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五十九話 今一歩


「あら、これは一体何の騒ぎかしら」


 二人の間にあった緊張がいつの間にか伝播し、ダンスを楽しんでいた者達をも包んだ周辺一帯の騒然とした空気が、()()のある声で裂かれた。


「レディ、逆ですよ。空気はすごい事になってるけど皆さんとっても静か。あのお二人以外は」


「あら、いやだ、本当ね。いつもは掻き消されがちな音楽が良く聴こえる。そうだ、今夜は主人のお気に入りの曲にしたのだった」


 その場にいた者達が声の主に目を向けると、逆に場違いな程クスクスと楽しそうに笑っていたのは主催者の夫人とニコルだった。


「でもちょっと暗いのよね。曲を変えてちょうだい。皆さんも気分を変えてお楽しみに」


 夫人の要望に応えて流れる音楽が明るい曲調の物に変わると、二人に注目していた者達が少しずつ元の世界へと帰って行く。

 夫人はニコルを伴って立ち尽くす二人の側までやって来るとフェリシアへ向けて囁いた。


「いけないわ、ここは全てを忘れて楽しむ場所よ」

「……申し訳ありません。この様な、騒ぎを……」

「いいのよ、ハプニングは大好き。でも涙は良くないわ」


 指摘を受けて初めて泣いていると気づいたフェリシアは慌てて涙を拭った。


 夫人が現れた事で燃え盛っていた物が段々と鎮火していき冷静さを取り戻す。

 それまで目に入らなかった周囲を認識出来るようになってくると、招かれた身で騒ぎを起こした罪悪感と、醜い諍いを大勢の前で晒した羞恥心が湧き上がる。

 そこへ焼け爛れた浅ましい気持ちの残骸までが灰となって降って来た為、この場にいる事もアルベルトの側にいる事も耐え難かった。


「……謝罪は後日、改めてさせていただきます。お招き下さってありがとうございました。本日はこれで失礼致します」


 謝辞を述べその場を足早に離れていったフェリシアに我に返ったアルベルトだったが、追いかけようとするのを遮るようにニコルが現れた。


「おいおい、お前はガーダを放っといて何してるんだよ。ホールのど真ん中で騒ぎまで起こして……連れて来た俺の身にもなれよ」


 すっかり頭から抜け落ちていたが、アルベルトはそう言われてガートルードを一人にしてしまった事を思い出した。


「ガーダにはエントランスにいるよう言ってある。迎えに行って連れて帰れ。もういいだろう? 俺は——」

「馬鹿言うな、これからが楽しいんだろうが。お前が上手く言って連れ帰ってくれよ」

「お前に付き合う暇はもうないんだ! とにかく退いてくれ!」


 ニコルと無駄な話しをしている間にフェリシアの姿は人混みに紛れて行く。


「フェリシア!」

 呼び止めようと叫ぶも、会場はまた淫靡な狂騒に満たされた世界へと戻り、絡み合う人々から上がる悦楽の声に掻き消された。


「え、なになに? 婚約者ちゃんこの夜会にいるの? あれ、さっきのそうだった? なんか見たことある気はしてたけど、まさか、まさかの一面だね」

「いいから退け!」


 言わなければいけない。

 今すぐ誤解を解かなければ。

 思い違いをしたままのフェリシアを離してしまっては、彼女が口にした願い通りになってしまう気がする。

 重なった人の群れが行く手を阻む中、アルベルトは急いでフェリシアを追いかけた。




「……何急に」

 俄に騒がしいとは感じていたが、会場内に流れる音楽の曲調が突然変わったので、ガートルードは不審に思いホールを見渡した。

 

 そのことで赤紫の瞳が目の前から消えた為、ロドニーはハッと意識を引き戻された。

 頭にはまだぼんやりとした浮遊感と響いていた心地良い反響音の余韻が残る。

 急に意識が遠のくような今の感覚は何だったのだろう。不思議に思いガートルードを見るとホール中央に視線を注いでいた。


「……ちっ、見逃した。いまいち何してるかわかんないわね。何か数人集まってるみたいだけど何でそんな事になってるのよ。上手くいったのかしら」


 ロドニーも視線の先へ目を凝らすと、ホールの中央でダンスもせずに立ち尽くしている数人が見えた。

 ガートルードに倣ってしばらく見ていると、その影の中からフェリシアが飛び出して来たので何かあったのだと気づく。

 フェリシアは会場内に蠢く人影を縫って足早に出口へ向かって行く。


「フェリシア!」


 出口付近に差し掛かった所で慌てて呼び掛けると、ロドニーの声に気づいたフェリシアが探す様に振り向いた。

 仮面越しでも瞳が艶めいて見えた為、涙を溜めているのがわかった。


「……あの様子じゃ破局したわね。焦らすんじゃないわよ。今日までご苦労様ロドニー。後はお互い頑張りましょう。それじゃぁね」


 同じくフェリシアの涙を認めたガートルードは軽妙にそう言うと、ホールの中央へ足を向けて暗がりに溶けるように消えた。


「あ、待って……」


 まだ早いという焦りか、それとも仲を裂いた罪悪感がそう思わせるのか。

 ガートルードが軽やかに発した破局という言葉がロドニーには重い。

 望んでいた結末を今フェリシアが迎えたと言うのに、去って行ったガートルードと同様には喜べない。この手で引き起こした事態の重さを物語るフェリシアの涙に二の足を踏んでいる。


 臆病な卑怯者とはその通りだ。


 けれどそういった思いとは裏腹に、頭の隅の方ではせっつく様な声が響き続けている。

 どの道フェリシアをこのまま放っておけはせず、ロドニーは一旦自分の感情を押し込めてフェリシアに駆け寄った。


「どうしたの⁈ ごめんね、一人にしたから」


 ロドニーに気づいたフェリシアは悲痛な面持ちを見せた。


「ロドニー……ごめんなさい付き合わせたのに、私もう帰るの。ロドニーは気にしないで楽しんで」

「何言ってるの。君が帰るなら僕も帰るに決まってるでしょ? 行こう。話しは戻ってから聞くから」


 小さく頷いたフェリシアを連れて、ロドニーは帰途につくべくエントランスを抜けて船着き場へ向かった。

 背にしたダンスホールでは楽しそうな音楽と賑やかな笑い声が飛び交っているが、頭の中に大きく響くのはどこか浮遊感を伴ったガートルードにかけられた言葉の残響だった。




 豪邸を後にするそんな二人の様子をホール内から確認してガートルードはほくそ笑む。


「フェリシア、やっとあんたを追い出せた。これでアルベルト様の心は空っぽでズタボロ。ついに私の願いが叶うんだわ」


 うふふっと堪え切れずに笑い声を漏らしながら、アルベルトがいるだろう中央付近へ悠々と近づいて行くガートルードだったが、すぐ脇をアルベルトがすれ違って行った。


「——あ? えっ、アルベルト様⁈」


「失礼、通し——ガーダ? 中には入るなと……」


 招待客の合間をなんとか縫って進んでいたアルベルトがガートルードに気づいて振り向いた。

 てっきり傷心で憔悴していると思っていたガートルードは驚く。


「お、お二人とも中々戻って来ないんですもの。あんな所で一人にされて心細くて……探しに来たんですのよ。もう帰られませんこと?」


「悪い、向こうにニコルがいるから連れて先に帰れ。俺はフェリシアの下へ行く」


「はぁ⁈ フェリシア……様? なんで——」


「いいな、ニコルを任せたぞ」

 一方的に言いおいて、アルベルトは押しのける様に酔客の間を割って出入り口へと向かって行った。


「ちょっと、待ってアルベルトさ——」

 追おうとしたガートルードだったが、アルベルトとの間に割って入った人影に立ち塞がられて阻まれる。


「こんばんは、良い夜ですねお嬢さん」

「暗がりでも映える美しい瞳だ……よろしければお話しでも」

「よろしくないから! 退いてそこ! なんなの急に! もうっ! アルベルト様ぁ!」


 ガートルードが叫んでいたがアルベルトの耳には届かず、そのまま足を止めずにホールから出た。

 エントランスを見渡すもフェリシアは見当たらず、そのまま豪邸を出て船着き場へ向かう。しかしそこに舟は無い。


「舟は⁈」

「ヒェッ、もも申し訳今ありませんが先の舟が出たばかりですので……お、恐れ入ります、今しばらくお待ちを……」


 アルベルトは今にも噛みつきそうな剣幕で桟橋にいた舟守に尋ねたが、一足遅くフェリシアを乗せた舟は岸を発った後だった。


「……くそっ」

 乱暴に呟いたアルベルトの言葉は、別世界の様に愉しげに鳴り響く豪邸の音楽に呑まれて消えた。

お読みいただきありがとうございます。

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