五十一話 夜会に舞う蝶
まだこの場面書き上がってないんだけれども
「言ったよ? 確かに。それが一番早いって。でもさ、フェリシア……」
正装して馬車に揺られながら、向かいに座った同じくドレスアップしたフェリシアに、ロドニーは今日まで何度もして来た質問をする。
招待状が届いてから二日後のこの日は、例の夜会が密やかに開催される日だった。
「もう決めたの。不貞する」
キリッとした表情を向けるフェリシアに、ロドニーは困った顔をするしかなかった。
不貞をはたらくと宣言されたあの日。あまりに衝撃的な発言に、ロドニーは驚き過ぎて階段を落ちかけた。
狼狽しつつも発言の真意をよくよく聞いてみると、不貞行為に対してフェリシアとロドニー——に代表される世間一般——との間に認識のズレがあるようで一先ずは安心した。
フェリシアの言う不貞とは生々しい情事ではなく、パートナー以外の異性との二人きりでの会話や逢瀬程度なのだそうだ。
確かに不貞ではあるのかもしれないが、そう呼ぶには随分と境界が曖昧で可愛らしいものである。
そういった認識ならば、狭い馬車の中、パートナーでない自分と二人きりでいる今の状況も不貞になるのだが……とロドニーはより複雑な顔をする。
「……君がそんなことしなくても、それだけの決意があるなら一言伯父さんに伝えれば——」
「この前の雨の日の事で、お父様きっとアルベルト様を叱責したのでしょ? 今私が婚約解消を切り出したら、きっとアルベルト様が何かしたって思われるわ。それは絶対に避けたいの。何も分かっていなかった私がいけないのだから、これ以上アルベルト様を苦しめたくない。私のせいで別れるのだって周りにわからせたいの」
宣言した日から変わらない意志の強さを見せるフェリシアに、ロドニーはもう止める術がない。
「……君は本当に変な所が頑固で、ズレてるけど真っ直ぐで……そういう所が好きだよ」
「ありがとう。私もいつも無茶に付き合ってくれるロドニーが好きよ。今日は本当は心細かったから一緒に来てくれて嬉しい。ところで、眼鏡はどうしたの?」
今日のロドニーは眼鏡を外し、いつもは下ろしていて目に掛かる程長い前髪を掻き上げている。
「仮面舞踏会って聞いたから。無くても見えはするし、仮面オン眼鏡じゃ決まらないかなって思って……変かな?」
「ううん、とっても素敵よ! きっと放っておかれないわ」
にっこり微笑んだフェリシアにロドニーも微笑み返したが、つくづく異性として見られていないのだなとの自嘲だった。
同じ時間を重ねこんなに近くにいるのに、言葉に込めた想いの欠片も届かない。
まだ遠い。もう少し、あと一歩。
そう思って今日まで卑劣な真似をしてきたのだ。
だがその時がいざ来たとして、この瞳に自分は映るのだろうかと、一切の警戒もないフェリシアを見ながらロドニーはぽつりと呟いた。
「……その相手は僕じゃ駄目なのかな?」
その小さな問いかけは馬車の音に掻き消されて、やはりフェリシアには届かなかった。
街の停留所から普段は航行していない特別な舟に乗って、とある運河を渡りその畔に立つ豪邸に二人は到った。
外は陽も落ちて暗く周囲は見渡せない。途中無意味に舟が回転するなどして方向感覚も狂わされた為、ここがどの地域なのか本当に分からない。
そんなミステリアスな場所で人知れず開催されている夜会へと、フェリシアとロドニーは足を踏み入れた。
「ああ! 本当に来てくれたのね! 私の可愛い小鳥さん」
広い玄関ホールに入ると二階に上がる階段下で招待客の相手をしていた仮面の女性がすぐさま歓待してくれた。
「ほ、本日はご招待頂きましてありがとうござ——」
「そんな堅い挨拶は無しにして。ここは自由の空間なのよ。身分も立場も何もかもを忘れて、ただ一時、何も纏わない自分を解放する場所なの」
しーっと長い指を紅い唇に当てて、挨拶するフェリシアを遮った女性はそう言って笑った。
その声も、仮面に隠されていても美しいと分かる顔も、明らかにあの淑女ノッテンドルフ公爵夫人であったからロドニーは愕然としてしまった。
高貴さを纏わせた凛とした出で立ちで、優雅に淑やかに微笑む貴婦人中の貴婦人が、どう見ても主催としてフェリシアを迎えている。
しかも、平時は完璧な淑女然とした装いの夫人が、今宵は身体の曲線を拾うスレンダーなボルドー色のドレスを身につけ、肩口から胸元にかけてを大胆に露出している。
化粧だって夜の闇に映える濃さに替えられ、真っ赤に彩られた唇はつやつやと艶かしい。
髪もきっちり纏められている普段とは違い、緩く崩されたスタイルからは後れ毛が幾筋も肩に首にゆるりと掛かって煽情的である。
普段は感じさせない、匂い立つほどの色香を漂わせたこの女性がノッテンドルフ公爵夫人だと俄には信じられないが、声が顔がどう見ても夫人だ。
「さあ、仮面をつけて。ここでは誰もが名もなき騎士とレディになるのよ。素敵な方々とただの男女として出会い、気兼ねなくお喋りとダンスを楽しむの。疲れたり……もっと二人だけで過ごしたい時はどうぞ二階の好きなお部屋で休憩を。もちろん二人以上でも大丈夫よ。他の方のお部屋に飛び込んで一緒に楽しんでしまうのも面白いと思うけど……あなたにはまだ教えるのが早いかしら。ああ、いけないわ、気が逸って。真っ白なあなたを見ていると早く私好みの色に染めたくなってしまう」
フェリシアの手を取り身体をくねらせて恍惚の表情を浮かべる仮面の女性の姿は、夫人のイメージとは重ならなすぎて困惑しかない。
しかしロドニーは一つ悟ったことがある。
この人だ。
フェリシアによからぬ事を吹き込み続けているのは。
ならば一言いってやらねばならない。例え相手が公爵夫人であっても。
と、ロドニーはフェリシアと夫人の間に身体を滑り込ませた。
「あの、本日はお招きいただきありがとうございます。私はフェリシアの従兄弟のロドニー・ワイズと……」
「あらこんばんは。存じてましてよ、次期レイフォード公爵様。でも聞いてらして? ここでは全てを捨て去らなくては。名乗ってしまっては忘れたはずの余計なしがらみに囚われますわよ? ねえ?」
「え?」
艶然として、夫人はロドニーの後方へ視線をやった。ロドニーがつられて振り返ると、数名の女性が近づいて来る所だった。
「こんばんは騎士様」
「まあ、こんな所で次期公爵様にお会いできるだなんて。素敵な夜になりそう」
「こちらにいらして。是非お話しさせていただきたいわ」
不敵な笑みを浮かべた妙齢の女性達は、状況が飲み込めず慌てるだけのロドニーを囲うと、そのまま隣のダンスホールへと連れ去ってしまった。
「あら、あちらの騎士様ったらご自分の価値と立場がお分かりでなかったのね」
ロドニー同様、普段の夫人との違い過ぎる姿と一連の光景に呆気に取られて、挨拶以降ただ眺めるだけだったフェリシアに夫人がまた妖艶に笑いかけた。
「さあ、どうぞ小鳥さん。ここなら全てを忘れられるわ。大丈夫よ、今日はそんなに過激な会じゃないし、秘密を守れる大人しか招待しないことにしているから。ここであった何もかもは私がベールで覆って差し上げる。だから安心して楽しんで。本当はその美しい声で歌っていただきたい所だけれど、あなたも全てのしがらみを忘れて素敵な出会いをお探しに。私と主人のような、ね」
そう告げると艶やかな微笑みを残して、夫人は新たにやって来た亜麻色の髪の男性を出迎えに行ってしまった。
自由な交流の場と聞いて想像していたよりもどこか艶かしさのある夜会で、急に一人になったフェリシアは緊張から少し震える。
とんでもない事をしている気がしてきたが、この場に推参しておきながら今更であるし元よりそのつもりだったのだ。
こちらの未練もあちらの負い目も全て消し飛ぶくらいの酷い婚約者になろう。
決意新たにフェリシアがダンスホールへと足を向けた時、突如背後から名を呼ばれた。
「……フェリシア?」
こんな場所で聞く事はないと思っていた声に呼ばれ、驚いて振り向くと、仮面をつけた長身の男性がこちらを見ていた。
目元を覆うだけの仮面では隠せない、左頬に縦に走る大きな傷跡。
仮面の奥の瞳は鳶色で、髪は燃えるように赤い。
エントランスに立っていたのはアルベルトだった。
あんまり間が開くと心折れそうなので
やり遂げられる自分になりたい。負けないぞ
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