトの姿がはっきりと見えた。
「フェリシア!」
「アルベルト様!」
フェリシアは両手を伸ばし、同じく駆け寄って来たアルベルトの広げた両腕の中へ飛び込んだ。
アルベルトの身体に顔を埋めて抱きついたフェリシアが、ぎゅうっと背中に回した腕に力を込めると、アルベルトもフェリシアを包むように優しく抱きしめた。
「ごめ……なさ……私、酷い思い込み……誤解して、本当に……ごめんなさい……」
溢れてきた涙で言葉が紡げないフェリシアの髪を、アルベルトが首を振りながらそっと撫でる。
「……それは俺も同じだ。色々足りずに、思い込んで」
「そんなこと……信じられなか……私が」
首を大きく振って泣きながら振り仰いだフェリシアに、いつかの雨の日の平行線を思い出してアルベルトが微笑んだ。
「やめようフェリシア。お互い謝られたいわけじゃない。そんなに泣かれると、言いたい事が言えなくなる。君に泣かれるとダメなんだ」
大きくて無骨な手でフェリシアの顔に触れ、アルベルトは伝う涙を拭うと、海風に乱されて顔にかかった白く輝く髪を丁寧に避けてやる。
「……もう、会えないかと。君との未来を望んでいたのは俺だけだと思っていたから」
「私もずっとそう思い込んで、苦しくて……でも、あの夜アルベルト様が言ってくださったから、私やっと悪い夢から覚めたの」
涙の跡の残るフェリシアの頬をアルベルトは愛おしそうに撫で、フェリシアはその手に頬を擦り寄せる。
「漸く向き合えた。だから今度こそきちんと伝えたい」
「……もうすれ違いたくない」
二人は見つめ合い、どちらからともなく囁きあった。
「愛してるフェリシア」
「愛してますアルベルト様」
ようやく心を重ね合えた二人はぎゅっと強く抱きしめ合った。
それまで固唾を呑んで事態を見守っていた周囲の者達は、抱き合う二人の姿にわぁっと歓声をあげて一斉に拍手を送った。
こんな街中で衆目に晒されて、なんてはしたないのだろうと頭の隅に過りもしたが、降り注ぐ祝福の前にそんな思いも吹き飛んで、今やっと触れられたぬくもりにフェリシアの胸にはただ幸せだけが溢れた。
*
「……冗談……やめてよ……あの距離を船から飛ぶって……しかも陸地に届いちゃうって、ゲームか……」
「ほらな、ちょっと気分を変えてみると良いことあるって言ったろ?」
ハハハと甚く上機嫌な笑顔を浮かべてアルベルトの剣を拾った兄の側で、ガートルードは船縁にかじりついて驚愕の表情のまま低く呟いた。
甲板では事の次第を注視していた他の客達も祝福の声をあげる中、ガートルードだけが呆然としているが兄は気に留める事なく陽気な声で笑っている。
「式には呼んでねー! 呼ばれなくても行くけどねー!」
無論聞こえていやしないが、ニコルは船上から小さくなった港に向かって呼びかけ、広場前の人集りにいると思しき二人に手を振った。
遠くなっても伝わってくる広場周辺の幸せそうな雰囲気に、ガートルードは言葉もなく、ただただ去りゆく港を見つめるだけだった。
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