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四十六話 まだ夢の中

 アルベルトに返信を出来ずにもう数日経っている。


 心配させてしまったのだし、今までの態度も謝らなければならない。

 もしかしたら雨の中待たせた事でアルベルトも風邪を引いたかもしれない。

 確認の為にもとにかく手紙を書かなければいけないのだが、どうにも手が止まってしまう。


 返信は返信として、聞きたい事は別にしたためて送れば良さそうなものだが、フェリシアは手紙を書く行為自体がもはや恥ずかしくなってきていて全く筆が進まない。

 書こうとするとどうしてもアルベルトからの答えを想像してしまう。それがすればする程期待を膨らませていくものだから、想像だけで顔が燃える様に熱くなる。


 あの雨の日以降、フェリシアは今まで心にかかっていた薄靄が晴れた気分だった。


 待っていてくれたアルベルトと何を話したかはほぼ記憶にない。はっきり憶えているのはアルベルトの温かさだけだ。

 それだけなのに、思い出すその熱の記憶が胸の奥を暖かくする。

 何も憶えていないのに不思議と安心してしまう暖かさに、今まで脳裏に浮かぶ度に心を掻き乱されたガートルードの存在や占いの言葉がどんどん薄れていった。


「……変なの。何も思い出せないのに、今までの不安が嘘のよう。悪い夢だったみたい」


 フェリシアが何も書かれていない真っ白な便箋をみつめて呟いた時、扉がノックされてロドニーがやって来た。


「どう、かけた? 書き損じは大量に出るのに手紙は一通も渡されないってメアリーが言ってたけど」


「……まだ。何て書いていいかわからなくなっちゃって。でもそろそろ返さなくちゃ失礼よね、わかってるんだけど……」


 机の側までやって来たロドニーは一文字も書かれていない手紙を見て笑った。


「大分考え込んでるんだね。あれ以来外に出てないし一旦気分転換したらどう? 頭を手紙から離したら案外良い言葉が浮かぶかも」


 熱を出して以降ずっと館に籠っているフェリシアは、少し考えてからペンを置いた。 


「……そうね、そうしようかしら」


「なら庭じゃつまらないだろうし天気も良いから少し遠出しない? 旧カウペルス公爵邸で所蔵していた美術品の展示をしているそうだよ。庭園も今の時期は綺麗だそうだから観に行こうよ。外出の許可ならもう取ってあるんだ、今回は」


 暗にこの前の事を引き合いにして軽く睨めつけたロドニーに、フェリシアはばつの悪そうな顔をして見せた。けれど心の中は久しぶりに晴れやかだった。


 

 カウペルス公爵家は今は断絶してしまったが、最後の当主が美術品の収集家として有名な人物だった。

 領地等は国へ返上されているが、貴重な美術品に関しては邸宅と共に保管されたままになっていて、広く人の目に触れるよう定期的に開放されて展示会が開かれている。

 作り込まれた庭園も開放時期に合わせて美しく整えられ、夜会とはまた違った自由な社交の場としての意味合いも持っていた。


 フェリシアとロドニーも、白亜の邸宅の中に飾られている絵画や彫刻を一通り見て回り広い庭へと降りた。

 

 庭園の中央には大きく豪奢な噴水が設置されている。そこから敷地の前を流れる運河へと、幅の広い水路が真っ直ぐに伸びていて庭を左右に分断している。

 水路の中央に一箇所だけ左右を行き来できる橋がかかっているが、広く長い水路は川の様相を呈していて、左右の庭はそれぞれ独立した島の様に思えた。

 対比させる様に、一方は色調の鮮やかな花を、もう一方は淡く白っぽい花を中心に植えられているのもまた、より別世界を強調している印象だった。


 白と赤の花のアーチを潜って噴水前を通った二人は、分断された庭の淡い色調の方を歩いた。

 白っぽい柔らかな色彩の花に飾られた庭では、ガゼボや生垣に囲われた長椅子で同じ様に鑑賞に来たご婦人や紳士方が談笑している姿が見られた。

 長閑のどかで華やいだ空気感に、フェリシアも自然と笑顔になる。


「いい気分転換になったみたいで良かった」


「ええ、ありがとう連れて来てくれて。久しぶりにすごく楽しい」


 笑顔を見せるフェリシアにロドニーも微笑んだ。


「喜んでもらえて嬉しいよ。最近暗い顔をしてばかりだったから。復調してからの心境の変化は雨の日に何かあったから?」


「それがね……何も憶えてないんだけど、あの日から急に心が軽くなって」


「憶えてないのに?」


「ええ。でもアルベルト様はずっと待っていてくださって、昔から変わらない優しい方で。私が見てきた通りの人だったから何も疑う事はないんだって、見えているアルベルト様に嘘も演技もない、ありのままを信じればいいんだってそう思えたら急に」


「そう……」


 ロドニーはにっこりと笑った。


「そうだね。アルベルト卿は上手に嘘を吐く事も、ましてや演技なんてきっと出来ない人だもんね」


「不器用な方ですものね。だから私、手紙はやめて直接お聞きしようかと思うの。きちんとお話して——」


「きゃぁっ!」

 その時、フェリシアの言葉を遮る様に、水路を挟んだ対岸から女性の短い悲鳴が聞こえた。

 フェリシアは反射的にそちらへ目を向けて、そして見てしまった。


 背がうんと高く、広い背中をこちら側へ向けて水路脇の生垣の向こうに立っている男性。

 肩に腕に、女性のものと思われる細い指がかけられているのが視認できる。


 誰かを抱き寄せているのだ、そう思った時男性が後退る様に動いた。

 すると肩に置かれていた指がすっと消えて、隠されていた人物が姿を現わした。


 風に靡く黒髪は長く艶やかで美しい。

 男性を見上げる青紫の瞳は陽の光を浴びて輝き、頬は庭の薔薇の様に色づいている。

 柔らかく持ち上げられた紅を差さずとも赤い唇は、口角の側にある黒子ほくろに色っぽさを引き立てられている。


 男性に抱き寄せられていたのは、カーライル邸で顔を合わせた女性、ガートルードだった。


 そして、彼女の肩を支える様に抱き微笑みかけていたのは、庭を彩るどの花よりも鮮やかな赤い髪をしたアルベルトだった。



「——っ!」



 フェリシアは息を呑んだ。心臓を誰かに掴まれたのかと思うくらい胸が苦しくなって呼吸が出来ない。

 無意識に口許を抑えた手がふるふると震えて、見たくないのに目が対岸で抱き合う二人から離せなくなった。


 満たされていた気持ちの底が抜けて、また空っぽになった心に氷雪が吹き込む様だ。

 暖かかった胸の奥が急激に凍っていく。


 夢から覚めたと思っていたのに、また悪夢に戻った。

 それともこの数日が都合の良い幸せな夢を見ていただけで、それが覚めたのだろうか。

 どちらが、何処からが夢なのだろうと、占いを聞いた日と同じく混乱していく。


 ただ一つあの時と違うのは、今目の前で現実に、アルベルトがガートルードを抱き寄せているという事実だ。

 嘘も吐けず、隠し事も取り繕う言い訳も演技も出来ないあの実直な人が、二人きりで花咲く庭園にいて人目も気にせず抱き合っている。

 

 それは、つまり——。



 足に上手く力が入らなくなってきてふらついたフェリシアをロドニーが支えた。


「フェリシア、大丈夫? どうしたの?」

 いつもと変わらない穏やかな従兄弟の心配する声に、ギリギリ保っていた物がフェリシアの瞳から溢れた。


「……私、また都合の良いことを考えて……すぐに夢見て……やっぱり現実を見ていなかった……」


 ぽろぽろと涙を溢したフェリシアは、縋るように手を伸ばしロドニーの服をぎゅうっと掴む。


「お優しいのは当たり前よね。そういう方だし……騎士としての博愛と女性に対する敬慕をお持ちなのだもの。ただの礼儀を……愛情だと勘違いして……」


 フェリシアは涙を溢れさせながらロドニーの肩口に(もた)れかかった。


「今はっきりわかった……あの二人はやっぱり愛しあっているんだって。あの占いは正しくて邪魔をしているのは私なのだって……」


「フェリシア……」

 嗚咽を漏らして肩を震わせるフェリシアの頭をロドニーは慰める様に撫でた。


 そして、対岸からアルベルトの肩越しにこちらへ視線を送ったガートルードに小さく頷いてから、フェリシアをそっと抱きしめた。

本編も進めておこう。ちょっと間が空いたのに幕間だけじゃあれだから。でも前回は今までと違ってちょっとだけ重要な気がしたから本編かなって思ったけども。


いつもお読みいただきありがとうございます!



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