六十三話 交差する点
※ごめんなさい! 血が出る? 出てる? 表現が入ります。そんな描写力はないのでイタタタぐらいですが苦手な方は真ん中辺りまで飛ばして頂ければと思います。
春も終わりに近づき、昼と夜との寒暖差は大分少なくなった。今夜だって、首元も腕も露出したドレスで暫く外を歩いても寒くはなかった。
そのはずなのに、今フェリシアは震えが止まらないくらいの寒気に襲われている。
怖気の方が正しいのだろうが、指先は冷たくなって歯の根は合わず、実際気温が数度下がった気さえしている。
そんな錯覚を覚えるほど、怒りに満ちた赤い瞳が恐ろしい。
必死で滾る物を抑えているような、ゆっくりと、しかし荒い呼吸音も唸り声に聞こえて恐ろしさに拍車をかける。
怒りと殺気に満ち満ちた、こんなアルベルトを見るのは初めてだった。
「あ……アルベルト……さま。どうして——」
割れたガラスを気にする事なく、戸枠に手を掛けアルベルトは無言のままゆっくりと部屋に入って来た。
ガラス戸は叩き割ったのだろう、枠に掛けた手から血が滴るのが見えてフェリシアは小さく悲鳴をあげた。
アルベルトは肩で息を繰り返し、赤く光る瞳を見開いたままへたり込むロドニーを見ている。
「……アル、ベルト様……?」
「殺す」
フェリシアが震える声で呼び掛けたと同時にアルベルトが重低音で呟いた。かと思えば、既にロドニーが殴り飛ばされていた。
殴られたロドニーはフェリシアから引き剥がされて、ガターンッと大きな音を立てて長椅子にぶつかった。
「——ゃっ!」
フェリシアが声にならない悲鳴をあげたがアルベルトは止まらず、痛みに悶えていたロドニーの首に手を掛け絞めあげる。
「——うっ……ぅぐ……ぐ、ぁ」
苦しそうな呻き声をあげて踠くロドニーの様子に、フェリシアは慌ててアルベルトの腕にしがみついた。
「や、やめて! アルベルト様やめてください!」
それでもアルベルトの腕は緩まず、このまま折るのではと思う程の力で首を絞め続けている。
ロドニーの呻き声が弱々しくなってきてパニックになったフェリシアは半狂乱になって叫んだ。
「やめてアルベルト様っ! ロドニーが死んじゃうっ!」
「当然だ。君の誇りを傷つける真似をした」
「してない! されてないの何も! なんでも——」
「何でもない? 組み敷かれて泣いていながら庇うのか!」
アルベルトがやっと手を離してフェリシアの方へ向いた。
牙を剥き出しにして睨み付ける姿は威嚇する獰猛な獣にしか見えず、初めてアルベルトを怖いと思った。
「か……庇ってなんて……本当に……」
「だったら今のはなんだ。まさか合意の上だとでも?」
ゲホゲホと苦しそうに咳込むロドニーが何か言いたげにしたが、呼吸するのも精一杯の様子で詰め寄るアルベルトと怯えるフェリシアを見上げるだけだった。
「合意……そんなわけ……誤解です、全部誤解なんです。何もないんです」
「……誤解? そうか、誤解か。ならその破れたドレスも誤解なのか」
言われてハッとしたフェリシアは己の姿を確認した。揉み合った際に破れたのだろう、オフショルダー気味な襟部分の右側が裂けて肩と胸元が淫らに露出していた。
「こ……れは……その……」
ドレスを掻き合わせて慌てて胸元を隠したフェリシアに、アルベルトは急に自嘲する様に笑った。
「……ああ、そうか。これも例の振られる為の行動とやらだったか? 随分な真似をしたな。そこまでして解消したかったのか」
「——っ! ち、違います!」
「だったら何なんだ! そんな事までされて庇う理由はなんだ!」
咄嗟に否定したフェリシアにアルベルトが怒鳴った。言葉に詰まって怯えるフェリシアを睨みつけたアルベルトは、煮えたぎる感情を落ち着けるように一度深く息を吐き出した。
「……誤解、勘違い、思い込み。ずっとそればかりで何が事実で何処が思い込みかもうわからなくなった。だがもういい。理由ももういい。ようやく一つだけわかったから。誤解してたのは君じゃなくて俺の方だったのだと」
「……え?」
「ガートルードがいるから? だから振られたい? こちらを気遣うふりはやめてはっきり言えばいい。君が俺との結婚を望んでいないのだと」
「そんなこと——」
言いかけてフェリシアは口を噤んだ。
このまま頷けば望んできた結果が得られるのだから否定するべきでない。そうと分かっている。
けれど心は否定の言葉を泣き叫ぶ。今だってアルベルト以外考えられないと確かめてしまったばかりだから。
フェリシアは抑え込んだ言葉の代わりに首を振った。溢れそうな涙を堪えて小さく首を振ったフェリシアに、睨みつけていたアルベルトは僅かに眉根を寄せながら言った。
「……ずっと同じだと勘違いしていた。君は何も言わない……違うな、言えなかったのか。お父上に逆らうなんて出来ようはずがないから、俺が察してやらなければならなかったんだな。だがずっと思い込んでいたから、そんなこと微塵も頭になかった。君が同じ様に結婚を望んでくれているとばかり思っていたから」
「……同じ様に……望む?」
アルベルトの言葉に違和感を覚えてフェリシアは聞き返した。
アルベルトがフェリシアとの結婚を望むはずがない。ガートルードがいるのだから。
何も言えないのはアルベルトの方で、ガートルードを愛しているはずなのだから。
そう思って改めてアルベルトを見ると、怒りに満ちた表情は消えて悲哀のこもった目をフェリシアに向けていた。
「……ああ、そう思っていた。だが思い違いだった。君は他の誰かを……いや、理由なんてもういい。君は俺との結婚を望まず、婚約を解消したがってた。君との未来を思い描いていたのは俺だけだった」
「——え……?」
何と言ったのか。聞き取れてはいたのにフェリシアにはわからなかった。
何故そんな事をアルベルトが言うのかわからない。
あの日占われた通りガートルードという想い人がいて、疑いようもない事実としてこの目で二人の仲を見てきてもいる。
それなのに、フェリシアとの結婚を望んでいたような事を言うアルベルトが理解出来なくて、フェリシアは混乱する。
「な……に? なんで……なんでそんなこと仰るんです? 婚約を解消したいのはアルベルト様でしょう? 断れないから仕方なく我慢してらしたのでしょう? ガートルードさんがいらっしゃるじゃないですか……なのに何でそんなこと仰るの⁈」
「誤解だと何度も言った。ガートルードとは何もない。どう言ったら伝わるんだ! 君との婚約を解消したいだなどと思ったことは一度もない!」
「嘘です! だって……だって見てきたもの、何度も……今日だって! だから私は……なのになんで……なんでここまで私を追っていらして、なんでそんなことまで言うのかわからない!」
「どうしてわからない!」
取り乱して訴えるフェリシアにアルベルトが吼えた。
あまりの迫力に怯えたフェリシアは身体をビクッと震わせて思わず目を瞑った。
今まで一度も見たことのないアルベルトの激しい感情の発露に、殴られる気さえして身を固くする。
しかし、次の瞬間フェリシアの身に訪れたのは、ぎゅっと強く抱きしめられる感触だった。
「愛してるからに決まってる……愛してるんだ、こんなにも」
事態を飲み込めずに動けないでいるフェリシアを抱きすくめて、そう絞り出すように呟いたアルベルトはもう一度告げた。
「フェリシア、君を愛してる」
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