三話 年上の婚約者は今日も優しい
窓の外から来訪を告げたのは今まさに思い浮かべていた人、婚約者アルベルトだった。
フェリシアはすぐに、ベッドに陽の光を落としている出窓を開く。
「ご機嫌よう、アルベルト様」
「やあ、フェリシア。具合はどうだ? 倒れたと聞いた」
陽射しに透けた髪がそれこそ燃えている様に見える赤毛のアルベルトが、窓に身を乗り出しているフェリシアに笑いかけた。このいつも変わらない優しい笑顔がフェリシアは大好きだった。
「昨日の事ですのにもうご連絡が?」
「私は君の婚約者だ。大事とあれば、どんなに遠くにいても耳に入るしすぐさま駆けつけるよ」
額の左側、眉上付近を起点に辛うじて目を避けそのすぐ下辺りから顎にかけて、縦に深く斬り付けられた傷のあるスカーフェイスのアルベルトは、そう言ってフェリシアのふわふわの髪を撫でた。
筋張った大きな手のぬくもりにさっきまでの不安が消える気がして、フェリシアはほっとした。
「……なんて、そうだったら良かったが、本当は今そこで番兵に聞いただけだ。今日は元々会いに来ようと思っていたから、倒れたと聞いて驚いた。一体どうしたんだ?」
封建制度のこの国では拝領したからには軍役奉仕が伴う。アルベルトはカーライル侯爵家の嫡男で、次代の領主となり自領の兵士達を率いる立場にある為、日夜騎士として研鑽を欠かさない。更には自治や経営の為の勉学も同時に行うというその忙しい合間を縫って、週に一度は必ずフェリシアに会いに来てくれていた。
「あ……その、占いに行きましたの。とても当たると評判の……。占いのお部屋って暗いじゃありませんか、それで終わって外に出た時に急に明るくなったから目眩がして……大した事は」
一瞬消えた不安がまたすぐに戻って来てフェリシアは顔を曇らせた。アルベルトに会えて嬉しかった日溜まりの様な気持ちに影が差す。
「……フェリシア、目が赤いな。泣いていたのか? まだ具合が悪いんじゃないのか?」
指摘されてハッとしたフェリシアは、心配させない様に笑顔を作って誤魔化した。
「な、泣いてないです! 最近は随分と暖かくなって来ましたから、つい眠くなって、あくびを……だから何ともないんです」
「そうか……。ならいいんだ。だが急に倒れたと聞いて本当に驚いた。驚き過ぎて庭から直接来てしまったよ」
フェリシアの部屋は庭に面した一階の隅にある。元々はサロンを開く様な応接間であったのでこの部屋には大きなガラス戸があって、そこからテラスを超えて庭へ降りることが出来る。その為、屋敷の玄関に向かわずとも直接部屋に入れるし、庭の一角にある鳥籠の様な形の温室にもすぐに行ける。
フェリシアにとってこの温室は、母がフェリシアを妊娠中に良く過ごしていた場所と聞いていた為に、記憶に残らない程早くに死に別れることとなった母との思い出の場所の様な気がしていた。その気持ちを口にせずとも汲み取ってくれた父が、この部屋をフェリシアの自室にしてくれていたのだった。
「そう仰いますけど、アルベルト様はいつもお庭からいらっしゃいますわ」
いつも庭から現れて窓をノックするアルベルトの、さも今日が初めてだと言った口振りにフェリシアは思わず笑ってしまった。小鳥の囀りの様な笑い声にアルベルトもより一層柔らかく微笑む。
「そうだったか。つい気持ちが逸ってしまうんだ、君の顔が早く見たくて」
アルベルトの言葉にフェリシアはほんのり頬を紅潮させた。時折掛けられる甘い言葉にいつもドキドキしてしまう。
でも、今日はいつもとは違う。何処かでこの言葉は偽りなのかも知れないと思い始めているから。
そう思っていた時、コンコンとドアがノックされて、ティーセットの載ったワゴンを押したメイドを連れてロドニーが戻って来た。
「お待たせフェリス……ああ、アルベルト卿!」
「やぁ、ロドニー。久しぶりだね」
昔から頻繁に屋敷に顔を出すロドニーと、騎士見習い時には一時父に師事していた事のあるアルベルトの2人は、フェリシアを通じてよく知った仲だった。
「また窓からですか? 今お茶を入れる所なんです、一緒にいかがです?」
「ありがとう、でも遠慮しておくよ。この後も訓練があるしね。フェリシアはまだ少し顔色が悪い様だから見てやって欲しい」
「もちろんです」
「もう……行かれるのですか?」
来たばかりでフェリシアの部屋はおろか屋敷にすらあがらないで帰ろうとするアルベルトに、フェリシアは引き止める様に聞いた。
「……少し顔を見たかっただけだから。昨日倒れたのだし、長居をして私の大事な婚約者に無理をさせてはいけないからね。またすぐに会いに来るよ」
ポンとフェリシアの頭を一撫でしてコートの裾を翻すと、アルベルトは、また、と言い置いて行ってしまった。
「相変わらず忙しそうだねアルベルト卿は。僕も見習わなきゃいけないんだけどね……」
ベッドサイドに戻って来たロドニーは独り言の様にそうフェリシアに話しかけたが、庭の向こうへ消えて行ったアルベルトの背中を、見つめ続けていたフェリシアの頭の中にはあの占い師の言葉がこだましていた。
《アルベルトはあんたの事なんて微塵も愛してないの》
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