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三十一話 年上だってわからない

 カーライル邸から帰宅して一夜明けても、フェリシアはまだ心が落ち着かないままでいた。


 あんなに醜い嫉妬やわがままをアルベルトにぶつけた事、更にそれを館中の人に見られていたという恥辱。

 あれだけの醜態を晒してもなお許容されてしまった、アルベルトの広過ぎる懐に対する困惑。

 そして意図的でなかったとはいえ、未だ残る抱きしめられた感触に高鳴り続ける胸。


 感情も思考も一つにまとまらず、フェリシアの頭の中はぐちゃぐちゃのままだった。


「……わからない。もうどうしたら良いのか……。いいえ、わかってるわ。言えば良いのよ私から、婚約を解消して欲しいって。でも言えないの好きなんだもの。それも以前よりも、もっとずっと……。アルベルト様から断られるなら諦められる。でも、自分から断ち切るなんて……それに言えたところで、アルベルト様お優しいからきっと理由を聞いて下さるわ。そうしたら何て答えるの? 私、嫌いだなんて嘘吐けない」

 

 フェリシアはベッドに置かれたクッションへ顔を埋めた。悩んでも一向に出口が見えない。


 唯一確実に婚約破棄してもらえる瞬間はあるが、それが訪れるのはフェリシアが嫉妬に狂ってガートルードを陥れた後だ。

 アルベルトの大事な人を傷付けるわけにはいかない。そんな事をしては間接的にアルベルトを傷付けることになる。


「……どうしてあんなにお心が広いの。どうしてあんなに優しいの……」


 思い出すアルベルトはいつだって笑顔で優しい。

 ここ数日の振られようと奮闘したフェリシアの滅茶苦茶な言動や行動だって笑って受け止めてくれたくらいに。


「あんなに酷い事を何度もしている私に、どうして愛想を尽かしてくださらないの、どうして振ってくださらないの……。何をお考えになっているのか、もう全然わからな——」


 そう思ってフェリシアはハッとした。


「もしや……こ、これが、ノッテンドルフ公爵夫人の仰っていた、特殊なへきと言うものでは……」

 

 フェリシアの言うノッテンドルフ公爵夫人とは、齢四十を越えながら恐ろしい程の美貌を保ち、気品溢れる嫋やかな淑女の中の淑女として有名な人物である。

 夫のノッテンドルフ公とは三十も歳が離れており、それまで独身を貫いていた公が彼女のあまりの美しさに一目で心を奪われて、当時十六と四十六の年の差婚を果たした事でも有名だった。


 そんな表向き美しい貴婦人で通っている夫人だったが裏の顔も持っていて、無垢な令嬢を集めてはイケナイことを吹き込むのが、数ある大きな声では言えない趣味の一つだった。


 今はもっぱらフェリシアに狙いを定めて、茶会など様々な催しに呼んではいかがわしい知識や参考書をこっそり授けている。

 ロドニーが正体は知らずとも警戒している怪しい友人はまさに彼女の事であり、先日の絵画観賞会ももちろん彼女の主催であった。


 そこで教えられてしまった言葉が、今フェリシアの頭の中でぐるぐる回り始めている。


「……まさか、アルベルト様に、一般的でない……虐げられたり理不尽な仕打ちを受けると、こ、興奮なさるようなへきがおありで……私のしてきた事が逆に、嗜好に沿うことだった……とか。だとしたら、嬉しいと仰ったのも理解出来る……。そうなると、どうなるの? このまま続けても振られない? 寧ろ好きになって……」


 淡く期待してしまったフェリシアだったが、すぐにあの占いと妖しく赤紫に光って見えた占い師の瞳が浮かんで、頭を振ってその考えを否定した。


「いいえ、それは無いわ。ガートルード嬢がいらっしゃるんだもの」


 フェリシアはまたガートルードを思い出してクッションの端をぎゅうっと握った。


 きっとアルベルトは愛おしげに彼女を愛称で呼んで、あの大きな手で艶やかな黒髪を撫でる。

 そして鳶色の瞳で青紫の瞳を真正面から捉えて微笑みかけ、筋の浮いた力強い腕で彼女を包み込むと、優しく引き寄せてギュッと抱きしめるのだろう。


 そんな場面思い浮かべたくなどないのに想像が止まらなくなる。胸が締めつけられた様に苦しい。

 この苦しさから解放されるには自ら婚約解消を申し出て二人のことを忘れるのが早いと分かっているのに、未だ決断出来ない愚かさに泣けてくる。


 瞳にじんわり涙が滲んで来た時、扉がノックされた。そして、ぐちゃぐちゃの思考を更にかき回す物がフェリシアの下に届けられてしまった。


 やはり今までの努力は無駄ではなかったのだ、と今しがた届いたそれを前にフェリシアは深呼吸を繰り返す。待ち望んでいた瞬間がついに来たのだと思っていたからだ。


 届いたのはアルベルトからの手紙だった。


 フェリシアはこれが婚約解消を申し出る内容の物だと確信していた。その為開封するのに心の準備が必要で、届いてからかれこれ数十分深呼吸を繰り返していた。


「あの場では人の目もあったし、だから気を遣われてあんな事を仰ったんだわ。きっとここに本心が書いてある……よし、大丈夫。開けるわ……大丈夫、これでいいの」


 フェリシアは自分を奮い立たせて、震える指で封を開けた。

 そして恐るおそる中身を取り出し、薄目でそーっと確認する。


「……歌劇の、チケット?」


 予想外の物にフェリシアは驚き、同封されていた手紙に目を通す。


 手紙には先日の謝罪と、一度ゆっくりと二人だけで話をしたいと観劇への誘いが書かれているだけで、婚約解消の文字はどこにも無かった。


「……謝罪に観劇? どういうこと? まさか出掛けた先で切り出されるのかしら……でも、それならわざわざ一緒に観劇する必要はどこにあるの?」


 益々アルベルトがわからなくなってフェリシアは頭を抱えた。


「わからない。どうして? こんなに酷い婚約者なのだから断る良い口実の筈なのに、謝罪までなさって振ってくださらないのは何故? 私のわがままに付き合うようお父様に余程強く言われているの? 私と別れてしまえばガートルード嬢と心置きなくお付き合いも結婚も出来るのにどうして……それとも、やはりへき?」 


 そうは思いたくなくてフェリシアは手紙とにらめっこして苦悩する。

 どうすれば良いのか悩んで悩んで、上手くいかなかった自分の行動まで一から思い返してフェリシアは考えついた。


「……逆かもしれない。私、振られようと思って頑張り過ぎたのかもしれないわ。今までの行動があまりに奇妙だったから、憐れまれて寧ろ優しくされてしまっているのかも。お優しいアルベルト様だものありえるわ」


 これまでの酷すぎた自覚のある行動や言動の数々に、そう思い至ったフェリシアは観劇用のチケットをじっと見た。


「捻くれててわがままで、粗暴でだらしない婚約者はきっと極端過ぎたのだわ。普通でいいのよね。普通に失礼だと思う事をすれば良いのよ。それも思い切り非礼な事を」


 フェリシアはそう言うと返事を書く為に、メアリーを呼んで紙とペンを用意させた。

お読みいただきありがとうございます。

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