六十二話 最低
ガラス戸から差し込む月明かりが、絨毯敷きの床に押し倒されたフェリシアと四肢をついてその上に覆い被さるロドニーを照らしている。
乱れて無造作に広がったふわふわのプラチナブロンドは淡い光に映えて、宗教画の聖女のような神々しさすらあると、こんな状況なのに何処か冷静な頭の隅でロドニーは思った。
随分と最低な真似をしている。
今に始まった事ではないが卑劣極まりない。
これまでフェリシアを騙し、嘘を信じ込ませて幾度も悲しませながら慕い合う二人が仲を違うよう画策してきた。
我ながら反吐が出る。罪悪感と自己嫌悪で狂いそうだ。
だがそう思いながらも耐えてきたのは、彼女が婚約解消に至れば長年封じ込めてきたこの気持ちにも光明が射すと身勝手ながらも希望があったからだ。
アルベルトをフェリシアの心から消す事が出来れば、きっと外にも目を向けてくれると期待があった。
別れを経て傷ついた心を癒やしてあげられるのは自分しかいないとの自負もあった。
誰よりも側にいて常に味方でいた。だからこの策略の先は保証しないと言われても、必然的にフェリシアは自然と自分を見てくれると思っていた。
しかし今、無理矢理フェリシアを組み敷いて自分のものにしようとしている。
例えアルベルトと別れても彼女の心からアルベルトが消えることはないし、傷を癒す事が出来てもアルベルトの代わりに自分が選ばれる事は無いのだと悟ってしまった。
今日までフェリシアの涙と己の下劣さに目を背けてまで縋って来た一縷の望みの潰える結果を、受け入れられずに否定する気持ちが自らの力で手に入れてみせろと責め立てる声に突き動かされた。
ここで無理矢理奪ったとしても、望む結果になりはしないと冷静な自分は知っているのに。
寧ろ遠ざかり、今までと同じようにすらフェリシアの瞳に映ることもなくなるというのに。
そのはずなのに、叫ぶでも泣くでもなくこちらを静かに見つめ返すフェリシアに、ロドニーは訊かずにはいられなかった。
「……ねぇ、今、何されてるかわかってる? そこまで無知じゃないはずだよね。なのに……どうして、そんな目をして僕を見てるの」
力ずくで組み敷かれているというのに、ロドニーを見つめるフェリシアの瞳には怯えも嫌悪も軽蔑も浮かんではおらず、少しの驚きとこちらを気遣う様子の色が浮かべられているだけだった。
「……だって」
心配そうな眼差しを向け続けたまま、フェリシアは掠れた声で答えた。
「だって、ロドニーがずっと、泣きそうな顔してるから」
指摘されたロドニーは片手で顔を隠すようにして、バッと身を起こしフェリシアから離れた。
どんな表情をしているかなんて意識になかったが、感情がバラバラ過ぎて無意識に泣きそうになっていた。
ロドニーが自分に困惑しているとフェリシアの小さな声が響いた。
「ごめんなさい」
「……え?」
見ればフェリシアも涙を溜めてロドニーを見上げていた。
「ごめんなさい。私、全然気づかなかったから……ロドニーがそんな風に思ってくれてた事。知らなかったから、だから、ずっとアルベルト様のことをあなたに相談して……」
そこまで言ってフェリシアは顔を覆った。こめかみを涙がつたう。
「ごめんなさい……私ずっと、ロドニーのこと傷つけてた」
声を震わせ泣き出したフェリシアに、ロドニーも込み上げるものを抑えられなくなった。
「……なんで? なんでこんな状況で、君が謝るの? 謝るのは僕の方だ……君を何度も泣かせて……こんな酷い事までして……味方のふりしてずっと騙して傷つけて……」
ロドニーは喉を詰まらせながら言葉を絞り出す。
こんなに酷いことをしているのに、いつもと変わらない気遣いを向けてくれるフェリシアに胸がはち切れそうだった。
「ごめん……ごめん。君を苦しめたのはアルベルト卿じゃない。全部僕だ。裏切ってたのも悲しませたのも全部……僕だ」
目元を覆って隠した指の間から涙が零れた。一粒流れると堰を切ったように次々と溢れてくる。
「……本当はわかってた。アルベルト卿が例えいなくなったって、君が僕を恋愛対象には見ないって。家族でしかないんだって。でも……それでも諦められなくて卑怯なこと考えた。正面から振られる勇気は持てないくせに、君が泣くってわかってる事には踏み出せるなんて……本当、最低だ」
ロドニーは項垂れて嗚咽を漏らす。
フェリシアを陥れる罪悪感と卑劣な自分への自己嫌悪でずっと押し潰されそうだった心が限界を迎えて涙が止まらなかった。
「ごめん、フェリシア、ごめんなさい……こんな事して……何度も傷つけて……ごめん」
横たわったままのフェリシアに縋るようにつっぷす態勢となったロドニーは謝り続けた。フェリシアは身を起こすと、自身も涙を拭いながらロドニーの肩をさすって慰める。
「ロドニー、いいの。こんなの本気じゃないって分かってた。私こそごめんなさい。何にもわかってなくて、ずっと……忘れたいなんて言って、本当はそんな風に思えてなかったのも……」
「君が謝る事なんてない……それだって、元はと言えば僕のせいだから。君が今日まで悩んできたのは、全部僕が、騙してきたせいだから」
「……だます? 何の……こと?」
咽び泣くロドニーにフェリシアが聞き返したその時、
ガシャーーーーーーーーッン!
「きゃぁぁぁぁっ!」
突如として部屋のガラス戸が破壊され、けたたましい音と共に室内に割れたガラス片が散乱した。
外は凪いでいて風に煽られた何かが飛び込んできたとは思えない。では何が、と早鐘のように鳴る心臓を押さえて恐るおそるガラス戸だった開口部を見ると、月を背にして黒い塊が聳え立っていた。
微かに聞こえる低い唸り声に一瞬巨大な獣かと思って息を呑んだフェリシアだったが、バリンッとガラス片を踏みつけた革靴と、こちらを睨みつけるギョロついた真っ赤な瞳を認めて気づいた。
「ア——アルベルト……様……」
そこに立っていたのは、震えがくる程の殺気を漲らせたアルベルトだった。
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