三十話 年下がわからない
アルベルトは自室の本棚の前で整頓された本の背表紙を睨んで、もうずっと黙ったまま立ち尽くしている。
「だから言ったでしょ。訳分かんないこと言ったりやったりしだした時は不満がある時なんだって」
事の経緯を掻い摘んで聞いたニコルが、長椅子に座って机に並べた数枚の手紙をどれから開けようかと指差しながら言った。
アルベルトは無言で未だ本棚を睨んでいる。
「いつにもまして怖い顔だなぁ。何考えてるか当ててやろう」
無言のアルベルトをニコルが振り返って、値踏みする様に見てからニヤァっと笑った。
「大事なフェリシアちゃんを泣かせちゃった、あわわわわ。あんな風に思ってただなんて、全然気付かなかったよぉ。余裕のある大人ぶるのに必死でちょっとも分かってあげられてなかった。何だか色々誤解もさせてるみたいだし、早く弁解したいけど会いに行ってもいいのかな? 会いたいって言ってたし良いかな? でもあれって怒ってたのかな? だとしたら今は会いたくないのかな? 年下の女の子の心なんて俺には分からないよぉ。でも、もっと一緒にいたいとか嫉妬しちゃうとか、言ってもらえて嬉しかったなぁ。うへ。その上あんな衆目を集めながらアクシデント的にとはいえ、だ、抱き、抱い、抱いて……ああ可愛か——」
おっと、とニコルは黙った。
アルベルトが恐ろしい形相で睨みつけた為だったが、それ以上何をするでも言うでもなく、アルベルトはまた本棚に視線を戻した。
概ねその通りだから何も言い返せない。
あえて加えるなら、成り行きとはいえ抱きしめる格好になったのだから余韻まで含めしっかりと噛み締めたかった、と残念に思った事だけだ。
ふわふわとして掴みどころのないフェリシアが、あんな風に感情を剥き出しにする事なんて初めてで、ニコルに言い当てられた通りアルベルトはどうして良いか分からず非常に悩んでいた。
とりあえずガートルードとの外出は不平を漏らされながらもなんとか取り止めたが、それはフェリシアに伝わらないし、伝えたところでどうなるものかも分からない。
「……ニコル、俺はどうしたらいい」
切羽詰まったアルベルトはニコルに助けを求めたが返答はなかった。見るとニコルは鼻歌をうたいながら手紙の封を開けていた。
「おい、ニコル……」
「聞こえてるよ? 聞こえてるけど無視してる。この前俺がせっかくアドバイスしてやったのに酷い態度だったもんだから、もう何も言ってやんない……ああ、ジュリア、君なら分かってくれると思ってたよ」
アルベルトをチラとも見ずにニコルは手紙に目を通して楽しそうにしている。
「あれは……中身の無い話だったから……」
「中身が無いとは失礼しちゃうね。実際その通りだったのに? お前が紳士ぶるのに必死すぎた結果、フェリシアちゃんは不満を溜めて爆発したんじゃない」
う、とアルベルトは言葉に詰まる。
ニコルはペーパーナイフを二枚目の手紙に差し込みながら続ける。
「急に行動や言動がおかしくなったのはさ、そういう不満の現れだったんだよ。気づいてってサイン。その訳分かんない所を可愛がるのは正しいよ。でもお前はそれを珍しくって可愛いなってニヤニヤしてただけで本質をスルーしたんだから、起こるべくして起こった結果だね。それに対して俺から言うことはないよ」
返す言葉をなくしてアルベルトは俯いた。ニコルの言う通り何故急に不可思議な言動や行動をするのかと疑問には思ったが、普段見せない姿が可愛かったので何故かを掘り下げようとは思わなかった。
大人のふりをしていたが結局は自分の感情ばかりに目を向けて、フェリシアの事を考えてはいなかったのかもしれない、とアルベルトは落ち込む。
耳も尻尾も垂れてしゅんとしている狼をチラッと見たニコルは、はぁ、と嘆息すると上体を捻って長椅子の背もたれに頬杖をついた。
「……アル君。ここまで言っても取るべき行動が分からないかな?」
「取るべき行動……謝罪に出向く?」
かあぁあっ、とニコルは頭を抱えてから長椅子の上に立ち上がった。
「確かに必要だよそれは。でもね、その前にやる事がある」
「な、なんだ……」
「ギュッとしてチュッ、だ」
「……だから、お前そんな——」
「いいかい、アル君!」
ニコルは普段出さない威圧感のある声で言った。不意を突かれてアルベルトは言いかけた言葉を飲み込んだ。
「フェリシアちゃんが爆発した理由を考えろ。何故だ? もっと一緒にいたいのに会ってくれない。他の女の子と仲良さそう——これは、うちの妹のせいだったらなんかごめんね——に見えて不安が募った。そうだろう? そうなった根本原因はなんだ。お前が、約束守るだかなんだか言って、フェリシアちゃんに言葉で行動で伝えてないからだよ! 愛を! お前だって言葉にしてもらって嬉しかっただろう? ちゃんと伝えて安心させてやりなさい」
ニコルの珍しく強い口調と態度にアルベルトはたじろぐ。
「いや……伝えてるつもりで……」
「つもりが伝わってないから泣かせたんでしょうが! もはや迂遠な言葉じゃ届かない段階まで来てるね。フェリシアちゃんはお前の愛を疑ってる。それを払拭出来るのはなんだ! 行動だ! 君を心から愛してるんだっていう熱い抱擁とキスしかないよ!」
それしかない事もないだろうと思いながらも、アルベルトはニコルに気圧されて反論出来ない。ニコルは長椅子の背もたれ部分に片足をかけて前のめりになって更に攻勢をかける。
「大丈夫だ、アルベルト。考えても見ろ。彼女が不安になったのはお前に愛されてないかもと思ってしまったからで、つまりはお前に愛されたいんだよ。彼女だって待ってる。お前の行動と耳元で囁かれる甘ぁい愛の言葉を」
「……いや、でも……それは」
「お前のチキンハートと年上のプライドで、会う頻度減らしてみたり距離保ってみたりと小細工しすぎた結果が今なんだぞ? いつまでお義父さんにビビってるつもりだ。今動かなきゃ一月後には小鳥はお前の下から飛び去ってるかも知れないぞ」
今日までフェリシアとの接触を極力抑えてきたのは、偏に彼女との婚約式を無事に迎えるその日まで、義父と交わした約束を破ることのないようにとの自制心からであった。
しかし肝心のフェリシアがその過度な自制のせいで今自分から離れていこうとしているならば、そんな事を続けている場合ではないのかもしれない、とアルベルトも思い始める。
そうしたアルベルトの心の動きを読み取ったかの様に、ニコルは背もたれに乗せていた方の足にグッと体重をかけて長椅子を倒した。ガターンッと響いた大きな音にアルベルトは思考を中断される。
椅子を倒すと同時に軽やかに飛び上がって優雅に着地したニコルは、開封した封筒から二枚の紙を取り出してアルベルトへピッと差し出した。
「やろう。貸しだぞ?」
「……歌劇のチケット?」
「小鳥姫を誘え。そしてキメて来い」
「……いや、先に許可が……」
「つべこべ言わずに今すぐ手紙書く! いいか不機嫌な女の子にはサプライズが効果覿面なんだよ。サプライズに喜ぶけれど不機嫌な手前素直に喜べない彼女。そこをギュッとして耳元で謝罪を織り交ぜた甘い言葉をそっと囁く。それで最後にチュッてすれば大体は事なきを得るんだ。フェリシアちゃんだってそうに決まってる。いいね、アルベルト。男になりなさい」
アルベルトは珍しく誰から見てもそう見える苦悶の表情を浮かべ、目の前に差し出されたチケットを受け取った。
私の頭の中では、ニコル君は長椅子から飛び上がるとトリプルアクセルを華麗に決めて着地と同時に跪いていましたが、床に強打するであろう膝はぶっ壊れないか心配になるしちょっとくどいなと思ったので盛り込むのはやめておきました。でもここには書きました。
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