四十三話 それぞれの悩み
ロドニーにあんな事を言ったフェリシアだったが、アルベルトへ手紙を書こうと握ったペンはぴくりとも動かない。
便箋に押し付けられたペン先からはジワッとインクが広がり、まだ何も書いていない紙の上に黒い染みだけを作っていく。もう何枚こうして無駄にしているだろう。
駄目にしてしまった紙がテーブルの上で避けておく所が無くなって、新たに書き損じる度にはらはらと床に落ちていく。
「……だめ! 書けない!」
足下が、歪な黒い染みの付いた便箋だらけになって、フェリシアはとうとうペンを置いた。
「だって、何て書けばいいの? ガートルード嬢をお好きですか? 私のことをどうお思いですか? ロドニーの言う通りこんな文面じゃお答え頂けると思えない」
フェリシアがそう言ってテーブルに突っ伏したので、手紙のなりそこないがまた足下に増えた。
昨日からこんな調子で、もらった手紙の返信すら書けていない。
フェリシアは、はぁ、と息を吐いて、アルベルトからの手紙をまた読み返した。
手が止まってしまうのは文面が思いつかない事も原因ではある。
アルベルトから直接ガートルードに対しての好意を聞いてしまうのが怖いからでもある。
けれど何よりもペンを握った右手にブレーキをかけるのは恥じらう気持ちだった。
もしも、自分に対する質問に良い答えが返ってきたら。アルベルトが向けてくれるものに名前が付いて、もしもそれが自分の望むものだったなら。
そうであったならどんな顔をすれば良いだろうか。
想像するとフェリシアの手は止まってしまう。
ずっと心にあったガートルードに起因するネガティブな気持ちが急に薄れて、代わりに期待が膨らんでいく。
裏打ちする様に、揺らいでいた思い出の中のアルベルトの姿が鮮明になって、その期待を萎ませる事なく維持し続ける。
欠片も疑う事なくアルベルトを好きでいた頃の気持ちと、アルベルトもまた自分と同じ気持ちだと思っていた時の心持ちに戻ったようだった。
何故急にそんな風に思えるようになったのか、フェリシア自身も不思議だった。
ただ、雨の中待っていてくれたアルベルトを思い出すと何も不安に思う事など無いと思える。
あの日交わした言葉も何があったかも雨の記憶の向こう側で憶えてはいないが、風穴だらけだった心が塞がれて満たされる様だった。
目覚めた朝に直前まで見ていた夢を憶えていなかった時の気持ちに似ているとフェリシアは思った。
胸の奥が満たされた穏やかな目覚めにとても幸せな夢だった気がしている。だから出来れば今夜もその夢を見たいのにどうしても思い出せなくて、歯痒くてもどかしいけれど何処か甘くもある、あの気持ちに似ている。
思い出せはしないけれど、確かに胸を満たす何かがきっとあったのだ。
フェリシアはまた溜め息を吐いて、手紙の署名部分を指でなぞった。恐らく今日も返信は出来そうにない、と赤らめた顔で手紙を見つめて思った。
*
返信が来ない。
熱はまだ完全に下がらないとあったが大事ないと連絡が来てから、すぐにフェリシアに手紙を送ったが二日経っても返信がない。
その後容体について誰からも連絡がないから復調したのだろうが、フェリシアから返事が来ない。
いつもはすぐに返ってくるが今回は一言すらない。
それとも手紙も書けないほどまた体調を崩しているのか。見舞いに行った方が良いか、いや、でも。
と、アルベルトは開いたは良いが一ページも捲っていない本を睨んでずっと考えていた。今までだったら迷わず見舞いに行っていただろうが、あの雨の日に言われた言葉が足を止めさせる。
わざと、とは何だろうか。
何故そんな事をするのだろう。
時間が経つと改めてその疑問に戻ってしまう。
やはり余程の不満の表れか、そんなに酷い何かを自分はしてしまったのか。行動を思い返してみても自分ではわからない。
フェリシアの直近の言動や行動から極力感情を排して探ろうともするが、ちぐはぐすぎる為に考えれば考えるほど余計わからなくなる。
急に可笑しな態度を取りだし、大丈夫だったり大丈夫じゃなかったり。
会いに来てくれたと思ったら突然爆発してしまったし、ならばもっと二人の時間を作ろうとすれば逃げる。
アルベルトにはもうわけがわからない。
考えれば考えるだけ悪い方へ思考が転がっていく。何処を向いて何を見ているのかどんどん分からなくなってくる。
フェリシアがわからないと言うよりは、自分からは見えなくなっていくと言った表現の方が正しい気がする。
自身の結婚を待ち望む気持ちからフェリシアも同じだと思い込んでいただけで、実は違ったのかもしれないとさえ思えてくる。
見えない事がもどかしい。わからない事が歯痒い。
指折り数えた婚約式があと僅かに迫っているのに急に遠くなったと感じる。
もっと側にいれば良かったのか。
だがそうであったらここまで自分を抑えておけなかっただろう。今がギリギリなのだから。
けれどそうやって自分の感情に意識を向け続けたばかりに、目に映るフェリシアの姿が揺らいでいるのだから救えない、とアルベルトは唇を噛む。
小鳥姫のあだ名はフェリシアの愛らしい声と外見を指すばかりではない。娘を碌に社交界にも連れ出さず、屋敷に閉じ込めておくレイフォード公の姿勢を揶揄する物でもある。口さがない者には過保護過ぎると嘲笑される程の。
けれどわからない事が多くなって不安になっているアルベルトには、フェリシアを常に目の届く範囲に留めておきたくなる義父の気持ちがわかった気がした。
一文字も頭に入ってこない本を閉じてアルベルトは椅子に凭れて天を仰いだ。
多分、手紙は今日も返ってこない。
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