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六十七話 褪せない思い出


「帰るよ、俺」


 ニコルなりの気遣いだろうか、はたまた生来の軽薄さだろうか、抜け殻になったアルベルトへ普段と変わらぬ調子でニコルは言った。


「終わったって言うから、例の諸々。話しがついて穏便に済んだって。いやー、今回は危なかったね、係争になんてなってたら領民からも顰蹙買っちゃうとこだったよ」


「……買ってるだろ、とうに」


 ここ数日ずっとそうしているように、窓際の椅子に身体を預けたままアルベルトは覇気なく投げやりに返答した。もうずっと何をする気も起きない。


「フロッセルの何を知っててそんな事言うんだよ、失礼な男だな。そんな可愛くない事ばかり言ってると連れて行ってやらないぞ」


 何処へ、と思ったが確認するのも面倒でアルベルトは黙ってニコルを見上げた。ニコルは意を汲んだのかにっこり笑ってみせた。


「一緒に来なさいアル君。どうせここでほうけてるだけなんだから、何処でだって一緒だろ。思うに今のお前に必要なのは気持ちを整理する時間と環境だ。ここに居たらいくら時間をかけて整理してもまた気持ちがこんがらがって来るよ。思い出が色んなところに落っこちてるから」


 言われてアルベルトは灰色の庭へと目を移す。


 レイフォード邸の花に溢れた庭に比べれば落ち着いた造りだが、ガゼボの周辺だけは負けぬくらい華やいでいる。

 少女趣味が強すぎて、武人然とした自分では不釣り合いな為わざわざ向かうこともないし思い入れもない場所だ。

 しかし眺めていると、つい最近珍しくあちらへ足を踏み入れた事を思い出してしまう。

 風に揺れる花弁とふわふわの髪が脳裏にチラついて、アルベルトは目を逸らした。


 視線を逸らした先、兵舎や訓練場と真反対にあたる庭の右手奥には別棟として小規模な邸があり、アルベルトの部屋からは小さな温室が見える。

 正式に婚約し、結婚式まで終えた後はあちらの別棟に居を移して新婚生活を送る予定だった。


 隣接する温室はレイフォード邸の物に似せて後から作ったものだ。気軽には足を運べなくなる大切な場所を、せめて思い出してもらえたらと思って。


 その温室の裏手には、苗木を植えて育てたラズの低木が実を付けている。最初の頃はなかなか実を付けなかったが、最近ではジャムが作れそうな程実が成るようになった。

 籠では足りずに広げたスカートにまでいっぱいに実を摘んで、潰れた実でスカートが真っ赤に染まったのが見つかり怒られた日々が思い出される。


 もうすぐあの日々を懐かしみながら、また並んで実を摘む日がやって来ると疑わなかった。



 何処へ意識を向けても思考がフェリシアへと行き着く。アルベルトは堪らず片手で両目を覆った。


「ほらね。少しの間ここを離れてゆっくりした方がいい。そんな様子のお前を残して帰るのはガーダも心配だって言ってるし。ちょっと気分を変えてみれば良い事も起こったりするってものだよアルベルト。ここに傷心旅行に来た俺に新しい彼女が出来たみたいにさ。じゃ、午後には港に向かうから、支度しとけよ」


 ニコルはアルベルトの返答を待たずに一方的に言い置いて部屋を出て行った。


 一人残されたアルベルトはしばしそのままの姿勢で考えてから、諦めたように緩慢な動作で立ち上がった。

 

 *

 

 もうずっと同じ景色を眺めている。

 部屋からも出られず何も変わらない毎日をただただ送る。

 フェリシアはいつも通り窓から庭を眺めて溜め息を吐いた。


 流石に涙は止まったが、こうして何も出来ずに時間だけが過ぎて行き、やがて気持ちも含めて何もかもが風化していくのかと思うとまた泣きそうになる。


 忘れる事が最良なのだと父に言われている気がするが、想いが通じ合っていたと知った今、揺らいでいたアルベルトとの思い出の数々はより鮮明になっている。

 忘れるなど、忘れたくなどない。


 何とかしてこの緩やかな風化を待つ現状を打破したいが、父ともまともに話せない日々は続いていて、アルベルトへの誤解もきっとそのままだ。


 出来る事もなく、歯痒さを抱えたままぼんやりと庭に目を向けていると、一台の馬車が入って来た。

 フェリシアは反射的に窓に張り付き目を凝らす。降りて来たのは年配の男性のようだった。


「——違う……お父様に来客かしら」


 もう二度と現れないと知っているのに一瞬アルベルトかと期待してしまって、フェリシアは頭を振ると窓から離れた。


 わかっているのに庭を突っ切って来る影をつい探してしまう。

 来訪を告げる窓が叩かれる音を未だに待って、そして思ってしまう。


 陽に透けて赤く見える瞳でこちらを見つめ、スカーフェイスが与える印象を覆す優しい笑顔を向けてほしい。

 もう一度低い声に名前を呼ばれて、細かな傷の沢山付いた骨張った大きな手に髪を撫でられたい。


 アルベルトの事はあれから一切耳に入ってこない。どうしているだろうかとベッドに腰掛けて案じていると、コツンと小さな音がした。


「……何の音?」

 部屋を見渡してみるが何か変わったところもない。気のせいかと思っているとまた同じ音がした。

 不審に思い音の出所を探していると、館の側面にあたる窓に外から何かが当たってコツンと音を立てた。


「何かしら」

 フェリシアが窓に近づき確認しようとすると、小さな石が下から窓に投げつけられた。

 下に誰かいる。

 窓を叩いて来訪を告げるのは。


 ハッとしたフェリシアは急いで窓を開け放し、乗り出すようにして眼下を見た。


「——良かった! 気づいてくれて!」


「……ロドニー⁈」

 窓の下で小石を構えて投げようとしていたのはロドニーだった。あの夜以降閉じ込められてしまったので、ロドニーと顔を合わせるのもあれ以来だ。


「どうしてたの⁈ 怪我は? 大丈夫?」


「大丈夫! フェリシア降りて来て! 行こう!」

「行くって……何処に?」


「決まってるよ!」

 聞き返したフェリシアにロドニーは言った。


「アルベルト卿の所へ!」

お読みいただきありがとうございます。

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