七十話 情愛
「嘘……?」
急いでくれたのだろう普段より数倍揺れが激しかった為、舌を噛みそうで話せなかった馬車を降り、舟に乗り換えた所でロドニーが話し出した。
「そう、嘘。君がこれまで信じてきた占いは全部嘘。その上で僕はガートルード嬢と手を組んで、君があの占いを本物だって信じるように色々工作してきた。偶然仲の良い場面を見たり、会ったりしてきたでしょ? あれは偶然じゃなくてそうなるように打ち合わせて誘導してた。君達二人が仲を違えて婚約が白紙に戻るように。ずっと騙してきてごめん」
対面に座り平謝りするロドニーを前に、フェリシアはどこか安堵する。
それまで思考を支配していた物達があの夜アルベルトの告白に溶けて消えた。
似た気持ちになった事が一度あったけれど、抱き合っていた二人の姿に都合の良い夢や思い込みだったのだとあの時は打ち消した。
しかしそれがアルベルトの言葉通りフェリシアの誤解であり、画策された事で嘘であったとはっきりわかって、今度こそ本当に悪い夢が覚めたのだと教えられた気がした。
ほらね、信じていれば良かっただけだ、と諦めの悪かった自分が心の中で口を尖らせて囁いたのでフェリシアは思わず笑ってしまった。
「……軽蔑しないの? 僕のこと。酷いことばっかりしてるのに」
ふふっと嬉しそうに笑ったフェリシアに、痛罵も覚悟していたロドニーは驚きよりも困惑の色が濃い顔をする。
「君を裏切ってた、ずっと。悩んで相談に来る君がそのまま破局を迎えるように、信頼を逆手に誘導して……親友のふりして騙したのに……怒らないの?」
フェリシアは笑顔のまま首を振る。
「そうね……ロドニー酷いって思わなくはないけど、怒るなんて。何にしても占いを信じこんで別れようとしたのは私で、アルベルト様を信じられなかったのも私だから。寧ろ、今全部嘘だったって言ってもらえて、やっと夢から覚めた気分。救われたってこういう気持ちかしら」
「フェリシア……」
胸を押さえてほっと息を吐いたフェリシアを見て、ロドニーも敵わないといった風に困った顔で笑った。
フェリシアは微笑み返すと、眼前に広がる空に眩しく輝く太陽を見上げた。
「良かった。全部嘘だったのなら、私アルベルト様にお応えしてもいいのよね。酷い態度の数々をアルベルト様に許して頂ければ、私たちきっと元に戻れる。お父様だってわかってくれるわ」
占いを聞く前の暖かで幸せな日々が戻って来る予感に喜びを隠せないフェリシアだったが、そこへロドニーが固い声で水を差した。
「それなんだけど……」
一瞬和らげていた表情を曇らせたロドニーに、安堵していたフェリシアからも笑顔が消える。
「……なに?」
「今日無理矢理抜け出したのには理由があって、届いた手紙に蛇ってあったでしょ? 弱ったアルベルト卿を狙ってるみたいな表現で」
「ええ……」
フェリシアは受け取った手紙を取り出しもう一度読んでみる。
「それは多分、ガートルード嬢の事を指してる」
「あ……」
ロドニーが白状した通りなら、ガートルードはアルベルトを自分のものにしようとしている。
邪魔者だった自分と婚約解消に至ったアルベルトを放ってはおかないだろうと、ガートルードの存在を失念していたフェリシアは焦りを覚えた。
「で、でも……いくら婚約解消したからって、アルベルト様はガートルードさんの事をそういった対象に見てはいないって——」
「アルベルト卿が正気なら心配ないと僕も思うよ。だけどあの人は……ガートルード嬢はおそらく催眠術みたいな物が使えるんだ」
「……催眠術?」
怪しげな言説を持ち出されて訝しんだフェリシアだったが、正面に座るロドニーは真剣な顔をして頷いた。
「多分、そういった類いが使えるんだと思う。君を惑わせたあの占い、それを告げた占い師はガートルード嬢の変装だったんだ。ただの占いを、しかも真の想い人がいて婚約破棄の挙句に流刑だ投獄だなんていう、突拍子もない内容を君はすんなり信じただろう? それこそ行動を支配されたくらい盲信的に」
「占い……ええ、確かに。そんなことないっていくら思ってもすぐに思考が引き戻されて……どうしても別れなきゃって……でも、そんなこと——」
「僕も一度、彼女と話していて世界が遠のいて行くような不思議な感覚に陥った事がある。青いはずの目が赤紫っぽく見えた気もして、頭の中で声がずっと響いて」
赤紫と聞いて、フェリシアは占いの言葉と共に脳裏にチラついた占い師の瞳を思い出す。
呪いのように何度も何度も繰り返された、頭の中に響く誘う声と赤紫に光るあの瞳。
「……まさか、本当に?」
「真偽は……。でも僕はそう思ってる。その彼女がアルベルト卿の側に居続けて、手紙にもある通りいよいよ歯牙に掛けようとしてるなら……急がないと、今度はアルベルト卿が惑わされてしまう。だから、こんな形で邸内の者も巻き込んで君を無理に連れ出した」
父の説得を諦め急がせたのはその為かとフェリシアは納得し、同時にアルベルトの身を案じる。
何度否定しようとも、いくら振り払おうとも抗えず、身を委ねたくなる心地良さのあるガートルードの声にアルベルトが絡め取られてしまったら。きっとどんな言葉も届かなくなる。それは自身で経験している。
取り戻せると思って期待に膨らんでいた胸の中に急に冷たい風が吹いて、フェリシアは胸元の服を掴んだ。
「……ごめんねフェリシア。僕が馬鹿だった。臆病な卑怯者だった。壊すのが怖くて、それでも君に振り向いて欲しかったから汚い手を使ったばかりに……。何度も泣かせて今だってまだ苦しめてる。君を陥れる為に持った覚悟は、正面から伝える為に持つべきだった。全部僕のせいだ、ごめん」
悲痛な面持ちで謝るロドニーに、フェリシアは弱気になりかけた自分を鼓舞する意味も込めて微笑みかける。
「ロドニー、そんな事ないから。例え特殊な力が働いたのだとしても、簡単に信じた私がいけなかったのだから。アルベルト様なら大丈夫って私知ってる。お心だってお強い方だもの、私みたいに簡単に惑わされたりしないわ。だから大丈夫よ」
微笑みかけながら慰めるフェリシアに、ロドニーはともすれば泣き出しそうな顔を向けた。
「……僕は本当に馬鹿だった。君がどういう風に考えて行動する人なのか知ってたはずだったのに。手に出来ない結果は同じでも、壊れるなんて恐れなくてよかったんだ」
ロドニーはそう言うとフェリシアの手を握った。
「フェリシア。僕は君が好きだった。たまにズレてて突飛な事するのも、考えすぎて空回ってるのも可愛くて、誰かを恨むような心の暗い所がない明るくて優しいところも、幼い頃からずっと変わらずにいる君が好きだった」
やり直された突然の告白にフェリシアは瞳を瞬いた。
けれどあの夜は振り払ってしまった手を握り返して、今度はきちんと返事をしようと、いつも通りの穏やかな眼差しを向ける濃紺の瞳を見つめた。
「ロドニー、ありがとう。だけどごめんなさい。私アルベルト様が好き。おかしくなってても絶対諦めなかった自分がいたくらい好き。思わない日が無い程アルベルト様の事を考えちゃう。どうやってもアルベルト様以外考えられないの。だから、他の誰かじゃダメだから、ごめんなさい」
碧色の瞳の中央にロドニーを据えてそう返答したフェリシアを、しばし黙って見返した後、ロドニーは静かに笑った。
「……うん。わかった。答えてくれてありがとう。ずっと痞えていた気持ちがすっきりした。卑怯な真似をする前にもっと早くこうしておけば良かった。本当にごめん」
謝ったロドニーにフェリシアは首を振って答えた。ロドニーはそれを認めてから繋いだままの手に目を落とす。
「ずっと苦しかった。嘘を吐いて、騙して。君を好きな気持ちと泣かせている罪悪感に挟まれて。そんな姿を見たいわけじゃなかったから。どんなに謝っても足りない……でもアルベルト卿の事はきっとまだ間に合うと思うから」
ロドニーは左目に痣のくっきり残った顔をあげるとフェリシアに微笑んだ。
「散々泣かせた僕が言うのもおかしいんだけど、フェリシアには笑っていて欲しい。その為にはアルベルト卿に隣にいてもらわなくちゃ。やっぱり僕は、一緒にいて幸せそうにしてる二人が、嫉妬したくらいに好きだから。君の幸せが戻る事を願います。従兄弟として兄として、家族として」
「ロドニー……」
手を繋いで微笑み合った二人の間には、あの日崩れてしまうと危惧したものが積み重ねてきた形のまま変わらずそこにあった。
時には揺らぐ事があっても、もう恐れることはないと思える。
恋仲のそれとは違うけれど、深く強い情愛で繋がっているのだと知れたから。
「ありがとう」
お読みいただきありがとうございます。




