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二十九話 されど後味は仄かに

 婚約式を迎えてしまえば皆が不幸になる。

 その前にどうしても婚約は解消しなくてはならない。

 

 けれど申し出られないからアルベルトに振ってもらわなければいけないのに嫌だと思ってしまう。想い人の存在を前にしても同じで、寧ろ嫌だという気持ちが強くなった。

 諦めが悪く覚悟も思いやりも持てない自分が嫌になる。


 ただ、それ程までにアルベルトの事を好きなのだと強く自覚する。


「もう、全部嫌なんです……どうぞ、軽蔑なさって。そして……」


 しゃくりあげすぎて、フェリシアはそれ以上言葉を紡げなくなり、目的としていたアルベルトからの突き放す言葉を待った。


 しかし、アルベルトはフェリシアの頭をそっと撫でると予想外の言葉をかけた。


「……軽蔑なんてしない。君がそんな風に考えているとは思わなかったから……泣くほど抱え込んでいるとは知らずに……気付かなくてすまなかった」


 涙が止まらない中、フェリシアはアルベルトの言葉に疑問を抱く。

 こんな醜態を晒してガートルードへの嫉妬まで剥き出しにしたのに、何故かアルベルトが謝罪しているのだからおかしい。


「君が、今みたいに思っている事を言ってくれたことは無かったから……泣かせてしまってすまないとは思うが……嬉しかった。軽蔑なんてしない」


 いよいよおかしさを無視できなくなり、んん? とフェリシアは涙に濡れた顔でアルベルトを見上げた。


 ぼやけた視界の中で、アルベルトは酷く困った様な顔をしていたが、フェリシアに向ける眼差しは軽蔑ではなく、いつもと同じ優しいものだった。


「俺も……色々と考え過ぎていたから……言葉も行動も足りずに、寧ろ何か、誤解をさせたのだとしたら悪かった」


「……嬉しい……誤解?」


「ああ、俺が——」

 アルベルトが何か言いかけたその時、


「たっだいまぁ! 何してーんの?」


 と、誰かの陽気な声がしたかと思うとアルベルトが突然ぶつかって来て、後ろによろけたフェリシアを昨日の温室の時と同じように咄嗟に抱き留めた。


 ただ昨日と違いアルベルトも前のめりになっていた為に、フェリシアはアルベルトの身体にグッと押し付けられる形となって、まるで抱きしめられているかの様な態勢になった。


 その事にフェリシアは涙していたことも忘れるほど頭が真っ白になる。


 胸に押し付けられた左耳がアルベルトの心音を拾う。少し速く力強い音。こんな音が聞こえる程近付いた事はない。

 目の前には鍛えられた硬く逞しい身体があって、触れている部分がアルベルトの体温と、筋肉質な身体に包まれる感触を敏感に感じ取る。

 訓練終わりで少し汗の混じった匂いにも、今この状態が夢ではないという現実味と距離の近さを強く認識させられる。


 そんな風に五感と意識の大半がアルベルトへ持っていかれて、フェリシアは呼吸すら忘れそうになった。

 鼓動だけがドクンドクンと別行動で大きな音を立てている。


「……ニコル! 後ろから体当たりしてくるな! 危ないだろう!」


 アルベルトが後ろを振り向き吠えるのが聞こえた。どうやら後ろから押されてフェリシアに玉突きしたようだった。


「騎士様の癖に背中が無防備なんだもん。普通に声かけても聞こえなさそうだったしさ。俺眠いから早く中入りたいんだよね、そこ退いてよ」


「今まで何処で何してた! お前また——」


「やだな、聞くそれ? 野暮な男だよお前は本当。そっちこそ何してんの? こんな衆人環視の中で」


「……衆人、環視?」


 陽気な男の言葉にフェリシアとアルベルトは周りを見渡してみた。

 

 すると館の窓という窓に使用人がべったり張り付き、御者や庭師など外に出ていた者や果ては配達に来ていた者までも、カーライル邸にいる者ほぼ全てが玄関前の二人に視線を送っていた。


「——っ!」


「で、玄関前で抱き合って何してんの? 皆に初めてを見せてあげてるの?」


「抱き——え?」


 言われて初めて気付いたのかアルベルトが腕に抱くフェリシアを見た。

 真っ赤な顔をして涙目で見上げるフェリシアに、アルベルトもつられて顔を赤くする。


「おめでとう、って言っとこうか? それとも聞いてないだけで初ぎゅうじゃなかった?」


「ち、違うっ——これは、お前が——」


 慌ててアルベルトはフェリシアを解放しニコルに食ってかかる。その間にフェリシアはタッと走って、馬車の側で立ち尽くしていたロドニーの胸へ飛び込んだ。


「あ……フェリシア、違うんだ今のは……まだ話も……」


 アルベルトはそう言ったが、フェリシアはロドニーの肩口に真っ赤な顔を埋めて振り向こうとしない。

 耳にも身体にも、アルベルトの感触が残っていてどんな顔をして振り向けばいいのか分からなかった。


 そんなフェリシアを宥める様に、ロドニーは抱きかかえる形で背中に手を回し、ぽんぽんと頭を撫でながらアルベルトに向かって言った。


「すみませんアルベルト卿、今日はもう。続きはまた後日、落ち着いた頃に」


「あ……ああ、そうだな。そう……だな」


「行こうフェリシア。さあ乗って」


 会釈をして、ロドニーはフェリシアと共に馬車に乗り込みカーライル邸を後にした。

 アルベルトははたから見れば怖いだけの苦い顔をして、去って行った馬車を見ていた。



 そしてその一部始終を部屋の窓から青紫の瞳で見ていたガートルードは無感情に吐き捨てた。


「なぁに? あれ。宣戦布告? いい度胸じゃない小鳥ちゃん。絶対あんたからアルベルト様を奪ってみせるから」

耐えられない!

お読みいただきありがとうございます。

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