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三十九話 大事なものはいつも目の届かぬところで

 アルベルトが経緯を話し終え一通りの叱責も受けた所で、メアリーがタオルを持って書斎へやって来た。

 フェリシアが落ち着いた事が伝えられ、アルベルトとレイフォード公はホッと安堵の息を吐く。

 立ち上がってアルベルトを叱っていた公は椅子にドサッと座ると葉巻に手を伸ばした。


「……今日の事は誰からも報告がなかった。お前からもフェリシアからも、メアリーやロドニーからもだ」

「申し訳ありません。私がすべき事を怠りました」

 

 アルベルトがまた頭を下げると葉巻に火をつけながら未来の義父が頭を振った。


「……ロドニーも知らぬ様だったな。となればフェリシアが意図的に私に伏せたか。どういうつもりかは知らんが大方お前にも伏せる様に言ったのだろう」


 アルベルトは押し黙る。フェリシアは今日出掛ける事を誰にも言っていなかったようだ。


 わざと、と言っていた通りやはり初めから待ち合わせに来る気はなかったのか。

 それ程まで怒らせたか傷付けたかしていたのか、と未だわからないフェリシアの心中を思い、何もわかってやれない自分を歯痒く感じる。


「出掛けるなと言うつもりはない。ただ私の把握出来る範囲にして欲しい。目の届かない所で何かがあったらと思うと……」


 義父は言葉を切って煙を燻らせると、椅子を回転させて窓の方へ向いた。


「……私は元々レイフォード家の次男だった。兄は優秀な人だったが若くして病にかかって以降一年の大半をベッドで過ごす生活を余儀なくされた。泣き言一つ言わない辛抱強く優しい人だったよ。兄を尊敬していたから、私が代わりに軍役を担ってゆくゆくは家督を継ぐ兄を支えようと躍起になっていたが、私が戦地にいる間に兄は病に負けてしまった。看取れなかった」

 

 ふぅ、と義父は葉巻を咥え煙を一つ吐き出した。


あれの母親は元から身体の弱い人だった事もあって、出産後に体調が中々戻らなかった。少し気分が良かった日に庭を散歩して、温室で休憩しようと侍女が茶器の準備に離れた間に倒れた。私はその時友人の下へ出向いていて知らせを聞いて戻ったが、間に合わなかった」


 葉巻を置いて義父は目元を押さえた。


「フェリシアにまで、私の目の届かない所で何かがあったらと思うと怖くて堪らない。部屋に閉じ込めてずっと手元に置いておきたくなる。だがそれであの娘は幸せか? 私が死んだ後はどうなる? いつか巣立たせなくてはならない。だがせめて私の娘でしかない内は、目の届く範囲においてこの手で守ってやりたい」

 

 段々と絞り出す様な声に変わった義父の言葉がアルベルトの胸に刺さった。

 ついさっき、失くすかもしれないと思って背筋が冷たくなった事を思い出す。


「お前は良くやってくれている。騎士としても立派に育ち、私の一方的な言いつけを守ってフェリシアを大事にもしてくれる。お前になら安心してフェリシアを託せる。お前達の婚約は元々どちらかが難色を示せば白紙にする予定だった。しかし文句も言わずにいてくれる、そのお前に私の代わりを押し付けてはいけないとわかってはいるんだ。今回の事は娘の私への反抗か……無謀だろう。お前を叱責するなど間違っていたな……」


 義父は大きく息を吐いた。灰皿の上の葉巻からは白い煙が立ち上り揺らめいている。


「……大事なものはいつも知らぬ内に壊されて目の届かない所で奪われて行く。それが怖い。恐怖で平静を保てぬとは騎士にあるまじき醜態よ、許せ」


 窓の方へ向いたまま振り向かない義父の背に、アルベルトはいま一度頭を下げた。


「……今日はもう遅い。部屋を用意させよう」

「……いえ、このまま帰宅します。少し頭も冷やしたいので」

「そうか……ならばお前も身体には気をつけろ」


 アルベルトは書斎を辞去し玄関ホールへと降りるが立ち止まり、足をフェリシアの部屋へ向けた。

 会えるとは思っていないがせめて帰る前に容体だけでももう一度確認しておきたかった。


 部屋へと続く廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。


「アルベルト様」


 振り向くと水差しやタオルなどを乗せた盆を持ったメアリーがいた。


「申し訳ありませんがお嬢様は今やっとお休みになられた所です。入室はご遠慮いただきたいのですが」


「……ああ、容体だけでも伺っておきたいと思ったんだが——」


「先ほど申し上げた通りです。本日はこのまま様子を見て、明日の状況いかんによってお医者様をお呼びします」


 メアリーはどちらかと言えば機械的で感情を出さない女性だが、今回の件ではアルベルトに対し少なからず怒りを感じているようだった。


 フェリシアが母を亡くしてからずっと側に仕え、乳母がする様な世話もして来たと聞くから、誰よりも彼女を心配して当然なのかもしれないとアルベルトは思う。


「お目覚めになりましたらご連絡差し上げますので。本日はお引き取りを」


 メアリーはそう言うとアルベルトの脇を抜けてフェリシアの部屋へ消えて行った。扉の閉まる音を聞きながら、結局何も出来ていないなとアルベルトは無力さを感じる。


 フェリシアの為、フェリシアと迎える未来の為にとしてきた事は独善に過ぎなかったようだ。その証明のように、フェリシアの考えていることもわからず、さらには身体的にも負担をかけてしまった。


 以前は言わずとも同じ方へ目を向けていると確かに思えていたのに、今は何処を見ているのか急にわからなくなった。

 会いたいなど嬉しい言葉を言ってくれたかと思えば、今日の様な行動を取る。

 不満の表れだとニコルは言うがそうとは違う気がする。ただただわからない。


 どうして、いつから、いつの間に。

 それとも始めから同じではなかったのだろうか。

 

 思い出の中で微笑むフェリシアの姿が段々と揺らいでくる。あの微笑みですら、何も見えていない自分がそうと思い込んで作り出した姿かもしれない。そうとさえ思い始めてしまう。

 自分には見えない所でフェリシアは何を考えているのか——


 雨雲に覆われた空と同じく、暗澹たる心模様になってきたアルベルトは頭を振った。


「……戻ろう。今はフェリシアに回復してもらうことが——」


 玄関ホールへと向かいかけた時、キィッとフェリシアの部屋のドアが開いた音がした。

 反射的に振り向くと部屋から出てきたのはロドニーだった。


「ああ、アルベルト卿」

 アルベルトに気づいたロドニーが先に声をかけてきた。


「フェリシアでしたら薬が効いて今は眠っているので……熱はまだありますが、今日の所は大丈夫そうですよ」


 良かった、とアルベルトは返事をする。


「熱を出すのはそう珍しくないんですよ、今でも。最近色々悩んでもいたから、今日の発熱は疲れもあっての事でしょうね」


「……悩み?」


「色々と。結婚の……ことなど」


 やはり、気づかぬだけでフェリシアには何か結婚に対し思う所があったのだ、とアルベルトは顔を歪めた。

 自分が知らない空白の時間にフェリシアが悩み続けた結果が今、表出しているのかもしれない。


 そんな苦々しい表情を浮かべて黙っているアルベルトを見て、ロドニーがにこっと笑った。


「そんな顔なさらなくても大丈夫ですよ。悩んでいる事なんてもう少しすれば忘れられるでしょうから。今はフェリシアも少し不安定ですがご心配なさらず。アルベルト卿がフェリシアの側にいられない時は、僕が代わりに見守って支えますから」


 そう言ったロドニーは口許にいつも通りの穏やかな笑みを浮かべている。

 けれど、アルベルトの知るロドニーとは何処か違う気がする。発せられた言葉にも何か引っ掛かりを感じる。

 何だ、と違和感を探っているとロドニーが続けた。


「だって僕はずっと、フェリシアの側にいるんですから」 


 そう言ったロドニーの口許には笑みは無く、黒に近い濃紺の瞳は強く真っ直ぐな眼差しをアルベルトに向けていた。

 いつも気弱そうな表情をしている彼に、こんな目を向けられた事はない。メアリー同様フェリシアを危険に晒した事を怒っているのかとも思うが何処か違う。


 まるで挑む様な、そんな目だった。


 何故こんな目をするのか。


 またわからない物が増えて困惑するアルベルトに、ロドニーはいつもの様に穏やかに微笑むと、失礼しますと先にホールの方へと去って行った。


 アルベルトは何も言えずにその背を見送ってから、フェリシアの部屋の方へまた目を向けた。

 頭の中でニコルと義父に言われた言葉が重なって聞こえ、こだまする気がした。

パパ「泊まっていけば?」

アル「帰ります」

御者&馬「え⁈」


お読みいただきありがとうございます。

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