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三十八話 それでも縋ってしまうほど

 騒然としていた玄関ホールの空気がビリッと震え、急に緊張が走った。階段をゆっくり降りて来たのはこの館の主、レイフォード公爵だった。


「……だ、旦那様」

「伯父上……」


「何を集まって騒いでいる——」


 レイフォード公は鋭い目つきでホールに集まっていた面々を見渡し、普段いないはずの赤髪に目を止めて、そしてその腕に抱えられている愛娘に気づいた。


「フェリシア⁈ 一体どうした⁈ 何があったアルベルト!」


 驚きと不安の混ざった怒声がアルベルトに浴びせかけられ周囲の者達が萎縮する中、アルベルトは静かに頭を下げた。


「……申し訳ありません。私の浅慮によるものです」


「この雨の中連れ出したのか! 何をしている! お前達もだ! 早くフェリシアを運ばないか! お前は来いアルベルト!」


 主人の一括で、その場で固まっていた者達が湯を沸かしに行ったりタオルを取りに行ったりと動き出した。アルベルトは言われたとおり公について行く為、ロドニーを振り返った。


「……すまない、やはりフェリシアを頼む」

「もちろんです」


 そっと受け渡されたフェリシアを抱きかかえて、ロドニーはフェリシア以上に濡れそぼっているアルベルトを見上げた。


「あの……アルベルト卿も酷く濡れていらっしゃいますから、拭くものを……」


「いや、いい。それよりもフェリシアを早く休ませてやってくれ」


 ロドニーは無言で頷くとフェリシアを部屋に連れて行き、アルベルトはレイフォード公に従って書斎に向かった。


 ✳︎


 侍女やメイドが慌ただしくフェリシアの部屋をしばらく行ったり来たりしていたが、それらがやっと落ち着いて来た頃にロドニーは入室を許された。


「どう?」

「常備薬で今ようやく……今日の所はこのまま様子を見ても宜しいかと」


 ロドニーは入るなり世話をしていた侍女のメアリーに尋ね、フェリシアの横たわるベッドへ向かった。まだ顔は赤く熱は高そうだが、苦しそうだった呼吸は一先ず落ち着いている。


「落ち着いて良かった。メアリー、暫く僕が見ているから今の内に食事や休憩を」


 夜は恐らく付き添う気でいるだろうメアリーに休憩を取らせ、ロドニーは一人部屋に残るとフェリシアの寝顔を見つめた。


「……こんな雨の日にあんな薄着で飛び出すから熱が出るんだよ。何度も止めたのに」


 ロドニーはフェリシアの額に手を当てる。薬が効いたのか眠っているが熱はまだ下がっていない。


「今日はもしかしてアルベルト卿と何か約束があったの? 何も言ってくれなかったね。こんなに無茶して……また何か変な作戦でも立ててたのかな」


 問いかけながら、ロドニーはフェリシアの顔にかかった前髪を横に避ける。


「そこまでするのはどうしてだろう。余程あの人(ガートルード嬢)の落としたインクが強いのかな。それとも、アルベルト卿の為を思う気持ちが強いからかな」


 ロドニーは前髪を触っていた手をフェリシアの頬に当てる。額同様、頰も熱い。


「……妬けるなぁ。わかってた事だけど、振られる事ですらあの人の為で、それに一生懸命だなんて。君の心の中にはどうあってもあの人がいるんだもんな」


 フェリシアを起こさない様に頬を撫でながら呟いたロドニーは、撫でていた手をスッと顎のラインに沿って下に移動させ、親指の腹で閉じられた唇にくちづける様にそっと触れた。


「でもごめんね……君がそうであるように、僕の心にも君しかいないんだ。例え振り向かないと知ってても、どうあっても。だから可能性があるなら最低だと思っていても縋ってしまう。苦しめてごめんね」


 でも、とロドニーはフェリシアの唇の形を指でなぞる。


「きっともうすぐそれも終わるよ。君はその時泣くだろうね。だけど心配しないで、一人にはしないよ。僕はずっと君の側にいるんだから」


 だから、とロドニーはまた手の位置を頬に戻してフェリシアの顔を覗き込む。

 そして何も答えない桃色の唇に自らの唇を近づけた。


「だから、早く僕に気づいて。そしてその碧色に僕だけを映して」


 目を閉じてゆっくりと二人の間の距離を短くしていく。

 あと指一本分近づけば唇が触れ合うと思われた時、フェリシアが呟いた。


「……アルベルト様……」


 その小さな呟きを聞いたロドニーは動きを止めて、唇の代わりに額にキスをした。そして大きく溜め息を吐く。


「……情けない」


 ロドニーは立ち上がり、バタバタしていて閉め忘れられていたカーテンを閉めた。

 カーテンが隠す前に見えた空は、未だ細い雨を降らせ、月も星も息を潜めていた。

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