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三十六話 雨の向こうで

「……ごめんなさい。わざとなの。わざと私……約束を破りました。ごめんなさい」


 手を伸ばせば触れてしまえる距離でも聞き取るのがやっとの、雨音に負けてしまいそうなか細い声でフェリシアは言った。


「ごめんなさい。待ち合わせに行かなければアルベルト様が怒って帰られると思ったの。だからわざと、使者も立てずに約束を破りました……ごめんなさい」


 アルベルトの顔を見れずに俯いて、フェリシアは震える声で謝罪した。無意識に掛けてもらった上着の襟元を掴む。


「……いいよ、君が何ともないなら。元々会いたくなかったのだとしたら、チケットを先に送りつけて断りづらくしたのは俺だ。悪かった」


 わざとだと伝えても尚こちらを気遣う様を見せるアルベルトに、フェリシアは涙が止まらなくなってくる。


「アルベルト様は悪くないの。全部私が悪いの。おかしな疑いまでかけて、雨の中、何時間も待たせて……そんなつもりじゃなかったけれど、でも本当に酷い事を……」


「いいんだ。迎えに行けば良かったものをしなかった俺が悪い。ここまで留まったのも、確認に行かせるのが遅かったからだ。フェリシアのせいじゃない」


「違います! 約束を破った私のせいです! 私が意気地なしだから、言ってもらおうって……ずるいこと考えてるから……どうすべきか、わかってるのに……自分から言えない、から」


 続く言葉に詰まり、肩を震わせているフェリシアの頭をアルベルトが慰める様に撫でた。いつもと同じ大きくて温かい手だ。


「……フェリシアもうやめよう。元々謝る気でいたのは俺の方だしこれ以上は平行線になる」


「アルベルト様に謝っていただく事なんて……悪いのは私だから……ごめんなさい」


「もういいんだ。君は来た。俺がまだここに居ると知って、上着も着ずにきっと急いで。本当は、待ち合わせを過ぎた段階で薄々今日は来ない気がしてた。俺は女性の気持ちを理解するのが得意じゃないから、この前の事で君が今俺に対してどう思っているのかも正直わかっていないんだ。だから実は凄く怒っていて、もう会いたくないのかもしれないと思っていた。だが、こうして会ってもらえて安堵している。こんなに雨が降っている中でも君は来てくれた。だからもういい」


 恨み言の一つもこぼさずにぽんぽんと頭を撫でてそう言ったアルベルトをフェリシアは涙で濡れた顔で見上げた。


 雨に打たれた硬質の赤髪はいつもよりヘナッとしていて、毛先から落ちた雫がちょうど顔に刻まれた傷に沿う様に頬を伝って滴っていった。

 雫の通り道にある大きめの口許は口角を柔らかく持ち上げていて、鳶色はいつもと変わらず優しくフェリシアを見つめていた。


 どうして、どうしてこんなに酷い婚約者にこんなにも優しくしてくれるのだろう。と、フェリシアもぼんやりとアルベルトを見つめ返す。



「ここで雨宿りしていても止みそうにないから馬車まで行こう。続きは中で——」


 アルベルトはそう言って、顔をあげたフェリシアのまだ乾かない涙を指の背で拭った。

 自分で思うよりも身体が冷えていたのか、フェリシアの頬に触れた指が拾った体温を妙に熱く感じた。


 それが熱すぎる気もして改めてフェリシアを見ると、暗くなってきて判り難いが頰がいつもより赤い気がした。

 瞳も涙していた為にうるうると艶めいて見返す眼差しがどこか熱っぽい。

 肩を震わすほど泣いていたせいか、呼吸も乱れ気味で小さく漏れる吐息に色っぽさまであり、首筋から肩口にかけて真っ白い肌に貼りついたゆるゆるとした濡れ髪がそれを助長する。


 アルベルトはフェリシアのその姿に抑えていられた動揺と忘れていた箍の緩みを思い出す。ついでにニコルのけしかける言葉まで思い出してドクンと大きく心臓が鳴った。


 雨も止む素振りをみせず陽も落ちかけている。このままここにいると悪戯に身体を冷やすだけだし帰りが遅くなる。一刻も早く帰途についた方がいい。


 わかっているが身体が動かない。

 目が、熱を帯びた碧色から離れない。


 思わず涙を拭っていた手が、フェリシアの頬から耳の後ろ辺りにかけてを包む様に動いてしまった。

 手のひらに伝わる熱が伝染して自分までじわりと熱くなってくる気がした時、桃色に色づいた唇がアルベルトを呼んだ。


「アルベルト様……どうして? どうして待っていらしたの? どうして、そんなに優しくしてくださるの?」


 雨の打ち付ける音も邪魔して、普段より数段か弱く聞こえる声に庇護欲をくすぐられる。

 潤んだままの瞳も今日は切なげに色めいて見えて、今ここで外すべきではない箍を外しにかかってくるようだ。

 今朝、ここへ向かうまでの間に考えたあれこれが急に遠くなる。


 抗うべくもなく、アルベルトの空いていた方の手が僅か残った制止する声を雨音の向こうに追いやって、フェリシアの背中へと勝手に伸びていった。


「……何故かなんて、会いたかったからに決まっている。帰ってしまったら二度と会ってもらえない気がした。だから、来ないと思っても待っていた。会いたかった」


 雨は止まず広場に人影はない。

 公演も雨のせいで中止にでもなったものか随分前から人の出入りがない。

 雨に閉ざされた世界で、向かい合う二人を見る者はお互い以外にない。


「君は優しいと言ってくれるが、俺は怖いと言われる事が大半だ。自覚もあるから君を怖がらせたくなくて意識していた事もあったが、今は違う。君を大事に思うから自然と優しくなるんだ」


 アルベルトがそう言いながら親指の腹で頬をそっと撫でると、フェリシアは熱っぽくぼうっとした目を閉じて、アルベルトの手のひらに頬擦りする様に頭を預けた。

 フェリシアのその仕草に、背中に控えめに添えていたアルベルトの手にグッと力が入った。


「会いたいと思うのも、大事に思うのも君だけだ。フェリシア、君を愛してる」

お読みいただきありがとうございます。

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