二十六話 すれ違う
余裕のある大人ぶっている手前、フェリシアには喧嘩の原因は正直には言えないアルベルトは苦し紛れに誤魔化した。
『……君の事で浮かれてたから、浮かれ狼ってからかわれたんだ』
「……アルベルト様、なんて? 今のって、あの男の子が使っていた言語ですか? どこの言葉でしょう?」
急にアルベルトの口から発された耳慣れない言語にフェリシアが驚いて聞き返した。
「カミルの部族の言葉だ。こちらの言葉を教える際に覚えた。今のは……手加減しろって噛みつかれたって言ったんだ」
「まぁ! 勉強家ですねアルベルト様」
「そう難しくないよ。発音なんかもあまり変わらないし、日常会話くらいならすぐ憶えられる」
「すごいです! さっきのはどの単語が噛みつくだったんですか? 全然聞き取れなかった」
そう聞かれてアルベルトはまたも返答に詰まった。話題を逸らそうとしただけだったし訳も嘘だったから、こんなに食いつかれるとは思わず困ってしまう。
ただ、尋ねた方のフェリシアとて学びたいと思っているわけではない。ガートルードの話に戻りたくないのでこの話題にしがみ付いただけであった。
「……そんな物騒な単語じゃなくて、憶えたいなら他の単語にしたらどうだ? 花とか、空とか」
アルベルトは実際に柱に絡まっているツタの花と、良く晴れた空を指差し単語を教える。
『花、空。空がよく晴れて綺麗』
「花と、空。最後はなんて?」
「綺麗と」
なるほど、と今習ったばかりの花と空の単語をフェリシアは練習する。
フェリシアからしたら思考の隙間に彼女を入り込ませない為に多言語に集中しているだけに過ぎなかったが、その姿がアルベルトには一生懸命に見えて微笑ましく思えた。
騎士に叙任されてこちらに戻って来たのが七年程前。その一年後に戦争が再開し、暫くしてアルベルトも足を悪くした父の代わりに戦地に赴く事となった。
その際見送ってくれたフェリシアはまだ少女だった。
戦地に居たのは二年弱であったが、停戦協定が再び結ばれる直前に敵の主力部隊と当たり、率いる相手の騎士と斬り結んだ時に痛み分けで顔に傷を負った。
治療や戦後の処理で戻ってからも顔を合わせられずに、最後に会ってから三年近く経って再会したフェリシアは、手足も背丈もスラッと伸びて顔立ちも随分と大人びて見えた。
子供らしい愛らしさの象徴だったふわふわの白っぽい髪は、変わらぬ筈なのに神秘的な美しさを演出して見える。
かつては好奇心に満ちて見えた輝く瞳は、穢れの無い純粋さを湛えたまま時折潤みがちにこちらを見つめるので、あの頃にはなかった憂いと危うさに庇護欲を掻き立てられる。
透き通る白い肌に、桃色の唇に。
婚約者と言う名の愛らしい妹に近かった彼女が、美しく成長し大人の顔をしだした事で、触れるなと釘を刺されていることがもどかしいと思う程の存在に変わった。
フェリシアと出会って十四年。漠然とした好意を持ち結婚すると認識していたものが、あの再会の日から、結婚するその日を待ち切れないほどの強い気持ちに変わった。
アルベルトは庭を吹き抜ける風にプラチナブロンドを揺らしているすっかり大人になったフェリシアを見て呟いた。
『愛しているよ、フェリシア。花よりも空よりも、君の方が綺麗だ』
不意に呟かれた言葉に、フェリシアはアルベルトへ顔を向けた。
「今……花と空と、綺麗は仰いましたよね。その前はなんて?」
案外と飲み込みの早いフェリシアにアルベルトは答えず微笑んだ。
「当ててごらん。当たるよきっと」
「……私の名前を呼ばれましたよね。なんでしょう……」
考え出したフェリシアの髪を、巻き上げた花弁を抱いた風が撫でていく。
あと一月で春も終わる。盛りを迎えた花も風に吹かれて散って行き、空を舞う花弁が儚くも美しい時期が来る。
そうすれば、花弁舞う中美しい白金の髪を揺らすフェリシアに漸く触れられる。
『愛しているよ。あと一月が待ち遠しい。このまま帰したくないと思う程、今日来てくれたことが嬉しくて堪らない。君がいつだって会いたいと言ってくれたように、私もいつだって君と一緒にいたい。愛してるフェリシア』
反応が返って来たら約束を破る自信があったので、アルベルトはわざと伝わらない言葉でフェリシアに愛を囁く。
意味が判らないフェリシアは困り顔で、そして少しだけ不満そうな表情をアルベルトに向けた。
「さっきと違うことを仰ってませんか? それでは絶対に当てられません」
「同じだよ。全部同じ意味だ。それに……多分、君が思っているのと同じ事だと思う。多分ね」
「私が思っていること……」
フェリシアは、優しく微笑みかけるアルベルトの鳶色の瞳に映る自分を見て思う。
同じ事を思っているわけが無いと。
もうすぐここに映るのが別の人だけになって、落ち着いた低い声で呼び掛けるのも別の人の名前になると分かっている。
それなのに願ってしまう。
この時折髪と同じくらい赤く見える瞳にいつまでも映されていたいと。
優しい年上の余裕の中に隙を感じさせる八重歯を覗かせて、この先も笑いかけ、そしてその唇で名を呼んで叶うなら愛を語って欲しいと。
「……分からないです。何でしょう?」
同じな筈がない。ガートルードを忘れて自分を好きになって欲しいと思っているのだから。このわがままを叶えて欲しいと思っているのだから。
と、フェリシアはまた苦しくなって思いがけず潤んできた碧色の瞳でアルベルトを見つめた。
その潤んだ瞳に、アルベルトはまた箍の外れる音を聞く。
一度外れた物はもう、少しの事ですぐに緩んで外れてしまうようだ。隣に座るフェリシアに自然と手を伸ばしてしまう。
しかし僅かに残った自制心と理性が抱きしめてしまいそうになる腕を止め、フェリシアが妹だった頃の様にふわふわの髪を撫でるに止めた。
「答えは何ですか? アルベルト様」
けれど、緑碧玉が潤んだまま見つめ続けるから、なけなしの自制心も薄れてくる。
亜麻色の髪をした悪魔が記憶の中でいけないことを囁いてくる。
ここなら、怖いあの人の目もない。
アルベルトはフェリシアの髪を撫でていた手を頬のラインに沿って顎下まで持ってくると、ゆっくり顔を近付けた。
「……アルベルト様?」
「フェリシア……」
愛してると囁いて、桃色の唇に唇で触れてしまおうとしたその時、館の方から呼ぶ声がした。
「アルベルト様ー! 昼食のお支度が整いましてよー!」
突然の呼び掛けに驚いてアルベルトはパッと離れて声のした方へ向いた。にこにこと遠くで手を振っていたのはガートルードだった。
「……ああ! 今行く! 行こうフェリシア」
我を忘れていたアルベルトは声をかけられた事で自制心を取り戻し、約束を破りかけた己を戒めながらサッと立ち上がると先にガゼボを出た。
その急いでガートルードの元へ戻ろうとする風に見えたアルベルトの様子に、フェリシアはまた胸が痛み出すのを感じた。
風が吹き抜けて、柱に絡まったツタの花弁を攫って行った。
あと一月で春が終わる。そしてその終わりには、待ち遠しかった筈の迎えてはならない婚約式が待っている。
副題に先に甘いって書いておく姑息な手に出て少しでも甘いと錯覚してもらおうとしたけどやめといた
甘味はまだ見失っております
お読みいただきありがとうございます!




