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三十七話 熱に浮かされて


 

 愛してる。



 歯止めが利かなくなりそうで、本人を前にはっきりと伝えたことの無かった言葉をアルベルトは口にした。


 今なら、雨がカーテンを引いて二人を隠してくれるから、抑えていたものが溢れても誰にも咎められる事はない。懸念があるとすればフェリシアの反応だが、返答こそないがアルベルトの手のひらに自ら頬を寄せ甘えるような仕草を見せている。

 女性の心の機微など読み取れはしないが、今は分かる気がする。きっと同じ気持ちだと。


 亜麻色の髪の軽薄な男に言われた順番とは入れ替わってしまうが従う道理もない。


 アルベルトは身を屈め、瞳を閉じたままのフェリシアへ顔を近づけた。


 そしてゆっくりと抱き寄せて、もう一度愛してると呟き唇を重ねようとした時、グラッとフェリシアが揺れてアルベルトの胸に倒れ込んできた。

 抱きつくではなくまさに倒れるで、フェリシアは驚くアルベルトの身体に力なく凭れかかっていた。


「……フェリシア?」


 アルベルトの服を弱々しく掴んで胸に寄り掛かり、苦しそうに肩で息をしている。立っているのもやっとの様子のフェリシアにアルベルトが慌てて呼びかけた。


「フェリシア!」


 確認する為一度引き離すと、人形の様に頭がガクンと後ろへ倒れかかったので咄嗟に支える。

 上向いた事で乏しい明かりに照らされたフェリシアの顔は、明らかに赤く荒い呼吸を繰り返していた。


 熱いと思ったのは気のせいではなく、雨に濡れて冷えた為に発熱していたのだとアルベルトもようやく気づく。呼びかけるもフェリシアは返事をする事も出来ない様子で、ただ苦しそうな呼吸音を返すだけだ。


 また自分の感情ばかり先走ってフェリシアを蔑ろにしてしまったと、アルベルトは己を責めながらぐったりしているフェリシアをすぐさま横抱きにかかえ上げた。


「——気づいてやれなくてすまない」

 アルベルトは雨の中を走って馬車に戻り、フェリシアを抱きかかえたまま乗り込むとすぐに発たせた。


 レイフォード邸まで急がせる車内で、腕に抱くフェリシアの身体は熱いのに小刻みに震えていた。上着で包んでやっても治まらず、苦しそうな息づかいで震える姿にアルベルトは自責の念に駆られる。


 濡れたままあの場にいては身体を冷やしてしまうと分かっていたのに、暴走してフェリシアを思いやれなかった自分が許せない。

 肩を抱く手につい力が入りそうになった時、譫言うわごとの様にフェリシアが呟いた。


「ごめ……なさ……アルベルトさ……めんなさ……」


「フェリシア! 大丈夫か⁉︎ すぐに戻れば良かったものを、あんな吹き曝しの場所で……俺が悪かった」


 やる事なす事裏目に出てしまっていてアルベルトは歯痒い思いを抱える。


 フェリシアを大事に思うからこそ保った距離で不安にさせ、弁解と挽回のチャンスをふいにしたくなくて雨の中待ち続けた結果フェリシアに体調を崩させている。

 しかもあれだけフェリシアの反応を気にかけていた筈なのに、異変にも気づかず自分の気持ちを伝える事だけに意識を向けてしまった。


 何も分かっていない自分が知らぬ内にフェリシアを泣かせているという、以前ニコルに言われた言葉がまた頭に響く様だった。

 アルベルトがそんな忸怩たる思いでいると、フェリシアがまた何事かを呟く。


「……ルベルト……ごめんなさい……がまま……えなくて……めんなさ……」


「悪いのは俺の方だ。君じゃない。何も気にするな」


「……めんなさ……と結婚……したかった」


 その言葉と共にフェリシアは閉じられた瞳から一筋涙を零した。

 それを見たアルベルトは背筋が急に冷たくなるのを感じた。フェリシアがこのまま腕の中から消え去ってしまう気がして胸中に不安が一気に広がる。

 小鳥が飛び去って行く嫌な想像を振り払う様に、アルベルトはフェリシアを掻き抱いた。


「……何言ってる、するよ。一月後には婚約して、準備さえすめばいつでも結婚式を挙げられるんだ。簡素でいいならすぐにだって出来る。やめてくれ、こんな時に変な事を言うのは……」


 ぎゅっと抱きしめたフェリシアの身体は折れそうなくらい細く華奢で酷く熱かった。


 漸く抱きしめられたのに喜びなどは微塵も感じず、抱きしめ返すこともなくだらんと投げ出されたフェリシアの腕に、アルベルトは益々不安が募るだけだった。


 ✳︎


 フェリシアの消えた邸内では、日も暮れたのに戻らないことに事情を知る者達がいよいよ慌て出していた。


「どういたしましょう、ロドニー様……」

「どうするも……これ以上伯父上にだって隠しておけないよ……かと言って何処に行ったのかも分からないし」

「お心当たりも?」

「……ない。聞いてないんだ何も。確かに今日は朝からそわそわして落ち着き無かったけど……何も言ってもらえなかった。アルベルト卿の使者って事だったからそこまでの心配はないだろうけど……」

「カーライル侯へ使者を出しますか」

「ここまで待って戻らないなら、どの道伯父上には言わなきゃならなくなる。その方が良いかもしれない。ただ、この雨だし今日中に返事があるかは……」

「……お嬢様は一体どちらに……」


 ロドニーとメアリーと数名の使用人が深刻な顔をしていると、俄かにエントランスが騒がしくなって来た。

 ハッと顔を見合わせて急いでそちらへ向かうと、馬車が玄関前の庭まで乗り付けていて、乗って来た人物を邸内に迎え入れようとしている所だった。


 降りて来たのは暗がりでもそうと分かる赤髪のアルベルトと、彼に抱えられてぐったりしているフェリシアだった。


「フェリシア!」


 驚いているメアリーの脇をすり抜け、ロドニーはすぐさま二人に駆け寄った。フェリシアはここを発った後も雨に打たれたのか酷く濡れていて、真っ赤な顔で苦しそうな呼吸を繰り返していた。


「ロドニー、フェリシアは発熱してる。雨に濡れて冷えたんだ。俺のせいだ、すまない」


「アルベルト卿、二人で今まで一体何処に……いや、今はフェリシアが先ですね。部屋に運びます」


 ロドニーがフェリシアをもらい受けようと腕を伸ばしたが、アルベルトは受け渡す素振りを見せずぎゅっと抱きかかえたままだった。


「いや、このまま俺が運ぶよ。濡れているからすぐに着替えを——」

 そう言ってアルベルトがフェリシアの部屋に向かいかけた時、上階へ続く階段から腹の底を擦る様な低い声が響いた。


「何の騒ぎだ」

お読みいただきありがとうございます。

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