七十二話 小鳥姫は愛を歌う
旅客の乗船を終え、出港間近となった船が長い汽笛を鳴らした。
フロッセルまでの旅路はそう長くはない。アルベルトをこの手にするカウントダウンが始まったと、ガートルードはここまでの歩みを噛み締めた。
船の甲板で、じっと岸辺を眺めているアルベルトの横顔を側に立ち盗み見る。
太陽に照らされて赤く見えるこの瞳がもうすぐこちらを見つめて、そしてあの婚約式で見せる柔らかな笑顔を向けてくれる。
やっと手に入る。私だけのアルベルト。
そう思った時、ついに船が動き出した。ゆっくりと、船体が桟橋から離れ始める。
「暫くカーライル領ともお別れだね。のんびりするといいよアル君」
「ああ……」
ニコルの呼び掛けに生返事をして、アルベルトは思い出に別れを告げるように少しずつ離れだした岸を見つめ続けている。
何も知らない周囲からすれば親の仇を睨みつけているとしか思えない目つきだろうが、心情を知るガートルードには切ない表情に見えてキュンとしてしまう。
やっぱりもう暫くはこの傷ついたレアな姿を堪能しようと、脳内で早く手にしたいと逸る自分と言い合いを始めたところで港から騒めきが聞こえた。
きゃぁとか、わぁとか言う声が港街の中心から聞こえて徐々に近づいて来る気がする。
甲板にいる他の客も、ニコルもアルベルトも気づいたようで皆離れ始めた港を見ている。
「……なに?」
ガートルードが街中に目を凝らしたその時、人々を蹴散らすようにして港の奥の広場に一頭の馬が現れた。
馬車馬が逃げでもしたのかと思い、大変ねぇと興味を失くしかけたが、突然アルベルトが叫んだ。
「——マルス!」
マルスとはなんだと再び目を向けると、港の手前で止まった馬の手綱を握っている者の顔が見えた。
褐色の肌に黒と金が斑らに混じる独特な髪色。
「……カミル! あいつやっぱり何か——」
絡んできた数日前の様子を思い出し呟いたその時、カミルの後ろにもう一人乗っているのに気づいた。
海風に煽られて波打つふわふわの髪。
白に近い白金のそれと同じくらい白い肌。
その真っ白な中に埋め込まれた、離れた場所からでも印象的な碧玉の瞳。
「——フェリシア⁈」
ガートルードが叫ぶのと同時にアルベルトも驚嘆の声をあげた。
間違いない、本人だ。フェリシアがアルベルトを追ってやって来た。
「なんってしつこいの……あんたはもうアルベルト様とは終わったんでしょうが」
周りに聞こえないように声を押し殺して憤ったガートルードの側で、先ほどまで幽鬼のようだったアルベルトが目を見開いて生気を取り戻している。
横目にそれを捉えてガートルードはチッと舌打ちする。
「ロドニー……あのヘタレ。フェリシアがここに来たってことはやっぱりものに出来なかったのね。その上カミル……。嫌な予感はしてたけど、フェリシアとどうコンタクト取ったんだか」
フェリシアに手を貸して馬から下ろそうとしているカミルに、ガートルードは忌々しいとばかりに憎しみのこもった視線を投げた。
しかしすぐに余裕の笑みを作ってみせる。
「でも残念。もしもの事態は想定済み。念には念を入れて万が一にも接触出来ないように、アルベルト様はフロッセルにお連れする事にしたの。カミルあんたのお陰よ、ありがとう。見て、船は岸を離れたわ。フェリシア、あんたに出来る事はもう何もない。アルベルト様は私の手の中。軽蔑されながらも厚い信頼を勝ち取ってるニコルだっているんだから、この状況もどうとでも言いくるめられる。今さら現れても覆らない、ゲームオーバーよフェリシア」
ガートルードが勝利の微笑を浮かべた所で、馬からずり落ちるようにして地上に下りたフェリシアが、息を整える仕草をした後に一声叫んだ。
「アルベルト様ぁっ!」
動き出した船の上にいても高く澄んだその声は雑音を割いてはっきりと耳に届いた。
華奢な身体から発されたとは思えないその声の大きさとクリアさに、小さな身体で遠くまで鳴き声を響かせて歌う小鳥のようだと思った。
思わず気を取られてしまったガートルードの横で、呼びかけられたアルベルトは船のへりに手をかけて身を乗り出している。
「アルベルト様!」
船上にいるアルベルトを認めたフェリシアは、尚も真っ直ぐに耳に届く声で呼びかけながら進み始めた船へ向かって走ってくる。
「ごめんなさい! 私、酷いことを沢山しました!」
ロングスカートが走りにくいのだろう、足を取られそうになりながらフェリシアは懸命に船を追いかけて桟橋へ向かっている。
「あなたを疑って、不安になって嫉妬して、あり得ない事を思い込んで、振ってもらおうとしました!」
少しずつ船の後方に遠ざかっていく岸に合わせて、アルベルトも甲板を後方に向かってゆっくりと移動する。
瞳はじっとフェリシアを見つめながら。
「それがあなたの幸せの為になると信じてた! でも違いました。あなたを傷つけただけだった!」
船上にいる他の客も、港で見送っていた者も働く者も、皆フェリシアを注視している。
「私、大切な事を忘れてました! 目の前にいるあなたをちゃんと見て聞いて、信じれば良かったんだって! あなたはいつだって優しくて、変わらず手を離さないでいてくれて、何もなくたって愛してくれてるってずっとわかってたんだから!」
まるで映画みたいだと、駆け寄ってくるフェリシアを他人事として眺めていたガートルードは漸くハッとする。
気づけばアルベルトは船のへりに沿って後部まで移動していた。
「ア、アルベルトさま——」
慌てて呼び止めようとしたガートルードの言葉を、港から歌われるフェリシアの声が薙ぎ伏せる。
「私の知ってるあなたと、教えられたあなたが違うなら確かめれば良かったの! だけど疑う気持ちが邪魔をして、あなたに伝えられないまますれ違った! でももう間違わない!」
桟橋で足を止め、海風に弄ばれるふわふわの髪に視界を遮られながらも、離れて行った船を見上げてフェリシアは息を切らしながら叫んだ。
「お慕いしてますアルベルト様! あなたとの婚約が、その先の結婚が待ち遠しくて仕方なかった! あなたが婚約者だって知ったあの日から私もずっと同じ気持ちです。私が好きなのはあなた一人だけ! 愛してますアルベルト様!」
歌われた愛の言葉に、虚ろだったアルベルトの瞳に光が戻ったのが離れた位置からでもわかった。
そんなアルベルトの様子にガートルードは唇を噛んだが、憤った荒い呼吸を何とか抑えて冷静に状況を鑑みる。
「フェリシア……邪魔ばっかり……でも残念ね、船は出た。どうやってもあんたはもう追いつけない。今ここでアルベルト様に魔法を掛けてしまえば、私の勝利は変わらない」
もう遅い、とガートルードは手の甲を口にあてがうと食いちぎる勢いで歯を立てようとした。
「ニコル」
その時、アルベルトがニコルを呼んだ。
顔はずっと、遠ざかって行くフェリシアに向けたまま。
「ああ、もちろん! 後で送るよ。どうせ肌身離さず持っていたい物なんてないだろ?」
ガートルードの後方に立っていたニコルは、ただ呼ばれただけなのに謎の返答をする。
不可解なやりとりを疑問に思ってしまったガートルードが動きを止めて、チラッと兄とアルベルトを見比べたその刹那、佩剣をガシャンと床に放って、アルベルトが船のへりから距離を取るように数歩後退り、
「頼んだ」
と言ったかと思うと、タッと長身故に長い脚で船端に向かって走り出した。
「えぇっ! ちょ……冗談でしょ何する——っ⁈」
驚いて大きな声をあげたガートルード同様、一連の出来事に視線を送り続けていた船客達が突然の奇行にどよめく中、アルベルトは走り込んだ勢いのまま船縁をダンッと蹴って、既に大分距離の開いた桟橋めがけて迷う事なく船から飛んだ。
お読みいただきまして、ありがとうございます!
追記:
以前誤字報告くださった方ありがとうございました!あらゆるものが音痴で、よくわからないままオッケってしちゃって数日何話の何処がどうなったのか分かってませんでしたが、どうも直ってなかったらしく(解せぬ)その後多分直せたと思ってます!
知らせてくださってありがとうございました!




