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六十六話 虚ろな日々


 泣き腫らした目の腫れが二日経っても引かない。

 あの夜から泣いてばかりいるので当然なのだが、アルベルトの事を考えるとどうしても涙が零れてしまう。

 鏡に向かって身支度を整える今だって頭に浮かぶのはアルベルトの事だけで、やはり滲んできた涙をフェリシアは手の甲で拭った。


 あの日以来、父はフェリシアの話しを取り合ってくれない。

 誤解だと何度伝えても、何もないと必死に訴えてもアルベルトに対する怒りと誤解はとけないようで、フェリシアのどんな言葉も黙殺されてしまっていた。


 その上自室を修繕の名目で二階奥に移されてしまい、隣の部屋にはメアリーが、階段前には使用人もしくは兵など誰かしらが常に立つようになった為自由に部屋から出ることもままならない。

 フェリシアは溜め息を吐いて髪を梳かす手を止めた。


「誰も取り合ってくれない……アルベルト様もこんな気持ちだったかしら。誤解だって何度も言われたのに、私は取り合わず、思い込んで疑ったままで……」


 フェリシアはまた込み上げてきた涙を押し留めるように止めた手を動かして髪をくしけずった。


 父とすら満足に話せない生活の中でアルベルトになどもう会えないと予感して、これは報いだろうかと思ってしまう。

 アルベルトを疑う事がなければ、信じてさえいれば今だってそれまでと変わらず傍にいられたのに。占いに踊らされて疑心に駆られ、アルベルトの言葉を信じられなかった報いかもしれない、と。


 ならせめて、アルベルトの汚名だけはそそがなければとフェリシアは思う。

 父の誤解をとき、アルベルトは潔白だと証明しなければならない。全ては自分が引き起こした事なのだから、アルベルトが報いを受ける事などない。


 だが部屋に閉じ込められている状況ではどうにもならず、無力感からフェリシアがまた手を止めた時ドアがノックされた。


「失礼致します。朝食のお時間です」


 現れたのは朝食の乗ったワゴンを押したメアリーだった。部屋から出る事を最小限しか許されていない為、あれ以来部屋で食事を取らされている。


「メアリー!」

 フェリシアは朝食の支度をするメアリーに駆け寄った。


「ねぇ、あれからアルベルト様はどうなったの? 何か不名誉な事になってたりはしない? 手紙は? 届いてないかしら。 私の書いた手紙は、送ってくれているのよね? アルベルト様から何かご連絡は? お父様が心配しているような事は何もなかったの、ただ少し行き違っただけで……全部誤解なのだって貴女からも言って、ねぇ、メアリー!」


「……お嬢様、申し訳ありませんが、アルベルト様については一切関わらせるなと申しつかっておりますので……」


「……一切って、じゃあ……手紙も、送ってくれてない、のね……」


 父とはまともに話せず、アルベルトに手紙を送る事も叶わない現状にフェリシアは絶望する。


 アルベルトの為にとしてきたつもりの全てが彼を傷つけただけだったと、改めて思うと申し訳ない気持ちで泣きたくなる。

 せめて謝罪と、不名誉な事態になる前に父へ訂正を申し入れたいのにどうにも出来なくて歯痒い。

 先ほど堪えた涙を留めておけなくなって、フェリシアはポロポロと涙を零した。


 あの夜アルベルトに抱きしめられて囁かれた言葉と自分も同じ気持ちでいるのだと、ここまですれ違う前にたった一言伝えられていればこんな事態にならなかったとフェリシアは自分を責める。

 ガートルードへの誤解も無くなった今思い返せば、言葉にせずともアルベルトはずっとフェリシアを愛してくれていたとわかる。

 いつだって笑顔で優しくどんなに酷い振る舞いをしても受け入れて、決して見離さないでいてくれたくらいに。


 出来るなら昨日までの全ての行いを謝罪して、そしてあの夜伝えてくれた想いに応えたい。

 だが半ば閉じ込められて連絡の手段もなければ何もかも叶わない。


 気づくのがいつも遅い、気づいた時にはもう遅い。と、フェリシアはまだ抱きしめられた感触を思い出せる自分の両腕を抱いた。


 そのままの姿勢で小さく嗚咽を漏らして倒れ込むように長椅子に座ったフェリシアの側で、カチャカチャと朝食の支度を続けるメアリーもまた悲痛な表情を浮かべていた。

 

 *

 

 現実感のないぼんやりとした世界の中で、アルベルトはこの二日間を無為に過ごしている。日課だった婚約式までの日を数える行為も鍛錬も、何もする気が起きない。

 部屋から見える庭の色も、数日前まではもっと華やかだった気がするが急に灰色に塗り潰された。

 悪い夢のようだと思うが、ガラスでざっくり切った両手を覆う包帯に、あの夜が現実で、そして一続きのこの世界も現実なのだと教えられてしまう。


 虚ろに窓の外を眺めていたアルベルトは視線を包帯を巻いた手に落とした。華奢なフェリシアを抱きしめた感触がまだ手のひらに残っている気がする。



 昨日、レイフォード公から父へと書簡が送られて、フェリシアとは正式に婚約破棄の運びとなった。

 

 まだ婚約には到っていなかった為もっと正確に表現するならば、双方を婚約予定者と認許する非公式な約定の破棄となるややこしさに、ほんの少し可笑しさを覚えてアルベルトは一つ息を吐く。


 師弟の情けか父と旧友故か、誤解も含めた諸々の暴挙は罪に問わずにおいてくれたようだ。

 だがいっそ公の場で断罪されて流刑にでもなった方が良かったとアルベルトは思う。フェリシアのいなくなった現実を今まで通り生きるのが辛い。


 もう少し、ここまでフェリシアが思い詰める前に、あの夜のように伝えられていたら何か変わっていただろうかと、叶わないもしもの世界を考えてしまう。


 しかしすぐに打ち消す。


 あの日フェリシアからは返答はおろか抱きしめ返される事も無かったし、理由が何にしても彼女自身が婚約解消を望んでいたふしもあった。

 遅かれ早かれきっと別れることになっただろう。今更考えても遅い。

 幸せに彩られていたフェリシアとの思い出が急に色を失くしていく。


 もう二度と触れる事のないだろう感触を忘れるように、ぎゅっと手を握りしめて、アルベルトはまた窓の外へ虚ろに視線をやった。



 そんな風に、血だらけで帰ってきて以降、終始虚ろな様子で部屋に籠っているアルベルトをドアの隙間から見ていたカミルは、険しい顔をして屋敷を出ると真っ直ぐ兵舎まで向かった。

 兵舎では訓練を終えた兵士達が丁度戻ってきた所で、その中の一人、比較的年の近い兵士にカミルは険しい顔のまま話しかける。


「ねぇ」

「おぉ、どした? あ、お前訓練サボったろ? アルベルト様が休養されてるからって——」


「書いて!」

 カミルは兵士の言葉を遮って手にしていた便箋とペンをずいっと顔の前に差し出した。


「書く……って、何を? あ! おいー、そういう事かぁ? マセガキめぇー! アルベルト様が傷心だって言うの——」


「そう! だから書く!」

 カミルは睨むような眼差しで兵士を見た。


「……かぁーっ! これだからガキはぁ。主君のご子息様が落ち込んでるのに自分だけ春を迎えようとしやがって、ちっとは自重して思いやれないのかよ……で、何処の誰だ? どうやって知り合った? いや岡惚れか? 邸内の人間? 可愛い? 俺に紹介できる友達か姉妹はいる?」


「ここで会った。惚れてない。アルベルト好み。他領の奴。家族知らない。話した事ない」


「……え、そんな人に手紙出すの? なんで? というか、相手の名前とかわかってんの?」


「わかってる。大丈夫」

 カミルはコクンと頷くと紙とペンを呆れた顔をしている兵士に強引に渡して言った。


「フェリシア・レイフォード。アルベルトの婚約者」

お読みいただきありがとうございます。

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