二十四話 ロドニーの秘めたるは
彼女に出会ったのは、自宅からレイフォード邸へ向かう為、いつもの様に船を利用しようと街中を移動していた時だった。
「もし、そこの方」
その第一声が自分へ向けられた物とは思わず、ロドニーはそのまま行こうとしたが、再び同じ声が名を呼んだ事で漸く立ち止まった。
「あなたに言ってるのよロドニー卿? 今はまだレイフォードの養子に入ってなかったわよね? だから……確かワイズ伯爵家の次男の扱いのままかしら、今は」
街ですれ違っただけの人物が、何故自分の名前はおろか複雑な後継問題の事情を知っているのかと驚いて振り向くと、黒髪に青紫の瞳が印象的な、色気のある見知らぬ女性が立っていた。
「……確かに、僕はロドニー・ワイズと申しますが、失礼ながらあなたはどなたでしょうか。お会いした事が無かったと思いますが、我が家の事情にお詳しそうなのは何故でしょう……」
そう質問すると、女性はにこっと笑った。
「ええ、詳しくはないかも知れませんが知ってましてよ。あなたのお父様はレイフォード公爵家の三男に生まれ、爵位一切の継承に関して女性でも相続出来る特記を有するワイズ伯爵家の一人娘の婿になった人。そのお陰で妻が継承した所領に関する権限の代理行使、ワイズ伯爵位を名乗れてる。だけどそれで逆に、順当に行けばお父上やお兄様が嫡男のいないレイフォード家を継ぐ事になるのが筋な所、特例を適用されてるワイズ家の婿とその跡取りである為にこちらの継承が優先される。だからお父上もお兄様も飛ばして継ぐ物の無い次男のあなたがゆくゆくは養子に入ってレイフォード家を継ぐ予定っていう、なんであんたの親父が爵位と領地を二つ持っちゃいけないのかはわかんないけど事情と特例の混み入ったご都合主義なそれっぽい設定なのよね? 私はそこの所どうでもいいんだけど」
「……お詳しい、ですね。その通りです。けれど質問には答えて頂いてませんよね」
「あらそうだったわね、ごめんなさい。何故知ってるかなんて今さらな事すぎて……そうね、理解できる様に言うとしたら、私は預言者で占い師で魔法使いみたいなものなの」
怪しい事を言い出す女性に、先程の驚きから段々と訝しむ気持ちが湧いてくる。集りや強請りの類で、家の事を調べて近づき何かを狙っているのかも知れないとまで思い始めている。
「僕に話しかけたのは何か目的がおありだからですか?」
「話が早いわね、そう目的があるのよ。単刀直入に行きましょう。私とあなたの望む未来は同じ、だから協力しません? って言いに来たの。あなたがここを通る事を知ってたから。スタート前から行動パターン同じで良かったわ」
やはり行動を事前に調べられているのだと警戒したロドニーに気付いたのか、黒髪の女性は言った。
「あら珍しい、怖い顔しちゃって。でも警戒しないでよ、悪い事しようってんじゃないんだから。とっても良い話よ? あなたが大好きなフェリシア嬢の事を諦めなくて良くなるお話」
「なっ——!」
誰にも打ち明けずに秘めていたフェリシアへの想いを、今会ったばかりの人間に暴露されてロドニーは酷く動揺した。
家や後継問題などは調べれば分かるだろうが、彼女が指摘したそれは誰も知らない筈だからだ。
「な、なんで、そんな事……」
「可愛いのね、動揺しちゃって。言ったでしょ? 占い……いえ、魔法使いだって。私ね、絶対に欲しいものがあるのよ。その為にはあなたの力が必要なの。フェリシアに近づける唯一の存在のあなたが。ね? 協力してくださらない? してくださったら、フェリシア嬢の心から婚約者を追い出してあげるわ」
「……追い、出す?」
ロドニーの心が一瞬期待に傾いたのを目敏く感じ取って、黒髪の女性は考える間を与えず更に誘惑を口にする。
「そう。追い出すの。あの娘が婚約者の事を心から慕っているのは良く知ってるでしょ? その心を揺らがせて婚約を解消させてあげるわ」
「婚約解消? そんなこと出来るわけ——」
「出来るわ。私は魔法使いだもの。あの娘は疑う事を知らない純粋無垢で真っ白な人なんだから、疑念のインクを一滴垂らしてあげれば急速に染みは広がっていくことでしょう。私はその一滴をもっとも効果的かつ的確に彼女の真っ白な心に落とす事が出来るわ。アルベルト様から心を離して、婚約の解消にまで至らせられるほど強力な一滴を」
行き交う人の喧騒の中、2人の周りだけ時間が止まっている様な感覚がして、ロドニーは目の前でニィッと笑っている女性から目が離せなくなっていた。
魔法だなんだとおかしな事を言っているこの女性を、それこそ魔法にかけられた様に信じ始めている。
「……本当にそんなこと?」
「出来るわよ。その後の展開は保証しないけど。でも、今の今まで慕っていた人と婚約解消して弱らない人間なんていないでしょ? その時縋りたいと思うのはいつも側にいて支えてくれる存在じゃありませんこと? すると気付くわ。近すぎて見えなかった人の優しさと深い愛に。必要なのはこの人だったんだって事に」
アルコールを含んだ様な誘惑の言葉を口にする彼女を前に、ロドニーの脳裏ではフェリシアが笑いかける。
物心ついてからずっと彼女が好きだった。
ふわふわして真っ白で、どこか危うく放っておけない可愛らしい彼女が。
けれど生まれた時から婚約者がいて、彼女も相手もお互いを慕っているのが側にいて分かった。
だから打ち明けずに諦めようと、気持ちに蓋をしてずっと良い兄に徹していたのだ。
その秘めてきた心を今、揺さぶられている。
淡い期待のインクが一滴、蓋を穿って落ちて行きフェリシアを想う気持ちに溶けて混ざった気がした。
「……僕は何をすれば良いの?」
堕ちた、と青紫の瞳を煌めかせて黒髪の女性は笑った。
「簡単よ、私の指示に従ってフェリシア嬢をさりげなく婚約解消に向けて誘導してもらえればいいの。大丈夫、あなたは信頼されてるんだから難しくないわ。まずは私の下に彼女を連れて来て。そうね……有名な占い師とでも言えばいいんじゃない? 後は定期的な連絡を。私は今カーライル領に滞在中だから、ゴンドラの船頭に手紙を預けて。こちらからも同じ方法で指示の手紙を出すわ」
よろしくね、と笑いかける女性を前に、靄の掛かった様な感覚のまま、なし崩し的に承諾する形になったロドニーは段々不安と罪悪感を覚える。
「……目的が一緒だと言いましたよね。あなたはどうして、婚約解消なんてさせたいんだ」
「間違っているからよ」
ロドニーの弱気になった心を見透かしたのかピシャッと叩く様に、黒髪の女性はそれまでとは違った強い口調で言った。
「モブのくせに主役を差し置いて私の王子様と幸せになるだなんて、メリバから始まるのが特徴とは言えおかしな話じゃない。だから、私が書き換えてあげるの。正しい展開と幸せな結末に」
ふふっと妖艶に笑った彼女の発言はロドニーには理解が出来ない。けれど青紫の瞳の鋭い煌めきに並々ならぬ思いの強さが伺えた。
「あなたはフェリシア嬢と、私はアルベルト様と恋仲になりたい。その為には2人にお別れして頂かなくちゃ。あなたと私が手を組めば、きっと上手くいくわ。私はガートルード、このゲームの主人公。よろしくね、低ランク攻略対象ロドニー卿」
預言者、占い師、魔法使い。
そう自称するに相応しくおよそ理解の及ばない単語を並べて妖しく微笑むガートルードの手を、あの日取ってしまったロドニーは、後悔と期待と罪悪感がない混ぜになった複雑な気持ちで、カーライル邸の応接間から敷地の遠くの方を並んで歩く2人の影を眺めた。
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